第34話 足掻き

 ヴァイはどこか頼りない足取りのまま、真っ直ぐと魔王を目指して進んでいた。片腕でイルマの首を抱え、もう片腕に剣を持っている。ざくり、ざくりと積雪を踏みしめながら進むヴァイの視界に、魔王への道程を遮るようにして大魔女が現れた。

「ヒウル……」

「止まりな、王子。何をするつもりか知らないが、魔王様に手を出すつもりなら容赦しないよ」

 ヒウルの声は老婆ひとりが発したものとは思えない凄みがあり、地響きのようでもあった。しかしヴァイは真っ正面を見据えたまま立ち止まろうとしない。ヒウルは剣呑な瞳を向け、杖を取り出した。ヴァイが次の一歩を踏み出そうとした時に、猛烈な突風が吹き荒れて、彼を吹き飛ばした。風船のごとく軽々と浮き上がって飛ばされたヴァイの身体は、処刑場の石壁を背にして叩きつけられる。全身を打った強い衝撃に思わずくぐもった呻きが漏れた。壁に沿ってずるり、と滑ると、雪上に尻をついて落ちた。ヴァイは立ち上がることができずに項垂れる。痛みから呼吸が荒くなり、血流の音が頭に響く。それでもイルマの首と右手の剣は固く握りしめて離さなかった。


「無駄なことはおやめ。静かにさえしていれば、眠るように終わりを迎えられるとも。リンロートも一緒だ」

「……リンロートは……」

「うん?」

 憐れに思ったヒウルが諭そうとすると、ヴァイは肩を上下しながらも何か小声で囁いた。ヒウルが聞き返したとき、ヴァイの蒼い眼がぎらついた。彼はまだ何ひとつ諦めていなかった。


「リンロートはもう居ない……イルマと一緒だ! 魔王の中にはイルマがまだ、いるんだ!」

 ヴァイはそう叫ぶと、石壁に背を預けながら立ち上がって、感覚が鈍くなっている両足を無理やり動かした。ゆっくりではあるが、再び魔王のもとへと向かっていく。

 ヒウルが杖を差し向けると、命令へ従うようにして強風が吹いた。王子が吹き飛ばされ、再び処刑場の壁に打ち付けられる。ヴァイはしばらく項垂れていたが、ふらつきながら身体を起こすと、懲りずにまた魔王へと突き進み始めた。

 老魔女は眉根を寄せる。この王子、恐ろしい執念と思っていたが、あの小娘に対しても同様か。


「王子……悪いがね、お前はもう用済みなんだ。後は魔王様に全てを委ねて、大人しくしていな!」

 ヒウルは杖を風を起こす際とは違う動き、頭上で円を描くような動作をしながらぶつぶつと呪文を唱えた。魔女の周囲で積もっている雪がもこもこと膨れ上がっていき、巨大な人の形を取って動き出した。雪人形達はかなりの建端たっぱがあり、背の高いヴァイでもやや見上げるほどだ。何度も石壁にぶつけられて頭から血が流れているが、ヴァイの方は臆せずに剣を構え、足を止めようとはしない。

 魔女が一軍を率いる将軍のするように杖を閃かせると、雪人形達がうおお、と唸り声をあげてからどすり、と行進を始める。動きは鈍いが、ぼろぼろの王子相手には充分だろうと、ヒウルは目算しているだろう。

「力を貸せ、モナン!」

 ヴァイは祈るように口にしてから、いよいよ襲いかかろうとしていた雪人形へと剣を振るった。全身に酷い怪我を負っている今では、剣筋も頼りない。ところがヴァイの剣は雪人形の身体を横一線、両断してみせた。

「なに!?」

 ヒウルが驚きの声をあげた。ヴァイは軋む身体を引き摺って、逆方向から向かってきていたもう一体の雪人形へ斬り付け、屠ったところだった。

 あんな力無い剣で雪鬼ゴーレムがやられるわけはない。ヒウルが目を細めて注視すると、王子の右手の剣に魔力が宿っているのが見えた。高位の騎士が使用する、剣へと魔術を宿らせる技だ。

 それは大魔女とて信じがたいことだった。いくら〈魂〉の半身が解放されたからといって、王子と騎士モナンはつい今しがた融合を果たしたばかりのはず。魔術の素養どころか、使うすべを持たなかった者に一朝一夕で使えるような代物ではない。

 老いた魔女の心に、ほんの僅かな恐怖が芽生えた。あり得ないはずだったのだ。現実には、王子ヴァイはモナンの扱っていたであろう魔術を即座に使いこなし、リンロートの転生体であるイルマという娘も、死してなお魔王の〈魂〉に陣取って何やら妨害を試みている。天賦の才か、もしくは前世ですら手を取り合って死んでいった二人の妄執のなせる技か。憐れな弱者と高を括っていたことを思い知らされ、ヒウルは険しく表情を引き締めた。


 愛する者の首を決して手放さず、どれだけ傷付いても足を止めない王子が前方から近づいてくる。ヴァイの蒼い眼にはもはや老魔女の姿はなく、魔王だけをきつく睨み付けていた。

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