第33話 血潮の男 

 キュリとアイノが睨み合う一方、処刑場の反対側で続いているレンカとハイネの戦いは熾烈を極めていた。

 レンカが魔術を使って一瞬のうちに距離を詰め、右腕に握った剣をハイネのうなじに振り下ろしにかかる。ハイネは全て承知しているというように軽く目線を投げてきて、振り向きもしないで槍一本差し出し、剣刃を受け止めた。レンカは顔色ひとつ変えず、空いている左手に魔力を込めると剣を引き下げ、入れ替えに差し出した。ハイネは今度こそ身体ごと振り返って、レンカが今にも発動させようとした魔術とを使ってぶつけ、相殺させてみせた。魔術同士がぶつかった衝撃で二人は弾き飛ばされるが、どちらも宙返りを挟んで易々と雪原へ着地する。レンカはゆっくりと息を吐き、その紫の瞳は揺れもせずじっとハイネを睨み付ける。すると、ハイネは幸せを噛みしめるようにしてにんまりと笑った。

「うーん、やっぱりレンカは最高だな! 全然死なないんだもんな」

「……オレは早く死んでくれって思ってるけどな」

 声を弾ませて言ってくるものだから、レンカは至極うんざりした口調で返してやる。ハイネは吹き出すようにして大笑いした。


〝血潮のハイネ〟。魔族でなかった頃からのこの男の呼び名だ。戦闘狂で人殺しが大好きで、命のやり取りを渇望している人間。最悪なことに、戦いにおいて天賦の才を持っている。ミエリ族の中でもこの男を相手できるのはレンカだけだ。どんな手を打ってもハイネはあっさりと対応してくる。弓を射つと弓で射落とし、魔術には魔術で。まるで楽しむかのように同じ手法を使って返してくるのは、ハイネなりの礼儀らしかった。


 レンカが様子を窺っていると、不意にハイネははっと何かに気付いたような顔をした。遠くを眺めながら、つま先立ちをして忙しなく目で追い始めた。レンカもハイネが必死に見ている先を辿って振り向くと、ハイネの妹・アイノがキュリと戦っていた。

「あのお嬢様は……キュリちゃんだっけ? あら〜! あれはアイノにはキツいかもなあ」

 ハイネがどこか嬉しそうに、そして飄々と言ったのを聞き、レンカは初めて不快な心境を表に出して眉を顰める。

「その態度……アンタって、妹のこともどうでもいいのか?」

「全然どうでもよくないよ〜」

 予想外に強い否定の口調でハイネが返してきた。しかし彼の表情は恍惚とした笑顔のままだ。

「妹は大事だよ。アイノが世界を滅ぼしたーいって言うから、手伝いのつもりで僕は働いてるからね。でもさあ、戦いに身を置いているからには死んでも仕方ないじゃん? それはアイノが望んだことの結果だから、僕にはどうしようもない。そうなったら受け入れるまでさ」

 ハイネは困ったように苦笑する。レンカは目の前の相手が理解を超えていることを察して、笑ってしまった。

「アンタやっぱりさあ、頭がイカれてるよ」

 肩を竦めてレンカが言ってやると、ハイネは一瞬きょとんとした顔を浮かべる。次いで片方の口角だけを引き上げて、歪んだ笑みを浮かべた。レンカは知っている。ハイネの本当の笑顔だ。

 

 レンカは前触れなく、背負っていた弓を構えて射ってから、それに比肩する速さで剣を手にハイネのもとへ迫った。ハイネもまた槍を持ち出すと、射られた矢を穂先で退けて、懐に迫ったレンカの剣を槍で出迎えた。

「やっとから脱っしたな」

「ヒドイなあ。真剣だよ」

 ハイネは細い身体のどこから湧き上がるものか知らないが、とてつもない力でレンカの剣を無理やり弾いた。手が空いたレンカに向け槍をいちど手放し、方向を調整してから再度握り込んで鋭く突き出す。

「っうわ!」

 レンカは間一髪のところで身体を反らして躱し、アーチ状になった後屈の姿勢から地面に手をついて、素早く後転する。最中で、頭上から見下ろすハイネの片手の中に、魔力が集まっているのを見た。レンカは転がりながら背中の弓を取り出し、正面を向いたタイミングで魔力の集まる手に向かって矢を放つ。ハイネはすぐに身を引いたが矢が手先を掠ったようで、集められていた魔力が霧散していった。

