第23話 裏切り

 イルマが目を冷ましたのは、氷のような鉄床にくっついた頬から痛みを感じた時だった。飛び退きたかったが、気力が無くて気怠くゆっくりと身体を起こすことになった。ひどくかび臭く、重暗く鬱々とした場所にいた。暗闇に目が慣れてくると、ここが牢屋の中であると認識できた。イルマの右足には枷が嵌められている。バーバリー領から着てきた防寒着は脱がされ、簡素な衣服だけを数枚纏っている状態だった。


「ようやく目を覚ましたか」

 そこへ、機会を窺っていたかのようにちょうどよく声が掛けられる。声の主はイルマもよく知っている男だった。


「ヴァイ……」

 名を口にすると、イルマ自身が思っていたより相当に掠れた声が発せられた。牢屋の環境によるものはあるだろうが、それ以上に喉が乾いて張り付いている感覚がする。

「うまく喋れないだろう。貴方は四日も寝ていたんだ」

「……そっ。けほっ、こほっ……」

「本来魔術を扱えない貴方をヒウルが無理やり魔術で連れて来たから、その反動らしい。今はあまり喋ろうとしないほうが良い」

 ヴァイはそう言って牢の前に屈み、コップに入れた湯を差し出した。イルマはヴァイのいる柵の前まで下半身を引き摺るようにして這っていき、牢の柵越しにコップを受け取った。一息に飲み干すと、温かい湯が全身に染み渡っていき、生き返る心地がした。



『お前は相変わらず、人を疑わないな。その湯に毒が入っていたらどうするつもりなんだ?』


 その時、ヴァイのものではない声が牢屋内に響いた。いや、違う。。イルマはまさか、という思いで顔をあげ、ヴァイの隣に立つ人影を凝視する。そこにはよく知った姿の青年がいて、いつでも不満そうな険しい表情がこちらを向いていた。


「る、ルオン……?」


 イルマが愕然と呟く。神であり《管理者》である青年、ルオンは僅かに眉をひそめた。


「なんで、ルオンがここに居る……の? それに、ヴァイ……まさか……」

 動揺して声が震えた。ヴァイははっきりと、今ルオンが立っている場所へと視線を向けていた。


『そう、転生したのはお前だけじゃない。。お前と同じように僕の姿を見て、声を聴くことができる』

 ルオンが告げたことにイルマは驚愕して腰を抜かし、ぺたりと尻餅をつく。手に持っていたコップが落ちて、からからと転がった。

 ヴァイも転生者。だとすれば、これまでルオンが助言してくれて、側にいてくれた理由は何だったのか。ヴァイにもルオンの姿が見えていたなら、わざわざ見えていない振りをしていたのは何故なのか。纏まらない思考の中に、ルオンの嘲笑する声が投げかけられた。


『悪いな。僕はお前を利用したんだ。ここに居る、ヴァイ……いや、モナンもな』

 言われている意味がわからずに呆然とルオンを見上げると、隣でひどく悲しそうにしているヴァイの顔が目に入った。


『ヴァイの目的は、リンロートの〈魂〉の解放だった。リンロートは、イルマ、お前のだよ。リンロートはモナンとともに、自らの〈魂〉を犠牲に、魔王の再封印を果たした女だ』

「リン……ロート? その人が、わたしの前世?」

『そう。リンロートが施した封印は強力で、封印を解く為にはある素養が必要だった。封印当時のリンロートにごく近い〈魂〉……清らかで善性な人格の持ち主である必要がな。だから僕は、リンロートが転生した〈魂〉であるお前の記憶を弄った。遠い過去、リンロートとして生まれるよりさらに昔……その〈魂〉がかつて生きた際の記憶を用いて地球出身と思い込ませた。そうしてお前はまっさらな状態で【カリヴィエーラ】で生きてきて……魔王封印のため奔走し、最期には絶望することになった』


 ルオンの語る内容は残酷で、勝手に涙が溢れ出た。

 イルマはそもそもイルマですらなく、地球に生きていた記憶も嘘で、前世のリンロートという女性の為に生かされてきた、というのだ。


『本当なら、ヴァイの〈魂〉を弄るつもりだったんだが……そいつにはモナンの記憶と想いが焼き付きすぎていた。もう僕にも手出し出来ない位にな。仕方なく、リンロートの〈魂〉の解放を持ちかけて、協力してもらうことにした』

 やや呆れ気味に振る舞うルオンの横で、ヴァイは俯いていた。犯した罪を白日の下に晒され、処罰を受け止めようとするような、後悔が滲んだ顔をしている。やがて、誰へともなく語り始めた。


「私は……私の前世はモナンという名だった。リンロートの騎士として魔王封印を志し、ともに《ラユの地》を踏んだ。だがリンロートは、魔王の下へ辿り着く直前に滑落してしまった。私はリンロートを追って身を投げ、死の直前に彼女とともに〈魂〉を使って魔王封印を行ったんだ。再封印は果されたが、結果として……私とリンロートの〈魂〉のが人柱となり、縛り付けられることとなった……」

『このせいでお前も、ヴァイも、〈魂〉の量が半分しかない。二〇歳までに、と命じたのは、そこまでしか生きられないからだ。どちらにせよお前たちは、近い内に死ぬ運命にあった』

 次々と明かされる事を受け止めきれず、イルマは打ちひしがれる。登山中に滑落して死んだ記憶。あれは地球での自分ではなくて、リンロートの記憶だったのだ。封印をした結果〈魂〉が半分になり、イルマとヴァイの寿命は短くなった。


「しかし私は、生きられないことなど良いのだ。リンロートが……彼女の〈魂〉が半永久的に魔王のもとで縛られ続ける、その重さに耐えられなかった。たとえ半分でも〈魂〉が縛られるかぎり、彼女の苦しみは続く。だからどんな手を使っても救いたかった。私はリンロートを心から愛していたから……」

 ヴァイはこの独白の時だけ、夢を見ているような笑みを浮かべた。その瞳には全くイルマを写しておらず、遠く離れた誰かを──リンロートを想っているのだと感じ取れる。同時にイルマは、ヴァイという人間はいつでも自分を通してリンロートを見ていて、イルマ本人に親愛の情を持っていた訳ではなかったのだと悟った。


「……わ、わたしは……わた、し……は……」


 イルマは譫言のように呟きながらがっくりと項垂れた。涙腺が壊れたか、雫が溢れ出て止まらない。誰一人、イルマ自身をイルマだと扱っていなかった──リンロートという前世の人間のため、裏切られ利用され続けていたのだ。ヴァイを救い、魔王封印を果たそうとしていた意義も、今まで生きてきた意味すらも、すべてを見失った。


『魔王が解放されれば世界は滅亡するが、〈魂〉はいつか転生できる。だから申し訳ないとは思うが、今回は諦めてくれ。……お前は明朝、処刑される。最期の夜の間に、気持ちの整理を付けておくことだな』


 ルオンは淡々とそう言って背を向けると、牢屋の前を去っていく。裸足だが足音はしない。神であり《管理者》──異質な存在であることを、今になって知った気分だった。ヴァイは複雑そうな顔でイルマを見たが、雑念を払うようにして頭を何度か横へ振り、踵を返して去っていった。

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