番外編「大人の階段昇るかもしれない、今日はまだ大晦日さ」その①
「ねえ朝日くん、ここの問題なのだけれど」
冬休み。
ファミレス。
僕の目の前には学校から出された課題が広がっていた。
そしてその向こうには、困ったように眉を八の字にしながら現代文の問題集とにらめっこをしている雪月の姿があった。
「どうしたんだ、雪月」
「『登場人物の心情について文中から20字以内でかき抜け』とあるわ」
「それが?」
「『かき抜く』だなんて、いきなり何を言ってるのかしらね。いやらしいわ」
「いやちょっと待て、何を言っているか分からないのはお前の方だ」
「え?」
白いニットを着た雪月が、きょとんとした顔で僕を見る。
「ええと……問題文の中から答えに該当する文章を抜粋しろっていう意味だと思うけど、それ」
「……あらそう。文中の20字に欲情するというハードな自慰行為を強要されているのかと思ったわ。全く、誤解を生むような問題文を作らないで欲しいわね」
「そんなことを思うのは多分お前だけだから安心しろ」
僕は再び課題に視線を戻した。
さっきから取り掛かっている数学の問題集だが、一向に進む気配がない。
この関数の問題、どうやって解けばいいんだろう。
頭を悩ませていると、深い溜息が聞こえてきた。
「はあ……」
ため息の主は雪月の隣に座る金髪ツインテール少女、金糸雀だった。
上下黒のジャージ姿の金糸雀は、この世の終わりみたいな表情を浮かべて美術の教科書を眺めている。
「……どうしたんだ、金糸雀」
「感想を書く課題が出ているんです。教科書に載っているこの絵なんですけど」
言いながら、金糸雀は僕の方へ美術の教科書を開いてみせた。
そこには裸婦画が何点か掲載されていた。
美術的には価値のある絵なのだろうけれど、裸の女性という点では、思春期の少年少女的には感想を書きづらい気持ちは分かる。
「まあ、確かにこの絵の感想と言われても少し悩むよな。でも、あまり悩まなくても良いんじゃないか。程々で良いと思うけど」
「いえ……感想自体は書き終わってるんですよ」
「え? じゃあ何に悩んでるんだ」
「なんでこの時代の人たちってみんな巨乳なんですかね……。私の自信を奪いに来ているとしか思えないんですけど」
「どうしてお前はルネサンス期の裸婦画に嫉妬してるんだ……」
金糸雀は教科書と自分の胸元を見比べ、もう一度大きなため息をついた。
さて、ここで状況を説明しておこう。
別に僕と雪月姉妹は思春期真っ盛りなトークを繰り広げるために集まったわけではない。
言うまでもなく、冬休みの課題を少しでも終わらせるために、こうしてファミレスへ集合しているのだった。
とはいえ、先程からほとんど課題は進んでいないのだけれど。
「そう言えばずっと手が止まっているわね、朝日くん」
雪月が僕の手元を覗き込みながら言う。
「ああ、誰かさんたちのおかげでな」
「その問題、公式を使って解くのよ」
「……公式?」
「まず数式を書き換えるのよ。そうしたら公式が当てはめられるようになるから、それを利用して解くの。貸してちょうだい」
雪月は数学の問題集を自分の方へ引き寄せると、手元のノートにペンを走らせ始めた。
そして数分もしないうちにペンを止め、僕の方へノートを見せた。
「……解けたのか?」
「ええ」
記号やグラフが並んだノートを見ると、理路整然と書かれた数式の最後には、確かに答えらしき数字が書かれていた。
「そういえば理数系はそれなりに得意って言ってたよな」
「言ってたわね。証明できて良かったわ。数学だけにね」
「はいはい」
別に疑ってたわけじゃないけど。
僕は傍らに置いていたグラスの烏龍茶をストローで啜った。
「ああ、そう。朝日くんに聞いておきたいことがあったのよ」
「僕に? 現代文の問題、分からないところがあるのか?」
「違うわ。ほら、前に言っていたじゃない。大晦日の話よ」
「大晦日……ああ、大晦日か」
思い出した。
雪月の家でクリスマスパーティをした帰り道、確かに雪月とそんな話をしたのだった。
「ええ。電車で、隣町の神社まで除夜の鐘を聞きに行くのでしょう?」
「都合、大丈夫なのか?」
「もちろん。後で電車の時刻を送っておいてくれるかしら? 時間は朝日くんの都合に合わせるわ」
「あ、ああ。ありがとう」
「じゃ私、飲み物注いで来るから」
そう言い残して雪月はグラス片手に席を立ち、ドリンクバーの方へ歩いて行った。
「……大晦日って何の話ですか」
金糸雀が僕の方へ顔を寄せてくる。
青い瞳が興味津々にこちらを見ている。
「聞いてたのか」
「聞こえるに決まってるじゃないですか。除夜の鐘ってどういうことですか?」
「隣町に有名な神社があるだろ? 大晦日の夜、そこまで行って年越ししないかって雪月に言ってたんだ」
ひゅう、と口笛を吹く金糸雀。
「やるじゃないですか。私、実は朝日さんのこと気は優しいけど童貞なチキン野郎だと思ってたんですけど見直しました。除夜の鐘を聞いた後は二人で煩悩まみれの夜を過ごすわけですね。背徳的で興奮しますねぇ。私が送ったクリスマスプレゼントが役に立つときが早速やってきたじゃないですか」
早口でまくしたてながら、金糸雀の息が徐々に上がってくる。
「……一人で何興奮してるんだよ。除夜の鐘を聞いたら終電で帰ってくるつもりだよ」
「えっ、そうなんですか? なーんだ」
と、がっかりしたように少し俯いた後、金糸雀はすぐに顔を上げ、言った。
「だったら私も一緒に行って良いですよね?」
「え?」
「大晦日に神社なんて楽しそうじゃないですか。ね、いいでしょ? 朝日さんとお姉ちゃんのフォローもちゃんとしてあげますから」
「いや、まあ……別に来ても構わないと思うけど」
「けど?」
「他に一緒に行く人いないのかなって……」
「はぁ!? い、いいいいますよいるに決まってるじゃないですか! ですが奥手な朝日さんのために私がついていってお姉ちゃんと楽しい時間を過ごせるようにサポートしてあげようって言ってるんですよ、勘違いしないでください!」
青い瞳を血走らせながら、金糸雀が言う。
こいつ友達いないのか……。
いや、僕も人のこと言えないけど。
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