「はぁ、はぁッ、はっ……」

 蹲みながらレンカは呼吸を整える。今のは危なかった。死を間近にした緊張で激しい動悸がおこり、背中を冷や汗が伝っていった。


「惜しいね」

 矢で負傷した手先をうっとり見つめながら、ハイネが呟いた。

「……ほんっと、イカれ狂ってんぜ……」

 呆れと怖気からくる複雑な心境で、レンカは薄く笑う。〝血潮のハイネ〟はレンカとの戦いを好んでいる。元同胞とこれまで騙し騙しにしてきたが、そうも言ってられない。何より魔王が復活してしまった今、時間がないのだ。

「あ、ちょっと待って。ひとつ聞きたいんだけど、レンカ」

「え?」

 そんな内面の決意を汲み取ったのか、ハイネが場の空気を無視して訊いてきた。レンカは息を整えながら、応じるという意味で頷いた。

 

「あのお嬢様。イルマって子は、君にとってそんなに大事だった?」

 ハイネは思いがけないことを質問してきた。レンカは心底驚いて目を丸くした後、可笑しくなって小さく吹き出してしまう。ハイネの方は些細も表情を変えず、穏やかに微笑んだまま答えを待っている。


「……だった、じゃないんだよ。大事に決まってるだろ。友達だったらさ」


 レンカの口調じたいは平時と何も変わらなかったが、睨み上げられた紫の瞳は、激しい敵意を剥き出しにしていた。

 ハイネはぞわり、と興奮を覚える。これが欲しかった。同情心や憐憫のない、荒削りの憎悪。ハイネは高揚した感情そのままに、本能的な衝動でレンカを襲いにかかった。レンカも同様にハイネに向かっていく。互いに手の届く距離まで接近したところで、ハイネは自らの身体でレンカの視界から隠していた剣を抜き、逆手持ちでレンカの首を狙った。軌道は寸分の狂いもなく、刃が吸い込まれるように頸動脈に向かう。

 ところが、その瞬間にハイネは予想外の事態に見舞われた。顎の下から力一杯殴り上げられたのだ。視界が外れ、脳がぐらぐら揺れる。すかさず剣が蹴り飛ばされ、間髪をいれず鳩尾にも一発。肉体の抉られた分が口から血液の塊として飛び出した。ハイネはぐらつく視界の中、レンカが短剣を握っているのを何とか認識した。

 楽しい。命の奪い合いを今、演じている。

 ハイネは歯が砕けるほどに嗤い、レンカが振るおうとしていた短剣の刃に腕を伸ばし、手がずたずたになりながら握り込んだ。

 

 レンカもハイネの命知らずな行動にさすがに驚愕したが、すぐに短剣を投げ棄てる。その瞬間、レンカの右頬にハイネからの強烈な殴打が飛んできた。

 お返しってわけだ、この野郎——。

 レンカは歯を食いしばる。


「——クソがあッ!!」

 怒りのままレンカは吠えた。なぜだか関係のない事柄まで胸の内に湧いてきて猛烈に苛ついた。

 ミエリ族だからって命を棄てるような仕事ばかりをしなければいけない境遇。いつ死ぬかも分からないからと女遊びに興じても、死への恐怖は消えないこと。なのに自分より先に、イルマみたいな馬鹿正直が死んだことも。飄々とした態度を崩さず、常に冷静であれという信条であるのに、もう抑えが効かなかった。

「死ね!!!」

 レンカはハイネの頭を鷲掴みにして、全力の頭突きをした。ハイネはまさか、という顔のまま正面から喰らい、ごいんという痛々しい音を響かせる。背中から積雪に突っ込むと、四肢がぱたりと落ちた。脳震盪でも起こしたのか立ち上がれないらしく、静かだった。

 レンカは肩を上下して、汗だくになった顔を適当に拭う。発した言葉とは裏腹の行動、戦いのプロとは思えない子どもの喧嘩じみたやり方。恥ずかしさと自己嫌悪でいたたまれなくなり、長い溜息を吐いた。


 

「……く、ふふ……最っ高。君ってやつは……」

 ハイネは雪原の上で大の字になったまま、腹をひくつかせて笑っている。それがまたレンカをげっそりさせた。

 コイツ、わざと煽ったな。

 レンカはそう確信していた。狂人の思想など分からない。どうせ際どい戦いがしたいとか、そんな所なんだろう。とにかくハイネの自由を封じなければいけない。手足を拘束するために縄を取り出して、溜息混じりにハイネの手首を縛りだした。

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