第8話「雨、傘が壊れた後」その①
※
翌日。
やはり雪月が僕に話しかけてくることはなかった。
連絡アプリの方は、宿題や提出物の質問がなぜか全文ひらがなの短文でほんの一、二回送られてきただけで、特にプライベートな連絡が来ることはなかった。
いや別に何かを期待してたわけじゃないんだけどね。
そんなこんなでどうということもなく一日が終わり、僕は一人ひっそりと教室を出た。
靴箱で上履きから靴に履き替えたとき、外は小雨が降っていることに気が付いた。
天気予報では一日中晴れだって話だったけど、予想なんて当てにならないものだよな。
かの有名な占星術師、ノストラダムス様の予言だって外れたわけだし。
当然傘は持ってきていない――が、幸か不幸か傘立てに置きっぱなしにしたまま忘れていた傘がある。
思い出してよかった。備えあれば憂いなし。
僕が昇降口から外に出て、傘立てのある方へ身体を向けたとき、軒先に立っている人影に気が付いた。
「朝日くん、傘は持ってきているのかしら?」
雪月だった。
青みがかった瞳が僕を見つめている。
「持っては来ていないけど……」
僕が答えると、雪月は口元を緩めた。その表情は、若干得意げに見えなくもなかった。
「そうじゃないかと思ったわ。幸運だったわね、朝日くん。今日は私が傘を持ってきているわ」
「へえ、準備万端だな」
雪月の右手にはビニール傘がぶら下がっていた。
「あなたさえ良ければ一緒に入れて帰ってあげるわよ」
「え? ああ……」
持っては来ていないけど、傘立てには常備してある。
なんとなく答えに困っていると、雪月は余裕ある素振りで傘の留め具に手を掛けた。
「私は常に用意周到なのよ」
雪月の白い指先が留め具を押し込む。
その瞬間傘が開――かなかった。
おかしいわね、と雪月が呟く。
「壊れちゃったのか?」
「あまり使っていない傘だから、そんなはずはないのだけれど」
雪月は力任せに傘を開こうとする。
「おいおい、あまり無理にやらない方が」
「あ」
ばきっ、と嫌な音が響いた。
直後、折れた傘の骨がばらばらと雪月の足元に落下し散らばった。
「……あの……なんていうか……ご愁傷様というやつだな、雪月」
「思ったよりちゃちな作りだったのね、これ」
「どのくらい使ってなかったんだ?」
「中学の頃に使ったのが最後だから、2年くらい?」
「じゃあ、錆びちゃってたのかもな」
「そういうこともあるのね……」
雪月はため息をつくとその場にしゃがみ、折れた傘の骨を拾い始めた。
「なあ、雪月。一応僕、傘持ってるんだけど」
「え? 持って来ていないと言っていたじゃない」
「いや、持っては来ていないけれど、たまたま置き傘をしてあったんだ。家まで送ってやるよ」
「別にいいわよ。そのまま帰るから。濡れてしまうけど」
雪月は明らかにテンションの下がった様子で言った。
「意地張るなって。割と大きめの傘だから、二人くらい余裕で入る」
僕は傘立てから、放置していた自分の傘を回収した。
留め具を押すと傘はワンタッチで開いた。
錆びていなくてよかった。
「ショックだわ。朝日くんに恩を返せると思ったのに」
「金なら返してもらったじゃないか。気にするな。ほら、入れよ」
「ちなみに濡れてしまうというのは、雨に濡れると言う意味よ。変なこと考えないでよね」
「考えてねえよ……」
雪月は傘の残骸を片手に僕の傘に入って来た。
少し強まった雨が傘に当たって、ぱらぱらと不規則な音を立てる。
「意外と準備が良いのね、朝日くん」
「たまたま置き忘れていて、そのまま持って帰ることさえ忘れていただけだ。ズボラさが幸いに転じたってわけ」
「運が良かったわね」
「お互いにな」
「悪運の強そうな顔をしているものね、朝日くん」
「どんな顔だよ……。大体、なんであんなところで僕を待ってたんだ?」
「あんなところ? 高校生が自分の通う高校の昇降口に立っていておかしいかしら? ラブホの出入り口でナンパ待ちをしていたわけでもあるまいし」
「もしそんなことやってるなら今すぐやめろ、やめなきゃ代わりに警察へ通報してやるから」
「冗談よ、ムキになる必要ないじゃない。まあ、今日たまたま傘を持っていたから、傘を持たず雨に濡れて帰る羽目になるであろう人を助けてあげようと思いついただけよ」
「そうか。それにしても、ずいぶん古びた傘を持ってきたんだな?」
「普段は折り畳み傘を使っているのよ。ただ今日は朝日くんも入れてあげようと思っていたから……」
言いかけて、雪月は口を閉じた。
一瞬の沈黙が訪れて、僕はその間を埋めるために言った。
「それじゃまるで僕のために傘を持って来てくれたみたいじゃないか」
「……そういうことになるわね。自分でも意識していなかったわ」
「そうか、最初から僕を送ってくれるつもりだったんだな。逆に悪かったかな、傘を準備していて」
「そんなことないわよ。実際のところ、傘はぶっ壊れてしまったわけだし」
雪月はバラバラになった傘の骨を見下ろす。
「結果オーライってことか」
「ええ。予定通り朝日くんと相合傘で帰ることに成功しているわ」
「……え?」
僕はふと立ち止まった。
雪月もそれにつられたように立ち止る。
いや――そうか。
これって相合傘か。
あまりにもナチュラルに雪月を傘に入れてしまった。
意識したとたん、急に雪月との肩の距離が気になって来た。
が、そんな感情を表に出しては童貞がバレるので、僕は敢えて平静を装うことにした。
「どうしたの、朝日くん」
「いやなんでもないよ気にするな別に僕は何も気にしてないから」
「突然早口になったわね。具合でも悪いの?」
雪月が僕の額に手を当てる。
な―――なんだこいつ!?
なんでこんなに積極的なんだ!?
「だ、大丈夫だ、気にするな」
額に触れる雪月の手は冷たかった。
僕はその手から顔を離し、再び歩き出した。
「金糸雀――妹も小さい頃よく熱を出していたのよ。額が熱くなるからすぐに分かったわ」
「あ……ああ。で、さっきみたいにして熱を測っていたわけだな」
「ええ。でも、朝日くんは熱、ないみたいね。もしかして体温がないのかしら」
「僕はアンドロイドかよ……」
「電気羊の夢、見たことある?」
「さあね」
「それとも相手の気を吸収するタイプの人造人間?」
「おいおい、そんなの誰が分かるんだよ……」
「もしくはフィールドに存在するとき罠カードを無効にするタイプの人造人間?」
「そんなの誰が分かるんだよ!」
城之内君ぐらいだよ、分かるのは。
「ちなみにアンドロイドとサイボーグの違いは、ゼロから作られているか人間をもとに改造されたか、らしいわよ」
「へえ、そうなのか」
「謎の組織に改造されてしまわないよう、気を付けることね」
「はいはい。特にブラックゴーストとショッカーにはね」
「くれぐれも良心回路を失くさないで欲しいものだわ」
「いや待て、さっきの区分で行くならそれはどちらかといえばアンドロイドに該当するのでは――っていうか、雪月」
「何かしら」
「お前、日本に来たのは中学の頃からなんだよな」
「そうよ」
「本当かよ……」
それにしては日本のサブカル全般に造詣が深すぎる――いや、造詣が深いと言うよりは年代が偏ってるというか……。
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