第30話 失望
深い雪山の中、銀髪の青年とルオンは無言で向かい合っていた。秘宝〝サンポ〟が変化した人間。まさかの事態にルオンも驚愕したようだ。さすがに生身で雪山に居させるわけにもいかず、場所を変えることにする。人里に降りてきて休ませると、〝サンポ〟とルオンは向き合った。周囲からはルオンの姿は見えないので、〝サンポ〟はやや風変わりな人間だと思われているようだった。
「〝サンポ〟は触れたものの願いを叶える秘宝です。自分は、ルオン自身の願いがもとになって〈魂〉・肉体・人格を得た存在……のようです」
宿場で頼んだ湯を飲みながら、〝サンポ〟がどこか虚ろに言ったのを聞いて、ルオンは頭を抱えた。まったく予想外だったのだ。確かにそういった信仰を持った秘宝だとは聞いていたが、本当に願いを叶える力があって、しかも《管理者》である自身ですら適用されるとは。
『僕の願いってなんだ? 何だと読み取ったんだ』
「混沌とした欲望が見えましたが、一番は友が欲しい、と」
『……』
片手でまたも頭を抱え、大きく溜め息を付いた。対して〝サンポ〟は不思議そうに首を傾げている。友の存在を願ったから、秘宝が人間になってしまったというのだ。何とも殊勝なことである。
「しかし、同じくらいに巨大な願いとして見えたのは、《管理者》でなくなること、でした。それは叶えたい願いですか?」
『何?』
〝サンポ〟が尋ねてきたことの意味が理解できなかった。叶うなら叶えたいのは勿論だが、とうの昔に諦めた願いだ。一つの世界が滅びるまでの時間など、考えたくもないほどに遠い未来である。
「自分は秘宝の強大な力を保持しており、主観的に使用できます。ルオンが願うならば、世界を滅亡させることは可能です」
『‼』
思わずごくりと唾を呑む。つまり〝サンポ〟は、ルオンが《管理者》を辞めるために世界を滅亡させ、別の誰かに《管理者》を移譲することを提案してきたのだ。本来であれば、自分自身が《管理者》として育み見守ってきた世界をおのずから滅ぼすなどと、とても受け入れがたい。だがこの時、世界の創生から文明の興りに至るまでとてつもない年数を過ごしたルオンには、これが甘美かつ唯一の希望であるように感じてならなかった。
『……待ってくれ。今すぐに決断できない。それはいつでもいいのか?』
「ええ、いつでも。自分はルオンの友ですから」
〝サンポ〟は平坦と答える。ルオンはこの時、滅亡という選択肢を保留したのだ。それから暫くの間は、ただ友人として接し続け、多くの時間を共にした。〝サンポ〟という呼称は不都合が多かったため、〝ノルタ〟という名を与えて呼んだ。久し振りにまともなやり取りをできる相手ができ、ルオンにとって穏やかで幸せな時間が過ぎていった。だがルオンは、どうしても《管理者》から逃れる可能性を捨てられなかった。結局、数十年を経た後で、ルオンは改めてノルタに世界の滅亡を依頼した。【カリヴィエーラ】を滅ぼし、次なる《管理者》を継いでくれ、と。
その頃になると、ノルタの存在は周囲にもただの人間でないと勘付かれていた。彼の内に渦巻く強大な魔力。魔術のカンに優れた者達は、ノルタが世界を左右しかねない力を秘めていると察して、捕らえて迫害しようとした。一方で破滅的な思想を持つ信奉者も生まれ、彼らの助けでノルタは北方へ逃れ、ルオンとの約束を果たそうとしたのだ。北方の《ラユの地》。そこでノルタは力を解放する。【カリヴィエーラ】を極寒のなかに凍てつかせ、滅ぼそうとした。
「……この、魔王め! 世界を滅ぼそうなどと絶対に許しはしない!」
突如、ルオンの記憶映像が飛んだ。映っているのは、ノルタの信奉者として《ラユの地》に同行していた者達だった。彼らはノルタに武器を向け、自らの〈魂〉による魔術を行使している。
