第4話「ミリオンダラー・帰国子女」その①
「はい、16円。耳を揃えて返すわ」
そう言って雪月は僕にお年玉を入れるような小袋を渡した。
が、その手触りには違和感があった。
16円ということは硬貨が返ってくるはずなんだけど―――中身は、紙幣?
気になって中身を見ると、確かに紙幣が二枚入っていた。
ていうか。
「これって1ドル札じゃん……」
二枚の紙幣にはジョージ・ワシントンが描かれていた。
「あ、ごめんなさい。つい通貨を間違ってしまったわ」
「こんなところで帰国子女っぽさを出すなよ……」
「16円だったわね」
雪月は右手に握っていた小銭入れから16円取り出すと、そのまま僕に手渡した。
今度は間違いなく16円だった。10万円玉とかを出されたらどうしようかと思っていたところだった。
「間違いなく預かったよ。でも、別にわざわざコンビニで待たなくても、学校で渡してくれても良かったんじゃないか?」
僕が言うと、雪月は愕然とした表情を浮かべた。
「朝日くん……あなた私に、公然の場で誰かと会話をしろと言うの? なんて恐ろしいのかしら。そんなことを思いつくのは悪魔かそれに類する何かだわ」
「……そんなにか?」
「会話をするというのは、言語を通じて自分の情報を相手に発信し、そして相手が発した情報を解釈する――その繰り返しよ。つまり、相手にプライバシーを知られてしまうということなの。さらに、会話は音声によって行われるわけだから、学校なんていう不特定多数の何者かが同じ空間に共存するような場でそんなことをすれば、自分の情報を誰に把握されるか分からないじゃない。危険だわ。だったら、たとえ会えない可能性が高かったとしても二人きりになれるコンビニであなたを待つのがセーフティな選択と言えるでしょう?」
言えるでしょう? とドヤ顔で言われても……。
そんな偏った思考に諸手を挙げて賛成することはできない。
だけど言いたいことは分かる。
単純に言えば、「大勢の人がいる中で誰かに話しかけるなんて気が引ける」ということだ。
例えば僕が雪月の立場だったとして、休み時間に自分から進んでコミュニケーションを取ることが出来ただろうか。いや、そんなことは砂場でアリのコンタクトレンズを探すより難しかっただろう。
「……なるほど、雪月の気持ちは理解できたよ」
「嬉しいわ。そんなあなたに、はい、これもあげる」
ビニール袋の中から雪月が取り出したのは、『豪古タンメン(中卒)』だった。
「くれるのか?」
「あげるわ。ただ16円返すのでは感謝が伝わらないかと思って」
「そんなことない――と言いたいし心の中ではそう思ってるんだけど、ありがたく頂戴しよう。余計な気を遣わせて悪かったな」
「いいえ。喜んでもらえたのなら嬉しいわ」
「そう言えば雪月も好きだって言ってたな、これ」
「ええ。辛さがちょうどいいのよ。今日も帰ったら食べるつもり」
雪月が掲げたビニール袋の中には、『豪古タンメン(中卒)』がもう一つ入っていた。
「そんなに毎日食べて大丈夫なのか?」
「大丈夫に決まってるじゃない」
「でも、カップ麺のスープは塩分とかカロリーがものすごいってよく言うじゃないか」
「気にする必要はないわ。カロリーは熱湯で蒸発するってテレビで放送されてたわよ」
そんなバカなと思う反面、雪月のスレンダーな体つきを見ると、あながち嘘でもないのかもしれない。……いや、嘘だろ。
と、その時、急に強い風が吹いた。
あまりの冷たさに、僕は身体が震えるのを感じた。
「……寒いな。まるで冬みたいじゃないか」
「こんなところで立ち話をしていると風邪を引いてしまうわ。とにかく、渡すべきものは渡したから。さようなら、朝日くん」
銀髪をふわりと舞わせながら、雪月が僕の横を通り過ぎていく。
その後ろ姿を見た瞬間、思わず僕は声を上げていた。
「雪月、あのさ」
「……何かしら?」
雪月が立ち止る。
「なあ、せっかくだから食べていかないか」
「……何をかしら?」
雪月の問に、僕は手に持ったままだった『豪古タンメン(中卒)』を差し出した。
