第32話 同類
クレーは降り積もっていく雪に足元が取られ、うまく身動き出来ずにいた。一方、彼を相手取るアイノは短剣を巧みに操って軽やかに戦い、巨体に少しずつ傷を負わせている。クレーはアイノが差し向けた短剣の切っ先をどうにか篭手で受け止め、近寄らせまいとするように円を描くように腕を振り抜いた。アイノは早々と退いて、クレーの至近距離から少し間をとった。長時間の攻防で疲労したクレーとアイノは、肩を上下させて荒い息をつく。
「クレー、いい加減戦いなさいよ! 立ったまま死ぬわよ!」
敵であるはずのアイノが叫ぶと、クレーは悲しげに目を伏せた後、首を何度も横に振った。
「なんでよ! お前だって人間達に嫌われてきたんでしょ⁉ ただ平民に生まれて、たまたま喋り下手で体格が大きいだけで……それで捨てられたんでしょう!」
アイノの訴えは掠れた声で響き、ほとんど哀哭の様相だった。一方のクレーは黙りこくって、もう一度首を振る。
「……あたし達もそう。ウカ族だってミエリ族と同じように魔族と戦ってきたのに、平民だってだけで貧しさを強要されて、貴族から足蹴にされて、ゴミみたいに扱われてきたわ。アルテンブルグ王国を護るのは誇らしいことだからって、それだけを支えにしてたわ。けれど、食べられなきゃ生きることもままならない。あたしは暮らしのために王都で士官を志望した。そしたらあいつら……平民が、女が、調子に乗るな! って。魔族と戦うウカ族の戦士よ? あんな素人どもに負けるわけない。なのにあたしには、取り付く島も、腕を見せる機会さえも与えられなかった……」
勢いを増す暴風が凄まじい音を立てていたが、クレーの俊敏な耳はアイノの独白を聞き漏らしはしない。アイノは徐々に平静を欠いていき、悔しげに歯を噛みしめながら涙を零した。
「人間達は己さえ無事なら何でもいいのよ。危険な部分を貧しい者に押しつけて、地位が脅かされそうになれば陥れる。護る価値なんて……これっぽっちも無い!」
アイノは霧を払うような仕草で腕を横へ大きく振った。彼女自身の人間への絶望、それに連なる拒絶を現しているようだった。
「そうしたら、我々の敵である魔女ヒウルが……『魔王様が復活すれば人間の築いた歪な世を破壊できる』って言うの。……その通りよね。あんな奴ら助けても仕方ない、さっさと壊せばよかったんだって」
「それで、ウカ族を……」
「寝返ったの。まあ、ほとんどの
そう言ってからアイノはレンカと戦っている兄・ハイネに目線を向けて、困ったように笑った。クレーは口元を苦々しく歪めたあと、厳しく引き締める。アイノの兄である元ウカ族の戦士、ハイネ……。〝血潮の男〟と呼ばれる殺し好きだ。このアイノという不憫な少女が魔族として生きているのは、あの兄の影響も多分にあるのだろう。
「ね、だからお前もこちらに来なさい。人間に恩とかないでしょ。無駄な争いは嫌いよ」
アイノはクレーに親しげな笑みを向けてきた。実際、ミエリ族もウカ族もほとんど同じようなものだ。人々に忌み嫌われて捨て子となり、ミエリ族に拾われたクレーからしてみれば、理解できる主張だった。クレーにとってのアイノは、人から虐げられた痛みを知る同志でもあった。
アイノは似た境遇を持っているクレーを魔族に引き入れようとし、クレーはアイノを傷付けることができなかった。
しかし決定的に違ったのは、ミエリ族に拾われたクレーは、一族からとても大事にされたことだ。義兄であるレンカも本当の兄弟のように接してくれ、揃いのピアスを付けてくれた。だから彼らが、王国が滅ぶのは嫌だった。
「ごめん、アイノ。おれ、そっちにいけない」
「……バカなやつ」
馬鹿正直に頭を下げるクレーに、アイノは憎たらしそうに舌打ちする。相も変わらず、クレーは身を固めるだけで、アイノに手を上げようとしない。
「じゃあ、さっさと諦めて死になさい!」
アイノは再び地を蹴って跳躍する。雪に足を取られるクレーと違い、魔族であって《ラユの地》に暮らすアイノは、《ラユの地》の環境に慣れている。雪が積もっていようが、身のこなしは獣のように軽やかだ。彼女は勝負を決しようと、クレーの巨体の背中側まで回り込み、首を狙い刺し貫こうとした。
しかし短剣の切っ先は、突然横入りした剣刃によって邪魔され、ぎいんという鈍い音を鳴らした。アイノは割り込んできた新たな敵に動揺をしながら、すぐさま跳んで後退した。
「まったく、危ないわね。クレー、アナタはワタクシを相手したときは容赦が無かったのに、あの小娘には手心を加えるの?」
「……!」
高らかな声を轟かせてアイノとクレーの間に立ちふさがったのは、細身の金髪金眼の女だった。アイノに向けてまっすぐと剣身を向けたまま、顎先を持ち上げて敵を見下ろしている。
「お前……キュリ・ジェニファー! 何故ここに?」
「受けた恩を必ず返すのが、ジェニファー家の流儀なのよ。……まあ、もうジェニファーの者ではないけれど、持ちうる信念は同じですわ。ヒース様にも、イルマさんにも、ミエリ族にも!」
キュリは一度剣先を引き、騎士の誓いを立てる時と同じようにして、自らの胸の上に剣身を沿わせた。真っ直ぐ上方へ、剣と右腕を持ち上げてから、ゆっくりとやや下方に向かって開かれる。切っ先は再びアイノに向かい、突き出された。
「このッ……貴族かぶれが!」
アイノはクレーに対した時とは比にならないほど、憎悪を剥き出しにして襲いかかった。魔族と戦うために生まれたウカ族の戦士だ、貴族令嬢ごとき一捻りだと思ったに違いない。ところが、アイノの予想とは裏腹に、キュリは巧みに剣を閃かせてアイノの攻撃を往なし、さらに鋭い突きを放って片頬を斬り裂いた。アイノは目を見張り、危機を悟って飛び退く。自らの頬に恐る恐る手を当てると、斬られたのだという事実を認識した。
「ご存知ないかしら? キュリ・ジェニファーは王都屈指の剣士でもあるのよ。アナタは先ほど、平民と貴族が、と仰っていましたけど……ワタクシで良ければ、その憎しみを受け止めて差し上げますわ。アナタが生きていられる間は……ね」
キュリの嘲笑じみた煽り文句に、アイノは顔を赤くさせて憤怒する。
クレーはキュリから貰った時間で、膝をついて傷ついた身体を休ませる。地下書庫でキュリに手加減しないほうがいいと判断したのは間違いではなかったのだと、ひそかに口の端をあげて笑った。
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