第4話 危機
「……はは! イルマは話がとても上手ですね、聞いていて飽きません。お会いできてよかった」
「そうかな? ヴァイも結構言うね。さっきの話、執事さんに言いつけちゃうよ」
「どうぞ勘弁を……」
気付けば敬語を使うことも忘れて、ヴァイと話すようになっていた。ハミルトン家が誇る庭園は国内各所から取り寄せた植物たちに彩られており、庭中が優しい香りに包まれている。可憐な花々に覆われたアーチと、暖かな質感の石材で敷かれた通路を歩いていくと、道中にベンチや休憩用のパビリオンが設置されている。二人は時々腰を休めて、穏やかな気持ちで歓談を続けた。陽が傾いていくにつれ、庭園は徐々に橙色に染まっていった。
「イルマ」
「なに?」
ふと、ヴァイの声色が真剣味を帯びたものに変わった。イルマは少しうろたえながらも、やっと見慣れてきたヴァイの顔を正面に見据える。
「私と……」
そうしてヴァイが何かを言い掛けた時。
突然、イルマの全身にめちゃくちゃな痛みが走った。息が詰まって呼吸ができず脚の力も抜けて、背中側へとへたり混むように座った。しかしこの痛み、イルマには覚えがある。
「イルマ⁉」
急に倒れたイルマに驚いて、ヴァイは屈み込んだ。まさにその瞬間、目の前のヴァイの頬を何かが掠めて、飛んで行った。驚いた様子でヴァイが頬を擦って確かめている。血が流れ、まっすぐと切り傷ができていた。
「‼ 騎士を呼べ! 襲撃者だ!」
ヴァイはすぐさま腰に提げていた剣を抜き、叫んだ。剣を構えたまま、イルマの身体を片腕で抱えて引っ張っていき、庭園から邸宅内に戻った。声を聞いた騎士たちが中庭へ飛び出していき、ヴァイが彼らに鋭く指示を飛ばしている。イルマはその喧噪をどこか遠くで起きていることのように聞きながら、朦朧としている意識を取り戻そうとしていた。
『悪い、時間がなくて無理に引っ張った』
(やっぱり……ルオン、ありがとう、助かったよぉ)
頭に声が響くとともに、目の前を銀蝶が舞った。イルマは心の中で礼を伝える。先刻の激痛は、以前ルオンに〈魂〉を引っ張られた時のものと同じだった。ルオンが謝るくらいだから相当焦ったのだろう。お陰でイルマ自身も、ヴァイも死なずに済んだ。それに倒れる時、イルマは襲撃者の顔をぼんやりと見ることもできた。弓を構えた黒ローブに身を包んだ褐色肌の、紫の瞳の男だった。
「イルマ、大丈夫ですか? 怪我をしていませんか?」
頭上からヴァイの心配そうな声が降ってきた。命を狙われたばかりだというのに落ち着きがあり、優しかった。
「全然、大丈夫。どこも怪我してない……! それよりさっきのヤツ、褐色肌で紫の瞳よ。 一瞬見えたの」
「ありがとうございます、騎士達に伝えますね。あなたが無事で、よかった……」
ヴァイは安心したように息をつき、イルマの頬を撫でた。弱っているとはいえ、突然の接触。イルマの顔はぼっと熱が上がり、それを隠すために急いで立ち上がった。
騎士達、ハミルトン家の兵も動員して周辺の大捜索が行われたが、襲撃者の姿はまるで立ち消えてしまったかのように、痕跡ひとつ発見できなかった。
ヴァイは侵入者を許したハミルトン家を責めることなく、感謝を伝えてくれるばかりだ。大騒ぎになってしまったが、彼自身の安全の為もあり、王都へ戻ることになった。
「本当にありがとうございました。お陰で私の身は救われました」
「いえいえ、ヴァイ。帰路もよく気をつけてね」
邸宅から馬車へと向かう前、ヴァイはイルマと別れの挨拶を交わしていた。
「ありがとうございます。……そうだ、イルマ。実は私からひとつ頼みがあるのです。私と、王都の舞踏会で踊っていただけませんか?」
「え?」
意外な言葉にイルマは目を丸くする。先ほどの襲撃で聞きそびれたのは、舞踏会のお誘いだったようだ。
「今度、王都にて国内の貴族を招いた舞踏会があります。本来であれば、舞踏会そのときに踊る相手を見つけるのが筋なのですが、今日お会いして、是非貴方にと思ったのです。いかがでしょうか?」
「あっ……是非! わたしで良ければ!」
ヴァイに尋ねられて、イルマはいつもの癖で考えもせずに答えていた。そして心の内で、またやったわ、と後悔した。
『お前、踊れたっけ?』
(習ってるけど……超苦手です……)
『ぷっくく……』
ルオンの馬鹿にした笑いが聞こえてきて不服だったが、言ったからにはもう断れない。醜態を晒した自分が天に召されるイメージ映像が脳裏に浮かぶ。
「良かった! では王都に戻り次第、招待状をお送りいたします」
「あ、と、とても光栄です! けど、どうして私と?」
イルマが尋ねると、ヴァイは顎に手をやり、無言のまま考え込んだ。何と言うべきか思案しているというよりは、まるで言いたいことを我慢しているような、感情の発露を堪えて耐え忍んでいる表情に見えた。イルマはヴァイの心理を図りかねて首を傾げてしまう。ヴァイはもごもごと口を動かしたあとに、長い沈黙を脱してようやく喋った。
「……貴方を……護りたいから、です」
その時のヴァイはうまく言い表せないけど、物凄い激情が込もっていた。親しみと哀しみと、自分を律しようとする決意みたいなものとか、愛憎入り混じった悲壮な想いを叩きつけられた心地がした。イルマはなぜか衝撃を受けて、何も言えなくなってしまう。呆然と立ち尽くしていると、ヴァイの方がはっ、と夢から覚めたような顔をして、王族らしい気品ある表情に戻った。
「……あぁ、その、失礼します。後日また改めて」
そう言うとヴァイは慌てた様子で邸宅を後にする。暗殺者の襲撃という危機はどうにか乗り越えたが、また違う問題がイルマの前へとやってきたのであった。
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