第7話 王都アルテンブルグ

 数月後、嫁行きかってほど泣くお父様に見送られつつ、ハミルトン家から馬車に乗る。ハミルトン領と王都は隣り合っているが、邸宅は西端にあるので王宮までの距離がある。転生してからこのかた、南方のイザベル領くらいまでしか遠出をしたことがないイルマには、馬車の窓から目に入る景色でさえも新鮮だった。


 丸一日馬車に揺られ続け、王都・アルテンブルグへとようやく到着した。

 馬車を降りて目の前にする王都の眺めは壮観だった。まだ市街地だというのに建造物がハミルトン邸と同じくらいまで天高く伸びており、立ち並ぶ建物の外壁は色鮮やかだ。教会の鐘楼から鐘の音が鳴り響いている。すれ違う人々の数もとても多く、ハミルトン領内とは比べものにならない。

 東京ほどじゃないけど、人が多いな。でも建築は断然こっちの方がお洒落だわ。

 胸を弾ませながらイルマがそう考えていると、心の中でルオンが口を挟んだ。

『トウキョウ?』

 (あ、地球の都市のひとつだよ。めちゃくちゃ人口密度が高かったんだ)

『ああ、地球の記憶のね……』

 

 王都の賑わいに圧倒されていると、こちらに向かって手を振っている者がいることに気付いた。老齢の紳士で、きちっと執事服を着こなしている。

「お待ちしておりました、ハミルトン家のご令嬢。私は王家の遣いの者です。ご案内するようにとヴァイモン王子から承って参りました」

 執事の男性は深く礼をしたあと、侍女達からホイホイと荷物を奪い取ってしまった。こちらです、と笑ったあと先導するように歩いて行く。イルマは空いた手で無意識に、手首に付けた編み糸のブレスレットを擦った。

『いい心がけじゃないか』

 (あ、無意識だった。忘れない様にしなきゃね)

 ハミルトン家を出発する前日、王都で情報を探ることを知らせていたレンカから、このブレスレットが届いた。


 ——《ブレスレットに魔術が練り込んである。舞踏会当日にもし危険なことがあれば、これを千切ってくれ。オレは顔が割れてるから、代わりに信頼できる奴を助けに寄越すよ。頑張ってね、愛するお嬢様》——

 レンカの手紙にはそう記されていた。


 執事の男性に案内された宿で休み、その翌晩に舞踏会は開催される。侍女達が宿まで付いてきて準備を手伝ってくれたが、王宮へは一人で向かった。

 アルテンブルグ領内東端に位置する湖畔を背にするようにして、湖沿いに王宮は建っている。鏡写しになった王宮は舞踏会のために点けられた明かりで照らされて、幻想的な風景を創り出している。王宮へと近付くにつれ、煌びやかな衣服を纏った令嬢、当主、騎士達が、続々と集まっていく。


 舞踏会会場は、王宮内に備えられた大広間だ。すでに多くの来場者で埋め尽くされており、イルマは圧倒される。社交界へのデビュタントは少し前に済ませたが、田舎貴族の形式だけのものといえばいいだろうか。まさか王都に招待されるとは思っていなかったし、貴族達の熱気に負けて、あれよあれよと壁際に追いやられる。

『おいおい。早速、いつもの弱気が出てるぞ。ヴァイと踊るんだろ?』

「そうは言っても……ヴァイどこなんだろ。王子だし……まだ来てないかなあ」

 哀れに思ったのか、蝶の姿で肩に留まって話し相手になってくれるルオン。一応、会場内を見回してみるものの、まだ王族の人達の姿は見えない。


『セレモニーもこれからだろ? 大人しく社交に勤しんで愛する王子を待つことだな』

「そうだよね。ハミルトンの意地を見せて……特産品の交易相手の方、どこかなあ……ん?」

 ルオンと話していると、不意に背中から妙な圧を感じた。じっと凝視されているような強い好奇心を感じる。イルマが振り返ると、すぐ近くに見知らぬ女性が立っていて、固唾を呑んでこちらを見つめていた。さらさらとした暗い藤色の髪が美しい女性。ドレスの装飾具合から見ても、どこか名のある家の令嬢だと思われた。


「貴方いま……蝶々さんと会話を?」

 藤色の髪の女性は少し怯えた様子でそう尋ねてきた。

 やばい。イルマとルオンに戦慄が走る。

 つい、いつもの癖で声に出して喋ってしまっていたようだ。ルオンと話しているところを見られた。女性にはルオンの声は聞こえていないから、イルマが勝手に喋っていたように見えているはずだ。これってやっぱり、わたしがルオンに処される……?

『いや……僕が誰かは知られていないから、まあ……』

 普段の自信たっぷりな態度から一転して口篭もるルオン。

 まあって何⁉ 自分のせいでバレたときばっかり曖昧になるな‼ イルマは心底叫びたかった。

 とりあえず、イルマはルオンに今すぐ殺されるわけではないようだ。


「……ちょっ、ちょっちょっとこちらへ、こちらへ来てくださいます⁉」

 イルマは大慌てで令嬢を引っ張り、大広間のすぐ隣にある中庭まで出た。何とか誤魔化さなければいけない。

「えーと、実は私、この蝶さんとお話ができて……。気持ち悪いわよね、ごめんなさい。できれば、秘密にしておいてほしいの」

 慌てて弁明するが、例の藤色髪のご令嬢は俯いたまま肩をぷるぷる震わせていて、表情がわからない。

 気味悪がられたかな、無理ないか。

 イルマがそう考えていると、ご令嬢はゆっくりと顔を上げた。——好奇心、憧れ、感動。そんな感情で彩られたキラキラした瞳がこちらを向いた。予想外の反応に面食らっていると、物凄い勢いでイルマの手をガッシリと握って来た。


「素敵‼ なんて素敵なの。蝶々さんとお話が⁉ ぜひ、詳しくお話を聞かせて下さらない⁉ ああ、わたくしティエラ・バーバリーと申しますわ。バーバリー男爵家の令嬢ですの。よければ、お時間をいただけるかしら?」

 初見での印象とはまるで違って、早口でばーっと捲し立てて喋ってきた。

 なんだか知らないけど、嫌われてはいないようだ。蝶が好き……? なのかな?

『い、印象、変わったな……』

 珍しく動揺しているルオンの声が響いて、思わず頷いてしまった。

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