第5話 深夜の取引
ヴァイが帰った後、夜遅くのハミルトン邸。イルマは邸宅東棟の奥にある、自室へ向かって歩いていた。
今日は刺激的なことばかりでかなり疲れてしまった。しかも後から気付いたが、襲撃騒ぎであたふたしている間に、ヴァイに魔王封印についてを聞き忘れてしまったのだ。招待状を送ってくれると言っていたので、そのままの流れで文通は出来るかもしれないが、一番の目的を忘れてしまうなんて。
『今日ばかりは仕方ないな。まあ
ルオンも珍しく情けをかけてくれた。実際、ルオンが居なかったらヴァイは死んでいただろうから、感謝するばかりだ。
寝室に入って扉を閉めると、ふう、とひと息付く。
その瞬間、誰かが外から、窓を数回ノックする音が鳴り響いた。
イルマはめちゃくちゃに仰天した。深夜も深夜、来るはずのない来客者。思い当たる原因は一つしかない。
「幽霊‼ 幽霊だよルオン! はやく! はやく成仏させて‼」
『いや待て待て、単細胞女。違う。よく見てみろ』
イルマは慌てふためいて叫んだが、不本意ながらルオンの悪口でちょっと落ち着いた。言われた通り、目を凝らして夜闇を見つめてみると、ローブに身を包んだ男が立っている。男がにやり、と笑い、白い歯が闇の中に浮いて見えた。紫の瞳に褐色肌。ヴァイを襲ったあの暗殺者だ。
「あ、あんた……‼」
思わず叫びそうになった所に、暗殺者の男がしー、という口の形をつくって人指し指を立て、ウインクをした。その後、人差し指がそのまま窓を指差し、カチリ、という音を立てて鍵が外れた。
「はっ⁉」
イルマは恐怖におののいて、後ずさった。男はのんびりと窓を乗り越えて、自室に入ってくる。ハミルトン邸は今日の事件があったばかりで厳重に警備が敷かれているはずだ。この寝室前までどうやって入って来たのだろうか。
「な、何……? わたしに何の用?」
暗殺者の男は土足のまま降り立つと、軽く埃を払ってからきょろきょろと周囲を見回す。そして、大胆にもその場へどっかりと座りこみ、口を開いた。
「アンタさぁ……どうしてオレが王子を狙ってるって分かったの?」
暗殺者の男は隙の無い笑みを浮かべていた。夜闇のようなローブの下から、紫の瞳が探るようにこちらを見ている。ヴァイとはまた違う、したたかで艶やかな雰囲気を持っていて、何となく気圧されてしまう。
「常人じゃ避けられないんだよ、オレの弓は。なのにアンタはまるで分かってたみたいに倒れて、王子も避けさせたよね」
男に訊かれ、イルマは答えに窮する。蝶の姿をした神様といっしょに暮らしてて、助けてもらったとは言えないし。
「もしかして予知能力、とか? だったら凄いよね。それ、欲しいなあ……」
すると暗殺者の男は立ち上がり、急に距離を詰めてぐいと腰と顎を掴んできた。細めの体躯に似合わず力が強く、イルマは全く動けなくなる。
観察するように男の目線が頭から足の先まで這って行く。少しずつ男の顔が、紫の眼が、唇が、イルマの顔に近づいて来る。右耳から下がるピアスがちゃり、と揺れる。互いの顔が触れるほどまで接近して、薄い唇が捕食するように、やんわり開かれて──。
「ちょ、ちょちょちょ待っ! 待って! あ゙~〜〜‼」
パニックに陥ったイルマが必死に悲鳴をあげたところで、接近していた唇はぴたりと停止した。
「声デカッ。アンタの家の人に気付かれるから、小さくしてよ」
「あ、ごめん。必死になるとつい」
イルマの反応に男は若干引いていた。諦めたように顎と腰から手を外して、拘束を解いてくれた。腕を組んでイルマが答えるのを待っている。
「なんで襲撃が分かったか、だよね。悪いけどそれは言えなくて……ただ、代わりに教えてあげる。わたしも王子の命を狙っているの」
暗殺者の男は目を瞠る。イルマの言葉はもちろん嘘だ。当然だがヴァイの命など狙っていない。内心では演技がバレないかと怖かったが、今が頑張り時、と奮い立てて踏ん張った。
「ここで王子が殺されると都合が悪かったのよ。領内で王子の命が絶たれれば、当然だけれど我が家が責任を負うことになるわ。最悪、取り潰しになるかも。令嬢としてそれは避けたかったから。……ところで、わたしと手を組まない?」
夕食の際にお父様と話した内容を都合よく言い換えて、それっぽく伝える。イルマが続けた提案に、男の肩がぴくり、と動いた。
「組んでくれたら、わたしから資金的に援助もできるわ。わたし達、王子を殺したいのは同じでしょ。だったら別々に行動するより効率も良いじゃない? あなた、腕もいいみたいだし」
「ふうん……?」
表情にはあまり出ていないが、困惑しているような声だった。イルマとしては是非この男と繋がりを持っておきたかった。もしまたヴァイが襲撃されることになってもイルマから先んじて伝えられるし、王家に敵対しているというのなら、魔王側だ。封印に関しても詳しいだろう。目標としている魔王封印に近付くことが出来るかもしれなかった。先ほど『欲しいなあ』と言われたとのだから、自分はこの男にとって何らか価値があるはずだ。
「……ヘンな女。分かった、手を汲もう」
「本当⁉ やった!」
暗殺者の男は疑いの眼差しを向けてきているままだが、頷いて了承してくれた。イルマは喜んだ。大きく進歩した気がする。
「オレは、レンカ。ミエリ族っていう一派の者だ。アンタは、イルマさんだっけ?」
暗殺者の男・レンカは、被っていたローブを外して顔を見せてくれる。やや癖のある黒髪、褐色肌に紫の瞳。色気があり、美形といえる顔つきだ。
「イルマ・ハミルトンよ。仲良くしましょう」
自信ある笑みを装いながら握手する。レンカの方も笑顔を見せてはいるが、本音のところはどう思っているのか、感情の揺らぎがほとんど顔に出ないので、ちょっと推測できそうになかった。油断できないけど心強い。
「じゃ、オレ今日は戻るね。また連絡するから。愛するイルマお嬢様」
レンカは軽い調子で言うと、イルマの額に口付けを落とした。わ、と照れるイルマを尻目に、顔の傍でひらひらと手を振ると、地を蹴る。物音もなくどこかへと消え失せてしまった。さすが暗殺者、おっかない。
「ふう……」
イルマはホッと胸を撫で下ろしていた。堂々と交渉できる人を装うのは怖かった。相手が物分かりの良いタイプで幸運だった。……顔もいいし。
『一言、余計なんだよ……』
頭の中で神様がツッコミを入れてきた。心の中の呟きくらい見逃してほしいところだ。
『でも収穫はあったな。ようやくお前の使命に近付けそうだ』
「あら! ルオン様、褒めてくださるんですか! 珍しいなあ」
『ふん……』
相変わらずの態度だが、ルオンもちょっとだけ嬉しそうにしている。激動の一日だったけど、何とか危機を乗り越えられた。
──二〇歳になるまで、あと一年半だ。
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