第10話「雨、傘が壊れた後」その③

「まあ、僕もこんなところに長居して不審に思われるのも心外だしな。そろそろお暇するよ」

「不審に思われるかもしれないという自覚はあったんですね」

「いかにも陰キャって顔してるしな! わはははは!」

「や、自棄にならないでください。今のは私が言いすぎました」


 金髪ツインテールに謝られても、なぜか陰キャに対する世間的な目が厳しいという事実は変わらないのだ。


 悲しいけどそれが、現実なのよね。


「気を付けて帰ってね、朝日くん」


 雪月が言う。


「心配ご無用。僕の家もここからそう遠くないから」

「ヤバいと思ったら携帯の『5』を3回押して変身してね」

「残念ながら僕はオルフェノクじゃないから変身できないんだ……」

「あらそう。それは残念というか、むしろ幸運だったかもしれないわね」

「じゃあ、また明日な」

「ええ」


 僕は再び傘を開き、雨の中を帰った。


 ほとんど雨は降っていなかったので傘は要らないかとも思ったのだけれど、道路の向こうに傘を差している人が見えたので、差しっぱなしで家まで帰った。


 そして家に着いたとき、明日が土曜日だということを思い出した。


 雪月との別れ際、また明日とか言っちゃったけど……当然ながら明日は学校も休みだ。


 一部の進学校では土曜日も授業が行われているという都市伝説を耳にするが、幸いにも僕の通う学校にそんなイベントは無かった。


 言葉の綾とはいえ図らずも嘘をついてしまったような固いになってしまったが、まあ、そこまで気にする必要もないだろう。雪月もそこまで考えていないだろうし。


 自分の部屋に戻って鞄をベッドの上に放り投げたとき、ポケットでスマホが振動した。


 連絡アプリの通知だ。


 誰からだろうと思って開いてみると、雪月からのメッセージだった。


『あしたあうっていってたけど、どこであえるかしら? ばしょをれんらくしてちょうだい』


 そうか……。


 そう来ましたか……。





 というわけで。


 曜日は土曜。時刻は午後1時。


 僕はカラオケ店の入り口にいた。


 ちなみに昨晩僕にメッセージを送って来たのは雪月だけではなく、金糸雀からも『0833』という数字の羅列が送られてきた。本当に連絡を取ってくるとは思わなかった。


 さっきからスマホの画面とにらめっこしているが、果たしてこいつには何と返信してやるべきだろうか。こちらも数字でメッセージを送り返してやってもいいが……ところで関係ない話だけど、ポケベルって受信専用じゃなかったっけ?


「待たせてしまったようね。少し遅れてしまったわ」


 スマホから顔を上げると、読者モデルみたいな女の子が立っていた。


 白いニットのセーターにミニスカート、足元にはロングブーツ。銀髪には少しカールがかかっていた。


「あ、えっと……」

「どうしたの、知らない人を見るような顔をして。まさか記憶が一日しか持たないタイプの人だったかしら、朝日くんって」

「あ――雪月か」


 雪月だった。


 銀髪に青い瞳なんて女子高生は、少なくとも僕が暮らすこの片田舎の街にはそう何人もいない。


「まさか別の女の子と間違えたわけではないわよね?」

「いや、ただ、いつもと印象が違ったから、モデルさんかそれに類する誰かだと思っただけだ」

「あらそう」


 雪月は平然と答えた後で、頬に手を当てた。


 顔全体が少し赤くなっていた。


「熱でもあるのか?」

「いえ、まさか朝日くんからそんなことを言われるなんて思っていなかったから。鳩がサブマシンガンでも食らったような気持ちだわ」

「ミンチになっちゃうだろ、鳩が」

「……ようやく治まって来たわ。急に顔が熱くなってしまって。でも大丈夫。今朝も体温を測って来たけれど平熱だったから、体調には問題ないわ」

「朝から検温を?」

「金糸雀が毎日測れってうるさいのよ。私に万が一のことがあってはいけないからって」

「……薄々思ってたんだけど、お前の妹ってかなりのシスコンじゃないか?」

「そうかしら。普通じゃなくて?」

「僕は一人っ子だから分からないけど、一般的には姉の体温を測りたがる妹なんて存在しないと思うが」

「検温は大事よ。体調不良にいち早く気づくためにはね」


 それはそうだろうけど……なんか違う気が……。


「まあ、とにかく入ってみるか」


 僕はカラオケ屋の入り口を振り返った。


「その前に、朝日くん。最初に言っておくわ。私カラオケは初めてなのよ」

「え、そうなのか? 友達に誘われたりしなかったか?」

「誘われはしたのだけれど、人前で歌うことに勇気が出なくて」

「そうだったのか……。どうする? 別のところに行ってもいいけど」


 別に僕もカラオケに対しこだわりがあるわけじゃない。


 ただ、思いついたのがカラオケ屋だったというだけだ。


「いいえ、カラオケで構わないわ。高校生にもなったことだし、カラオケくらい経験しておかなければと思っていたところだったのよ。今日私は人生の大きな節目を迎えることになるんだわ」


 カラオケってそんなに覚悟がいるような施設だっけ……?


 まあ、確かに学校で配られる夏休みのしおりなんかにはカラオケ店とかゲームセンターには行っちゃいけませんとか書いてあるし、何となく近寄りがたいイメージはある気がする。


「取って食われるわけじゃないから安心しろよ。とりあえず行ってみよう」

「ええ、そうしましょう。ところで朝日くんはカラオケへよく来るの?」

「中学の頃以来だな。世の中には一人でカラオケへ行くことを趣味としている人たちがいるそうだが、生憎僕はそのレベルに達していないから」


 自動ドアを潜り、カウンターで受付を済ませる。


 店員さんから何時間ご利用ですか、と訊かれたので、とりあえず2時間にしておいた。


 部屋番号が書かれたカードを受け取り、雪月と一緒に部屋へ向かう。


「同じような部屋がたくさんあるのね。迷子になりそうだわ」


 雪月は廊下に並ぶカラオケルームを眺めながら言った。


「気をつけろよ。迷ったせいで何年もカラオケ屋から出られず、無限に延長料金がかかってる客もいるらしいから」

「……えっ!? それ本当なの?」

「いや、嘘だけど」

「私、カラオケは初めてなのよ。信じてしまうじゃない」


 雪月が唇を尖らせたとき、ちょうど部屋の前に着いた。


「ここみたいだな。雪月、中で待ってろよ。僕は飲み物とってくるから」

「飲み物?」

「ああ。ソフトドリンク飲み放題なんだよ、ここ。何が良い?」

「そういうことなら私もついていくわよ。ジンジャエールとメロンジュースを混ぜたやつが好きなのよ、私」


 そんな小学生みたいなこと……と思ったが、最近はファミレスでもむしろドリンクを混ぜてオリジナルドリンクを作ろうみたいなサービスをやっていたりするところもあるらしい。


 時代は変わるものだなあ。




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