第35話 破壊と現実

「兄さん⁉」

 アイノは戦いの最中、離れたところで戦っていた兄がレンカによって倒れたのを、信じられない思いで見た。生まれてから片時も離れず一緒だったあの兄が、負けたなんて。しかし悠長にしている時間は与えられない。アイノは視界の端に刃が煌めいたのを捉えて、寸でのところで身を逸らした。

「くっ!」

「よそ見はいけませんわ。これは命の取り合いなのよ!」

 キュリの振るう剣が鼻先を掠める。舌打ちをして、アイノは兄から無理やりに視線を戻す。キュリは剣を刺突剣レイピアのように扱い、突きを中心に繰り出してくる。アイノにとって予想外だったのは、キュリが相当な手練れであったことだ。魔族の一員であるアイノとて戦いには慣れているが、兄のような秀でた才能があるわけではなく、奥底にわだかまるコンプレックスでもあった。

 だからといって、憎い、恨めしい貴族である女にはプライドにかけて負けられない。短剣を握り直すと、果敢に飛びかかっていく。


「本当に貴族がお嫌いなのね! 殺したい! という想いが伝わってくるようよ。お陰で見切り安いけれど!」

 剣先でアイノを往なしながら、キュリは余裕の表情で言い放った。その態度がアイノを苛つかせる。先ほどから何度も斬り合っているが、キュリには隙が見当たらず傷ひとつ付けられない。そして殺し合いだ、と言っておきながら命を脅かされるほどの攻撃はしてこない。

「アナタの恨みは、世界を滅ぼすに値するのかしら。ただの逆恨みなのでは?」

「何ですって……!」

 挑発するようなキュリの言い様にアイノは怒った。両手それぞれに握っていた短剣、うち一本を収めると、残った一本の柄を両手で握った。力を込め、思い切り短剣を振り下ろす。キュリもまた剣を斜めに構えて受け止め、衝突音がつんざく。重なった刃がぎりり、と音を立てた。


「生まれの身分なんてどうにもならないわ。別にアルテンブルグ王家じゃなくても起きるわよ、ワタクシは隣国に逃がしてもらったから知っているの。身分格差は起きる。人間社会では決定事項よ」

「例えそうだとしても、あたしが身を挺して護る意味はなかったわ! 平民は、貧しい者はいつまでも貴族に搾取されるだけよ!」

「破壊って意味が分かっているの? 魔王を見てみなさい。これでは全てが雪に埋もれてしまうわ」

「魔王様だけが生き残って王になられるに決まってるじゃない。人間が滅びたあとの魔族の楽園よ!」

 そこまで言い切ってから、アイノは刃の押し合いから身を引き、やや後退する。


「言葉で言い負かそうとしたって無駄よ。あたしの決意は揺らがない……!」

 短剣の切っ先をキュリへと向けながら、宣言するようにアイノが叫んだ。すると、キュリは分かりやすく眉尻を下げてため息をついた。


「ワタクシはアナタが哀れですわ」

「何っ……⁉︎」

 分かりやすく貶されてアイノが噛み付くが、キュリは意に介さず続ける。

「アナタは自分が苦しい思いをして、目の前に魔女が、甘美な誘惑が現れたから飛びついてしまった。お兄様もご一緒でしょ? きっと、魔女はそれも織り込み済みだったのね。内部からの組織改革、民衆の煽動、暗殺。やり方はいくらでもあるのに、アナタは一番簡単で何も生まない選択肢を選んだ。つまり、のよ」

「っ……‼︎」

「仕方のないことよ。人は弱いから。かつて……いえ、最近までのワタクシもそうでした。でも逃げても物事は前に進みません。だから……向き合わねばならないの」

 キュリは鳩尾あたり柄を持って縦に構え、上空を向いた剣の穂先を数秒だけ注視する。《ラユの地》でもアイノでもない、どこか遠くを見つめているような、乾いた瞳で。


「さあ来なさい! 終わらせてみせますわ!」

「……このっ!」

 剣をアイノの方へと構え直して、キュリは手招きする。アイノは噛みつくようにして襲いかかった。しかし直前のやり取りによってアイノが動揺しているのは隠しようもなく、キュリは動きを容易く見切ると、鋭い突きをアイノの手元と短剣へ二投続けて打ちこんだ。アイノの手から短剣が弾かれてガラ空きになると、キュリは一気に距離を縮めて斬りかかる。アイノは打たれた衝撃で体勢を崩していて受け身も取れない。

 死を覚悟し、思わずきつく目を閉じた。尻餅をつく形でアイノが地に崩れた瞬間、キュリの剣刃は首筋に当てられて留まっていた。


「……そんな眼をしないで、クレー。アナタは殺したくないのでしょう?」

「……」

 剣を向けるキュリの背後に、巨漢が立っていた。片腕がキュリを止めようと差し伸ばされていたが、意図を悟ったのか直前に止められていた。剣をアイノの首元に当てたまま、キュリは静かに言う。

「降参なさい」

 アイノは悔しそうにぎりっと奥歯を噛みしながら、視線を逸らして項垂れた。

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