第33話「銀髪とクリスマス」その⑥


 拝啓、僕の両親。


 僕は今、女の子の部屋で女の子と二人きりで寝ています。敬具。

 というわけで雪月の家に泊まることになった僕は、雪月の部屋のソファで横になっていた。


 寝巻や毛布、掛布団は来客用のものを借りた。


 時刻は既に深夜。部屋の明かりはもう消えていて、外から雪が降る音が聞こえるほど部屋の中は静かだった。


 しかし――いくら暗くて静かな場所にいるからと言って、すぐ眠れるわけがない。


 なぜなら、ソファの向こう側に位置するベッドの上には雪月がいるのだから。


 さっきからベッドの方から寝返りを打つような、衣擦れの音が聞こえていた。

すぐそこで雪月が寝ている……。

いや、異性の部屋とはいえ何も気にすることはないはずだ。僕はただ眠ればいいだけだ。


 そのはずではあるのだが、さっきからずっとベッドの方が気になって全く眠れないままだった。


 雑念を捨てろ僕。そうだ、羊を数えることに集中するんだ。ええと羊が一匹――でもこれって確か英語で羊を意味する『sheep』と眠るって意味の『sleep』の発音が似てるから英語圏の人は眠くなるよって話で、別に日本語で羊を数えても意味がないって話を聞いたことがあるような……。


 ええい、それでも数えるしかない。羊が二匹、羊が三匹!


「……ねえ朝日くん、まだ起きてるかしら?」

「!?」


 突然雪月に呼ばれ、僕の意識は完全に覚醒した。


「やっぱりもう、寝てる?」

「……いや、起きてるけど。妙に目が冴えてな」

「そう。実は私もなのよ」


 そう言う雪月の声は、やけに色っぽく聞こえた。


 え?


 まさかこれ、何かに誘われてる?


 隠す場所がなくポケットに突っこんだままのコン〇ームの箱が、今さら存在感を発揮し始めた。


「ええと、雪月……」

「先にお礼を言わせて。ありがとう、朝日くん。あなたのおかげで私、今、毎日がとても楽しいの」

「あ、ああ……うん。補習にはなっちゃったけど」

「そうね。ふふ」


 雪月が笑い声を漏らす。


「でも、楽しいと言えば僕もそうだな。あのときコンビニで雪月と会った日から、なんていうか、充実してる気がする」

「そう言ってくれて嬉しいわ。……あのね、私が他人を避けるようになったのには理由があるの」

「理由?」

「中学のときだったわ。国語の授業中先生にあてられて、黒板に漢字を書かなければならなかったの。朝日くんも知っている通り私は漢字が苦手だからよく分からなくて、でも答えを書かなきゃと思って、それらしい文字を書いたわ」

「真面目だな」

「でも書いた文字が変な絵みたいになってしまって、クラス中の人たちが失笑する声が聞こえたわ。それ以来私はますます漢字や日本語の文章が苦手になったの。自分の書いた文字がまた誰かに笑われるかもしれないって思って」

「そうだったのか……」

「朝日くんも見たことあるでしょう、私の古典のノート。授業中眠くてああなったと言ったけれど、それは嘘なの。自分の書いた文字に自信が無くて、わざとあんな風に崩して書くようになったのよ」

「……いつまで続けるんだ、それ」

「そろそろやめようと思ってるわ。変な癖をつけてしまったせいで現代文も赤点になってしまったから。あのテスト、記述が多かったでしょう? 判読不能だって、全部バツにされちゃったのよ」


 そう言って雪月はまた笑った。


「じゃあ、古典の現代語訳を覚えるより先に文字を崩して書く癖を治す練習をするべきだったな」

「朝日くんの言うとおりね」


 雪月はそう返事をした後、何も言わなくなった。


 寝たのかな。どうしよう。


 僕の方から声をかけるべきだろうか。


「……なあ、雪月」


 返事はなかった。


 だけど、しばらくしてから、雪月の声が聞こえた。


「ねえ朝日くん……ソファでひとりだと、寒くないかしら?」

「え?」

「私のベッド、もう一人くらいなら寝られるわよ」

「いや、大丈夫だよ。布団も借りてるから寒くないし」

「……such a sissy」

「え?」

「何でもないわ、おやすみなさい」


 それっきり、雪月は言葉を発しなかった。


 その代わりに寝息が聞こえてきた。


 今度こそ本当に眠ってしまったらしい。


 仕方ない、僕も寝よう。


 目を瞑って寝返りを打ったとき、背中に何かが当たった。


 何だろうと思って片手で探ってみると、四角いプラスチック製のケースだった。


 暗い中、目を凝らしてケースの表紙を見た。


 ……『彼氏が恋愛に奥手すぎるんだが ~だからお前は童貞なんだよ傑作選~』? 


 AVじゃねえか、これ……。ソファの隙間に隠されてたんだ。


 一体なんてものをこんなところに。


 見なかったことにしてあげよう。それが優しさだ。


 僕はもう一度目を瞑り、今度こそ深い眠りに落ちた。



  

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