「寒い中で食べるとより一層美味いんだ、こいつは」
※
というわけで。
ホットのコーヒーを買うついでにお湯を拝借し、僕と雪月はコンビニ横のベンチに並んで腰かけた。ちなみにドクターペッパーは諦めた。
熱湯3分。もし僕が光の国からやってきた巨人だったら、このカップ麺という食べ物を口にすることは永遠にできなかっただろう。
いやー、人間に生まれてよかった。
「最近は2分で食べられるカップ麺も増えてきているわよ」
「……無粋なツッコミだな」
「誰がブスですって?」
「そんなことは言ってない」
「ところでブスの語源を知っているかしら」
「いや……知らない。考えたこともなかった」
「ブス――漢字で書くと附子なのだけれど、トリカブトの塊根のことよ」
「トリカブトって、猛毒の?」
「ええ。その毒が顔に付着すると、神経が麻痺して顔つきが歪んでしまうそうなの。それが語源だと聞いたことがあるわ」
「へえ、博識なんだな」
「ええ。勉強したのよ。……でもね朝日くん」
雪月は一度言葉を切った。
「なんだよ?」
「トリカブトって、紫色の綺麗な花を咲かせるのよ。その塊根がブスの語源だなんて皮肉よね」
「ああ、そうだな。どんな美人も根っこの部分はどうなっているか分からないってことだな。勉強になるよ」
「なんか引っかかる言い方ね、それ」
「というところで3分、経ったみたいだな」
「早速いただきましょう」
蓋を開けると、暖かい湯気が頬を撫でた。
僕は割り箸を割り(もちろん縦にだ)、具をスープに馴染ませるように軽く容器の中を混ぜながら、麺を啜った。
熱い。
辛い。
しかし美味い。
「……温まるわね」
雪月が呟く。
その唇は辛さのせいかいつもより赤くなっているように見えた。
「なかなかいいだろ、こういうのも」
「ええ」
僕が言うと、雪月は微笑んだ。
「寒くなるとこうして、外でカップ麺を食べたくなるんだ」
「そうなのね。寒空の下一人でカップ麺を啜る朝日くんの姿を想像すると涙が――あ、いえ、間違えたわ。ちょっと唐辛子を入れすぎてしまったようね」
「同情するなよ、まるで僕が寂しいやつみたいだろ」
「みたい、じゃなくて寂しい人なのではないかしら」
「そんなことはない。去年の今頃、僕は友人に囲まれて和気藹々とした中学時代を送っていたんだ」
「確か、昨日もそんなことを言っていたわね。そんなに社交的だったあなたが、どうして一人カップ麺を啜る羽目に?」
「……恋愛関係の縺れだな」
からん、と乾いた音がした。
見ると、雪月が割り箸を地面に落としていた。
雪月は茫然と口を開けたまま僕を凝視している。
「恋愛関係の……縺れ?」
「驚きすぎだろ。僕だってその程度の経験はあるよ」
「それはあれかしら、愛人と二人で入水するも自分だけ生き残ってしまったみたいなことかしら」
「そんな中学生がどこにいるんだよ……いつの時代の話だ」
そりゃまあ、恥の多い生涯を送って来たといえばそうだけど。
「もしくは近所の幼女を拉致って自分好みの女性に育てようとした――とか」
「いづれの御時にか!?」
「ちなみに今そんなことしたら普通に犯罪よ、気を付けてね」
「当たり前だ!」
僕が言うと、雪月はやれやれという風に首を振り、ため息をついた。
「さっきから私の予想を否定してばかりだけれど、一体何があったのかしら。ここまで来たら、もはや真実は私の常識の範疇になさそうね」
「お前の言う常識はおそらく一般的な常識とは違うように思えるが……まあ、あれだよ。好きだった女の子が実は既に僕の友人と付き合っていたっていう、よくある話だよ」
「ごめんなさい、私、日本の文化には疎くて。それってこの国ではよくあることなのかしら」
「まるで帰国子女のようなことを言うじゃないか」
「まるでというより、帰国子女なのよ。一応ね」
ああ、そうだった。
雪月との会話が自然すぎて一瞬忘れていた。
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