第28話 魔王ノルタ
処刑場は魔族とミエリ族の二人が戦い、荒れていた。常人には目で追うことすら苦労するほどの速さで展開する争いのなか、魔王とその周辺だけは時が止まったようにして静かだった。長い抱擁を終えると、感情を持たない銀の瞳がじっとルオンの顔を見ていた。
「自分が眠っている間も、【カリヴィエーラ】は滅びなかったのですか。ルオンの望みは叶わなかった?」
『ああ。僕にしてみれば、《管理者》を任せるのはお前以外に有り得なかったからな』
「そうですか……」
魔王ノルタは逡巡し、寂しげに目を細めたが、次の瞬間には人間らしい情動は消え去り、冷たい顔つきでルオンを見据えていた。
「では、始めてもよろしいですか? ルオンの望む滅亡を」
『ああ、始めてくれ』
ルオンが嬉しそうに答えると、魔王ノルタは天に向かって右腕を掲げた。眼には見えないながらも強大な力が集まり始め、《ラユの地》の大地や山々が唸り出す。吹き荒れていた風がさらに強くなり、吹雪に混じって雪の量も増えていく。処刑台付近で戦いを続けているレンカが、まずい、という顔を見せたが、すぐにハイネから妨害されて止めに入れない。魔王ノルタを中心にして、凍てつく暴風がその勢いを強めていった。
『この儀式も懐かしいな。やっと終わる……感謝するよ、ノルタ』
「自分はルオンが生み出した人格ですから。ルオンが望むのなら、叶えます」
吹き付ける風は強くなる一方だというのに、魔王ノルタは微動だにせず、掲げた右腕もぴんと張っているままだった。その心のない表情と同じように、動きにも人間らしい部分は見当たらない。
ところが、ノルタは突然右腕を降ろすと、うっ、と小さく呻いた。傍らのルオンは吃驚の表情を浮かべ、ノルタの肩に触れる。
『どうした⁉ お前が苦しむなんてありえない。何が起きた?』
「……? 自分にも……不明……内部で何か……?」
『内部?』
ルオンは周囲の状況や魔族達、視線をあちこちに泳がせつつ、思案を巡らせた。そしてある可能性に行き着くと、青褪めた顔をして戦慄した。
『……イルマか……‼』
そう呟くと、ルオンは舌打ちをして苦々しく顔を歪める。しばらく逡巡した後に、ルオンは決意を固めたように口を開いた。
『ノルタ、お前を封印していた女の片割れだ。封印が解かれたドサクサに、お前の〈魂〉に留まって邪魔をしている。僕がお前の中に入って……排除する。待ってろ」
ルオンはそう言って魔王ノルタの額に手を当てると、姿を消した。やがてノルタは立っていられなくなったのか、がくりと雪原の上で膝をつく。
「何だ……なにか……聞こえます……」
〈ちょっと、その寒くするやつ止めてよ! 滅びちゃうでしょ!〉
「……?」
身体の内側から響く不可解な訴えに、ノルタは眉を潜めた。まさに今、世界そのものを滅ぼそうとしていて、何を言われても止める理由はないのだ。膝をついた状態のまま、何とか腕を持ち上げて滅亡を進行させるよう努める。
魔王ノルタの内部——〈魂〉の中。
イルマは、リンロートと会話していた奇妙な空間に居座り、魔術を行使してノルタを妨害していた。リンロートと融合してから、まるで生い茂る木々から枝先がしなだれているようにして、この場所全体をみっしりと覆う糸状のものが見えるようになった。理論的なものは良くわからないが、垂れ下がる糸ひとつひとつに力が通っているのを感じる。糸の姿をした力の奔流を掴み、引き寄せたり絡ませたりすると、〈魂〉全体が苦しそうに呻くのがわかった。そこで、以前にルオンにやられた
「もう、魔王だっけ? ほんと強情なんだから! 声聞こえてるくせに聞く耳を持たないじゃない!」
めいっぱいに糸の形をした魔力を引っ張りながら、イルマは文句を零した。時折引っ張り返されるのはおそらくノルタの方の意思なんだろう。まるで運動会の綱引きみたいだ。
〈邪魔をしないでください。自分の役割は世界を滅ぼすことです。静かにしていてくだされば……すぐに〉
「だから! ダメなんだってば! いったん止めてよ!」
イルマは〈魂〉の持ち主であるノルタに言い返しながら、妨害を続ける。
『強情なのは、お前も一緒だろう……。イルマ』
「!」
頭の中に響いた声を聞き、イルマははっと息を呑んだ。今となっては懐かしい心地だった。
「ルオン……!」
〈魂〉の世界だからなのか、ルオンの姿ははっきりと、転生前に出会った時の青年の姿をして見えた。後ろに立ち、ひどく複雑そうな顔をしてイルマを見つめているルオンに、イルマは魔力をぐいと引っ張りながら振り向いて、不敵に笑った。
同じ頃、現実世界側の処刑場。イルマの首を抱えたまま泣いているヴァイは、自分自身にモナンの〈魂〉が侵入してくる感覚を覚えていた。モナンの〈魂〉もリンロートのように自由となれた筈だが、モナンはヴァイと一つになることを選んだ。融合の瞬間、モナンは驚くべき事実をヴァイに伝えた。
『ヴァイ、もう一人の我が〈魂〉よ。リンロートの〈魂〉が魔王の中から出てこない。もしや、あの娘の中に……』
モナンの声が伝えたのはそこまでで、彼の意思はふつりと途絶えた。ヴァイは信じられない心地で、腕の中のイルマの首を見た。悲しげに歪んだ顔の瞼と唇を閉ざしてやりながら、魔王ノルタの方へと振り向く。確かにモナンの言い残した通り、苦しそうに膝をつく魔王がそこに居た。
「君……なのか……? イルマ……」
臆面も無く泣き腫らした顔には王子らしさの欠片も残っていない。ヴァイは動揺と迷いを湛え、震えた声で呟いた。
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