第6話「ミリオンダラー・帰国子女」その③

「とにかく、こんな中年のおっさんみたいな会話はやめようぜ」

「そうね。朝日くんがムラムラ来てしまったら大変だもの」

「余計なお世話だよ」


 と言いつつ、僕の瞼の裏には雪月の白い下着が焼き付いていた。


 僕も思春期だ、仕方ない。


「で、どっちのゴミ箱に捨てればいいの?」

「そっちの燃えるゴミって方だよ」

「萌えるゴミ? 日本人はゴミにも萌えを感じるというの? さすがね」

「燃えるゴミだよ! 英語で言うとあれだ、ファイアーだよファイアー」

「ああ……burnable garbageね」


 発音良いな……。


 ちょっとムカつくな……。


「どっちでもいいから早く捨てちまえよ」

「はいはい。……ところで、まだ支払ってもらっていないわね」


 カップ麺の空容器を『燃えるゴミ』のゴミ箱に放り込みながら、雪月が言った。


 ゴミ箱の中で、ゴトンと物が落ちる音がした。


「支払うって、何をだよ?」


 カップ麺代か? 奢りじゃなかったのか?


「拝観料よ」

「……拝観?」


 拝観といえば、寺社仏閣を観覧したときに払う料金のことだ。


 いったいそんなものを僕がいつ見たというのだろう。


「見たじゃない、私のショーツ」

「自分の下着を神仏と同格だと思ってらっしゃる!?」

「現金で払えとは言わないわ。ただ、それなりの対価はいただきたいものね」

「対価だって? ……仕方ないか」

「ちょっと待って朝日くん、どうしてベルトを外そうとしているの?」

「いや……下着の対価だから、僕も下着で支払うべきかと」

「通報するわよ」

「じゃあ何が欲しいんだよ」

「少なくとも朝日くんの下着姿は別に見たくないわ」

「そうか……」


 確かに、価値が釣り合ってない気がするもんな。


 いくら僕が鈍感だと言っても、それは薄々感づいていた。


「連絡先を教えてちょうだい」

「……は?」

「聞こえなかったかしら。朝日くんの連絡先を教えてちょうだい。そうすればすべてをチャラにしてあげるわ。もちろん警察にも通報しないであげる」

「同級生を国家権力に売り渡す気か……!? というかそもそも、僕がお前の下着を見たのは不可抗力みたいなものじゃないか。見たというか、むしろ見せられたと表現した方が正確な気がするんだけど」

「事実はそうかもしれないわね。でも、仮に私が下着丸出しで歩いていたのが真実だとしても、それはあなたに強要されたからだと説明すれば、果たして警察の人は私の言い分を疑うかしらね」

「冤罪だ!」

「ちなみにだけれど、痴漢冤罪で逮捕された場合の有罪率はほぼ100%よ」

「今一番知りたくなかった情報だ……」

「それだけJKにはブランド価値があるということよ。そんな希少価値の高い存在に連絡先を教えられること、むしろ光栄に思いなさい」


 嫌な時代になったものだ。


 僕は、電車の中で痴漢の疑いをかけられないよう両手で吊革を掴む中高年のサラリーマンたちに思いを馳せた。


「お前の言ったことを肯定してしまうようで悔しいが、仕方ない。ほら、QRコード」


 僕は自分の連絡先を、スマホ画面にQRコードで表示した。


「……どうしたらいいの、これ」

「どうしたらいいのって……アプリの登録画面で読み込むんだよ」

「え、分からないわ。代わりにやってちょうだい、朝日くん」


 からかわれているのかと思ったら、どうやら本気で戸惑っているようだ。


 頭頂部のアホ毛が不安そうに揺れている。


 仕方がないので、僕は雪月からスマホを借り、僕の連絡先を登録した。


「ほら、簡単だろ」

「もう登録できたの?」

「ああ」

「それはすごいわね。感嘆だわ」

「ああ……」


 『友人リスト』の欄に僕の名前が表示される。


 それにしても登録数が少なすぎないか? 僕も含めて4人くらいしか……。


「高校に入ってからは初めてだわ、誰かの連絡先を登録するの」

「あ、そうなの……」

「初めてを奪われてしまったわね」

「反応に困るんだけど」

「あら、ごめんなさい。失礼したわ」

「僕以外に登録されてるその3人って、友達なのか?」

「いえ、家族よ」

「あ、そう……」

「そう言う朝日くんはSNS上の友達、多いのかしら」

「ああ、まあ、多いよ。SNS上の友達」

「あくまでもSNS上の、ね」

「別にいいだろ、いないよりいる方が」

「そうかしら? データ上の友達なんて必要ないわ。信頼関係と言うのは0と1の世界で表現されるものではなくて、もっと血肉が通ったものであるはずだもの。そんなポリシーを持つ私と連絡先を交換することが出来たのだから光栄に思うといいわ、朝日くん」

「そりゃどうも」


 僕は自分のスマホでアプリを開き、雪月を『友人リスト』に登録する操作をした。


 ふと顔を上げると、雪月が興味深そうに僕のスマホ画面を見つめていた。


「……本当に登録してある連絡先が多いのね、意外だわ」

「中学生の頃は僕も社交的だったんだよ。前にも言っただろ」

「確かにそうね。てっきり広告用の企業アカウントばかりを登録して友人数を嵩増ししているものだとばかり思っていたわ」

「そ、そそそそんな意味不明な見栄の張り方、僕はしないさ……!」


 危ねえ!


 なんで知ってんだ!


 僕のアプリに登録された友人百数人のうち半数以上が企業アカウントだということを!?


「とにかく、朝日くんの連絡先は貰ったわ。返せと言われても返さないからね」

「そんなこと言わねえよ」

「反対に勝手に私の連絡先を誰かに教えたりしたら、グロテスクな映像を数日間、まばたきできない状態で嘔吐剤を飲みながら鑑賞し続けてもらうわ」

「罰が重すぎる!」


 ただの拷問だ。


 あるいは洗脳か、なんらかの治療法か……。


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