第26話 わたしはあなた

 イルマはどことも知れぬ場所で立ち尽くし、泣いていた。暗闇でもないが明かりもない、奇妙に泥々とした多色が織り混ざっては分離し、繰り返され、永遠に続く場所。地面を歩く感覚は不思議と硬質で、足を進めることには苦労しない。だがイルマにとって、ここがどのような場所であるかなど、もはや興味を持つ対象ではなかった。魔王が封印を完全に破るまで、消滅を待つだけの時間……。


『……イルマ……』

 泣き腫らすイルマを誰かが呼んだ。どうせ空耳か、魔王に与する何者かだろう。今のイルマには諦めの気持ちしかなく、声の主へと振り返る気すら起きなかった。

『泣かないで……』

 すると声の主は気付かぬ間にイルマのもとへ接近し、ふわりと頭を撫でた。その手の温度は酷くあたたかく、そして懐かしい心地がする。イルマが滲んだ視界をゆっくりと持ち上げると、隣で悲しげに笑う女性が立っていた。顔つきが自分と似ているが、桃色の髪を後頭部の高い位置でひと括りに縛っており、快活な雰囲気を醸し出している。


「リン……ロート……」

 イルマは確信を持ってその名を呼んだ。直感だが違いない。リンロートもまた、ゆっくりと頷いて肯定した。


『ここは、魔王の〈魂〉の中。私は、封印が解かれたことで〈魂〉が解放された……でも、自分の意思でここに留まっているの。あなたと私、分たれた〈魂〉と一つになる為に』

「……どうして? あなたの〈魂〉はもう自由になったはずでしょ? わたしの〈魂〉と一緒になる必要はないはず」

『ええ……でも、そうじゃないのよ。私はあなたの前世であり……あなたは私でもある。どちらも欠けてはいけないと思うの』

 リンロートは指先でイルマの頬に溢れた涙を拭う。自分自身のはずなのに、歳の離れた姉に慰められているような気がして、何故だかイルマの気持ちは落ち着いた。


『教えてあげるわ。私とモナンが見たもの。私たちの過去、起きたこと……』

 リンロートはそう言うと、イルマの手を柔く握った。すると頭の中に鮮明な映像が流れ込んできた。記憶にない景色、生活、親しい人々の顔。

 これはリンロートの記憶だった。


———————

 

 リンロートはハミルトン家とそう大差ない、貴族家の生まれだ。活発で好奇心旺盛な性格で、他の多くの貴族とは一線を画した存在でもあった。彼女の近衛騎士であるモナンもまた、相当に手を焼かされながら付き従っていた。

 この当時、約三〇〇年前にかけられた魔王の封印がかなり弱まっており、【カリヴィエーラ】全土は止まない雪と寒さに苦しめられていた。窮状を憂いたリンロートは王家や周囲の貴族を巻き込み、魔王の再封印を志した。果敢に《ラユの地》に足を踏み入れ、魔王が眠っている地へと向かったのだ。

 しかし、リンロートの願いは後一歩のところで崩れ去る。登山道の途中で、足場が崩れて転落したのだ。足元から魔力の奔流を感じ、身内に潜んでいる裏切り者の仕業だと勘付いたが、もう遅かった。咄嗟にモナンへと手を伸ばしたが届かず、リンロートは谷底へと落ちていく。騎士モナンは迷わずに、リンロートを追って自らも谷底へと身を投げた。


「モナン、あなたまでどうして!」

「リンロート、貴方だけを死なせるわけにはいきません!」

「バカね……。モナン、お願いがあるの。ここから〈魂〉を使って封印をするわ。あなたも協力して!」

 底の見えない闇へと落ちゆく中、リンロートはモナンと向き合い、手を繋ぐ。〈魂〉の魔術を行使した。

 二人の肉体は消え失せ、代わりに眩い光が立ち上った。〈魂〉だけとなった二人は魔王の結晶体にたどり着くと、石膏像へと形を変える。魔王から溢れ出ていた魔力は抑えられてゆき、【カリヴィエーラ】を包んでいた冷気も消え失せていった。

 

 二人の犠牲による封印で世界は救われたが、様々な者達の思惑で事実は伏せられた。やがて帰還した者達から封印の勇者を名乗る者が現れ、次世代の王家を形作っていったのだ。


———————

 


 『……あのとき身内に裏切られたことは、私にとっては衝撃だった。その時の恐怖、イルマあなたの〈魂〉にまで刷り付いてしまったようなの。だからあなたの中には、人に裏切られたくないという強迫観念が根付いている。覚えがあるでしょ、期待に応えようと無理をしてしまうこと……』

 イルマは頷いた。リンロートの言う通り、嫌われたくない一心で無理をして人と接した経験があった。先ほどのリンロートが滑落した際に見た映像は、自分自身が地球で死んだと認識していた記憶とすべて一致している。やはりルオンの言う通り、自分の記憶は偽物だったのだ。


 リンロートに見せられた記憶は、前世の別人と分かっていても辛く苦しかった。世界のためと身を挺したのに、裏切られて名声を利用される。ヴァイが誰も信用しようとせず、何を犠牲にしてでも彼女を救いたい、そう願った気持ちも分かる気がする。言葉を失っていると、リンロートは慈悲深い顔でこちらを見つめて、きり、と目元を厳しくした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る