第23話「史上最大の作戦」その③



 あー、死ぬ。


 もうダメだ。


 家に帰りつくや否や、僕は自室のベッドに倒れこんだ。


 全身が虚脱感に覆われ指先ひとつ動かせないような気持ちになっている一方、叫びながら暴れまわって行き場のないこの感情を発散させたいような気分でもあった。


 とにかく、12月24日。雪月華蓮には予定があるのだ。


 なんでだよ……。


 なんでだよっ‼


 金糸雀の話と全然違うじゃないか。


 何がお姉ちゃんと付き合ってほしい、だよ。


 いやしかし金糸雀は責められない。


 悪いのは僕だ。


 中学時代の苦い経験から何も学ばず、雪月という銀髪美少女の存在に浮かれていた自分を殴りたい。


 殴った後アスファルトに詰めて東京湾に沈めたい。


 結局こうなるって分かってたはずじゃん……。


 一体僕は何を考えていたのだろう。


 自分のことが信じられない。


 それから、学校では人付き合いなんてしませんよみたいな雰囲気出してた雪月も信じられない。


 もう、すべてが信じられない。


 しかし過ぎてしまったことはどうしようもない。


 大体、よく考えたらもうすぐ期末考査があるじゃないか。


 赤点を取るわけにはいかない。


 そう、学生の本分は恋愛などではなく勉強なのだ。


 僕が雪月にうつつを抜かしている間もライバルたちは東大目指して日夜勉強に励んでいるはずだ。


 東大に行け、東大に!


 まあ別に僕は東大目指してるわけじゃないけど……。


 しかし、そうであっても赤点を取ってしまうと、期末テスト後から冬休み前の24日まで補習の日々が続くことになる。


 いくらクリスマスイブに予定のない僕と言えども、それだけは回避したい。


 それだけは―――ん?


 24日に予定?


 そういえば、雪月って国語の古文が苦手だって言ってなかったっけ?


 まさか。


 いや、そんなはずは。


 だけど可能性はある。


 僕はスマホの連絡アプリを開き、雪月にメッセージを送った。


『24日の予定って、まさか補習じゃないよな?』


 数秒後に既読が付き、それから数分後にようやく返信が来た。


『このままいけばそうなるわ』

『赤点取るかもしれないってこと?』


 電話がかかって来た。


 もちろん雪月からだ。


『こんばんは、朝日くん』

「あ、ああ、こんばんは」

『文字のやり取りだと時間がかかってしまうから、直接電話させてもらったわ。時間、大丈夫かしら』

「大丈夫だ。しかし意外だったな。まさか雪月が赤点予備軍だったなんて」

『予備軍なんてものじゃないわ。1学期は補習の最前線に立っていたのよ』


 ますます意外だ……。


「とりあえず確認させてくれ。クリスマスパーティに参加できないっていうのは、赤点を取って補習を受けないといけなくなるからってことか?」

『ええ、もちろん。だからそうならないように今も古文の試験対策をしていたところよ。焼け石に水だろうけれど』

「じゃあ、つまり、赤点さえ取らなければ一緒にパーティが出来るんだよな?」

『それはそうね。とはいっても限りなく低い可能性だわ。古文のノートを読み返しているだけなのに暗号を解読しているような気分になってくるもの。自分で書いたノートのはずなのにね』

「まあ、気持ちは分かる」


 授業中に寝ぼけながら取ったノートの文字なんか、ミミズがのたうち回ったみたいになってるもんな。


『一応私なりに勉強はするつもりだけれど、赤点は免れないと思うわ。クリスマスパーティは諦めてもらえるかしら』

「そうか……」


 雪月がここまで言うなら仕方ない。


 とにかく、クリスマスの予定というのが何なのかはっきりしてよかった。別の誰かと予定があるなんて理由じゃなくて安心した。


 すまんな金糸雀、心の中で八つ当たりして。お前の言うことは間違ってなかったよ。


『……朝日くんは成績、大丈夫なのかしら』

「あ、僕? まあ中の下ってところかな」

『赤点は?』

「悪いけど今まで取ったことないな」

『そう。じゃあ、古典は得意?』

「得意でもなく不得意でもなく……前のテストでは平均点よりちょい上くらいだったけど」

『分かったわ。朝日くん、私に勉強を教えなさい』

「……え?」

『聞こえなかったかしら。朝日くん、私に勉強を教えなさい』

「僕が雪月に勉強を……!?」

『ええ。そうすれば私が赤点を回避できる可能性が高まると思うのだけれど』


 た、確かに理にかなっている――のか?


 言うまでもなく僕は誰かに勉強を教えたことなんてないが、大丈夫か?


 いやしかし、このまま座して死を待つ――というか赤点を待つよりは、できる限りのことをやっておくべきだろう。


「分かった、僕に任せてくれ」

『朝日くんならそう言ってくれると思っていたわ。じゃあ早速、明日私のうちに来てくれるかしら?』

「い、いきなりだな」

『何を驚いているの。期末考査に向けての戦いはもう始まっているのよ』

「それはそうだけど……いや、何でもない。分かった、明日な」


 てっきり近くのハンバーガー屋とかに集まるのかと思っていた。


 まさか雪月の家に行くことになるとは――いや、クリスマスパーティはどちらにせよ雪月の家でやるつもりだったんだ。家へ行くタイミングがちょっと早まっただけだ。


『ありがとう朝日くん。午後になったらすぐに来て頂戴ね』

「ああ、分かった」

『良かった。これで安心して眠れる……わ』


 雪月の掠れた声が聞こえてきて、直後、力尽きたように通話が途絶えた。


 大丈夫だろうか。 


 ショッピングモールで会ったときは元気そうだったけど……。


 とにかく、明日になってみれば分かるか。


 僕は通学バッグをひっくり返してノートや教科書をばらまくと、その中から明日必要そうなものを拾い上げ、リュックに詰めた。




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