第9話 王宮の地下書庫

 キュリは地下へと近付くにつれ、初対面時に見せたにこやかさは影を潜め、時折鋭い目つきを向けるようになっていた。王宮内を進むにつれてどんどん人の姿が減っていき、見えなくなっていく。地下と聞いてはいるが、イルマは違和感を覚えつつ、逆らうことのできない立場もあって黙って後を追う。

「ふうん、顔はまあまあじゃない。あの朴念仁が見初めるだけはあるわね」

「えと……?」

「着いたわ。ここが書庫よ」

 何事もなかったかのように言われ、怪訝に感じつつ開けられた扉の向こうへと視線を向けると、そこには壮観な光景が広がっていた。天井から床までぎっちりと詰まった本棚に、多種多様の分野、分類までに及ぶ膨大な書架が収められている。地球一般人時代に読んだ、中世魔法ファンタジー作品で描かれたそのままの世界が広がっていたのだ。


「わあっ! すごい!」

「アナタが探してるっていう魔王封印の伝説関連は……ああ、こっちね。その棚よ」

 キュリはすたすたと進むと、二、三架離れた棚を差し示した。すぐに見に行くと、それらしき題名の本がずらりと並んでいる。

「ありがとうございます! 本当だこんなに……王家の興隆に関する資料もありますね。あ、これも……!」

 イルマは目を輝かせて資料を漁る。ハミルトン領内では見たこともないような貴重な文献ばかりで、ついつい没頭してしまう。

 王家保管の書架をわざわざ地下まで案内して紹介してくれるだなんて、何ていい人なんだろう。キュリを少しでも疑ったことが恥ずかしいな、とイルマは考えていた。



『オイッ、後ろ!』

 ルオンが頭の中で勢いよく叫んだと思った瞬間、ぎょっとして逃げ腰気味に振り向いたイルマのすぐ目の前を、刃が振り抜かれていく。

 衝撃で腰を抜かし、その場にがくりとへたり込んだ。信じられないことに、後ろに立っていたはずのキュリはいつの間にか剣を抜き、切っ先をイルマの首に向けていた。

「あら、よく避けたじゃない。意外に動けるのね」

 涼しい顔で言ってのけるキュリ。嘲笑を浮かべながら、金の瞳は虫けらでも見ているかのように冷えきっている。

「……どっ、どうしてですか?」

「どうして? そうね、アナタは邪魔だからかしら……。こんな地方貴族の田舎娘とヴァイモン殿下が婚約でもしようものなら、王都の貴族達の笑い者よ。ご兄弟であるヒース様のご評判にも傷がつくのよね」

 キュリは頭頂から抜けるような甲高い声で笑っている。身分の高さが示すとおりの、親切で慈愛に溢れた方だと思ったのに。

 イルマは愕然とする。【カレヴィエーラ】では幸いにも優しい人達に囲まれていたために、イルマにとっては初めて経験した裏切りだった。


『早く立て! 殺されるぞ!』

「あっ、わわっ……!」

 ルオンに急かされて、イルマは足を絡れさせながら何とか立ち上がると、地下書庫の奥へと走った。

「あら、鬼ごっこ? いいわね。精一杯抵抗しなさい」

 キュリは剣を手の中で弄びながらゆっくりと近付いてくる。

 どこをどう行けば出られるか分からず、イルマは必死に書庫内を走り回る。地下だというのに書庫内はとてつもなく広い。ぴしりと隙間無く並んだ書架が迷路のように入り組んで、どこまで走っても出口に辿り着かない。

「あ〜〜やばいやばいやばい!! はぁ、はぁ、どっどっどうしようルオン!」

『落ち着け、レンカから貰ったブレスレットは?』

「そうだった!」

 イルマはルオンに言われて、右手首のブレスレットに手をかける。

《舞踏会当日にもし危険なことがあれば、これを千切ってくれ。オレの代わりに信頼できる奴を助けに寄越す》。

 魔術が練り込んであるというこのブレスレット。レンカの言葉通りなら助けが来るはずだ。イルマは走りながら、ふんぬ! と唸ってブレスレットを力一杯引っ張った。その最中、曲がり角に差し掛かったところで、奥から刃が閃くのが見えて戦慄した。

「ぎゃあ!」

「ふふっ」

 悲鳴を上げながら後ろへ飛び退くと、イルマがたった今、通り過ぎようとした位置に剣先が突き出された。キュリは愉快そうに笑い、肩をすくめる。しかし今の攻防で、知らぬ間に手首のブレスレットが千切れていた。キュリの剣先が掠ったのだろう。


 (しめた!)

 イルマは祈るような気持ちで周囲を見回し、物音に耳を立てる。様子が変わったことに気付いたのか、キュリも怪訝そうな表情でこちらを窺っている。ところが、少しの間待ってはみたものの、地下書庫内はしんと静まり返ったままで、なんの変化もなかった。


「……とっておきの魔法は、お終いかしら?」

 馬鹿にした含みを持たせて、キュリが尋ねてくる。イルマは半歩ずつ後退しながら、再びくるりと振り返って全力で駆け出す。


「レンカ〜〜〜〜〜!!!!!!!」

 

 頼みの綱の男にも裏切られ、イルマは半泣きになりながら叫んだ。

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