『……裏切られたのさ。身内と思っていた者の中に、敵勢力の人間が潜んでいた。彼らの命懸けの魔術でノルタは封印されてしまった……』
「……」
処刑場で見た結晶体の中に、ノルタが封じ込められる。何体もの屍が転がっている中、生き残った者達が泣きながら喜んだ。世界を救った——ルオンから見た裏切り者達が帰還すると、大歓声に迎えられ、勇者や賢者と称えられた。
勇者と呼ばれた者達は【カリヴィエーラ】を治める王家を興隆した。賢者達は魔王の復活を恐れ、魔術の仕組みについて改変した。眠っている魔王ノルタから力を盗み出し、自らの〈魂〉を経由して行使するようにして、少しずつノルタから魔力を失わせようとしたのだ。数十年後には、王家が賢者の力を恐れ、その子孫を魔女と呼んで迫害。魔女狩りが行なわれ、一族の者達は《ラユの地》へと逃げ込んだ。魔女の間でも次第に分裂が起きて、魔族と魔族を狩る一族へと変遷していき、互いに終わらぬ戦いを続けるように。そんな人々の行いと、裏切りと憎悪、争いと悲しみの繰り返し……ルオンは冷え切った瞳で見続けた。
言葉を挟むことも許されないような、凄惨な歴史の記憶が流れるなか、見覚えのある顔が目に留まってイルマがあっ、と声を上げる。
『二五〇年前……リンロートの時代だ。この時代には封印がかなり弱まって来ていて、僕にとっては好都合だった。しかしあの女は、世界を救うためにとノルタの再封印を目指していた。だから僕は……』
——ルオンが囁く相手は、五体投地の姿勢をしながらも恐怖に震えていた。見た目には王家騎士隊の兵士だが、その正体は魔族だ。ルオンに命じられるまま、素性を隠して騎士隊に潜入させられている人間だった。
『いいか。《ラユの地》山頂、魔王の封印に辿り着く直前、あの女の足元を魔術で崩すんだ。失敗は許されない。変な気を起こしたり、逆らおうとすれば……お前の家族の命はない。分かるな?』
「はっ、はい……全ては魔王様の御心のままに……」
姿が見えない相手に囁かれ、兵士は完全に怯えていた。ルオンは満足げに鼻を鳴らす。もっともこの男が尻尾を巻いたところで、他に何人も魔族の者をリンロートの隊には紛れ込ませている。失敗はないだろう、と考えていた。
『だがあの女は、裏切られても、自らが縛られることになっても封印を行ったんだ。リンロートとモナンの〈魂〉は半分が再封印に用いられ、残り半分が転生した。とはいえ、〈魂〉の領域は僕の専売特許とも言える。二人の〈魂〉を引っ張り、再び【カリヴィエーラ】へと転生させ……後は知ってのとおりさ』
「そんな……」
ルオンが明かした事実にイルマは絶句した。リンロートを傷つけ、〈魂〉にまで及ぶ強迫観念を植え付けた裏切り行為は、ルオンが誘導して起こしたことだったのだ。
『失望したか? だが、人間とはそういうものだろ。実際リンロート達が死んだ後も、裏切った者の中から魔王封印の勇者を名乗る者が現れ、新たな王族になった。それが現在のアルテンブルグ王家だぞ。ヴァイが兄を憎んで、見殺しにする気持ちも分からなくはないな』
「……」
イルマは返す言葉を失ってしまい、下唇を噛む。ルオンは可笑しそうにけらけらと笑ってみせた。
『さあ、決めるがいいさ。【カリヴィエーラ】の人間が滅びるべきか、この腐った人間達を庇護する役目を未来永劫続けるべきかを』
ルオンは試すようにそう言って、期待を込めた目線を向けてくる。イルマはルオンが見てきた人間達の姿を思い起こし、唇を横一線に結んだ。
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