第3話「雪、銀髪、コンビニにて」その③

「思い返せば懐かしいな。あれはそう、確か半年と少し前だった」

「―――――――へえ、そんなことがあったの。大変だったわね。それで人と関わるのが怖くなったのね」

「いやまだ何も言ってないけど」

「尺が長くなりそうだったから先に終わらせておいてあげたのよ。ちょうど到着したみたいだし」


 雪月が立ち止った。


 そこは、この辺りでは一番背の高い――もちろん家賃も高い――マンションの前だった。


「ここに住んでるのか?」

「ええ。送ってくれてありがとう。お金は必ず返すから」

「期待せずに待つよ」

「それじゃ、また。朝日くんの中学時代の話は今度ゆっくり聞かせてちょうだい」

「いや、大した話じゃないんだよ。それこそ期待しないでくれ」


 僕が言うと、雪月はふっと口元を緩めて笑った。


「人の印象というのは変わるものね。朝日くんがこんな人だとは思わなかったわ。もちろん良い意味でね」


 今までどんな印象を持たれていたんだろう。


 死んだ魚のようだと例えられていたくらいだから、あまり良い印象ではなかったようだけれど。


「じゃあな、雪月」

「ええ、さようなら」


 僕は雪月に手を振って、マンションを後にした。


 曲がり角を曲がって雪月の姿が見えなくなるまで、彼女はエントランスの前で僕に手を振り続けていた。


 寒いだろうから、さっさと自宅に戻れば良いのに。風邪引くぞ。


 一人になった僕は、街灯と月明りに照らされた歩道を歩きながら、ぼんやりと中学生の頃を思い出していた。


 雪月に話そうとしたのは、本当に大した話ではなかったのだ。


 ただ―――ちょっとした人間関係の縺れ。


 いや、実際には縺れてさえいなかったのだろう。


 僕が好意を持ってしまった女子が、実は僕の親友と付き合っていたという、思春期によくあるようなつまらない話なのだから。


 ちなみにその女子に対して一応告白はしたのだけれど、当然のように玉砕した。


 こうして思い返すだけでも恥ずかしい、僕の黒歴史だ。月光蝶で無に帰して欲しい。


 いったいどうして僕はフラれると分かっていて告白したんだろうか。気の迷いと一言で言ってしまうには迷走しすぎている。


 もしそんな奇行に走らなければ彼らとはまだ友人でいられたかもしれないし、あるいはそうでないかもしれない。


 この玉砕事件が原因となったのかどうかは分からないが、親友もその彼女も、地元ではない別の高校へ行ってしまった。というわけで、彼らは僕の通う高校にはいないのだ。それはむしろ僕にとって幸運だったと言えるだろう。


 まったく、我ながら意味不明なことをしてしまったものだなあ。なんであんなことをしちゃったんだろうなあ……って。


 ああ、そうか。


 これがひとり反省会ってやつか。


 雪月が言っていたことを、身をもって実感した僕なのだった。

 




 翌日。


 いつも通り少し早めに学校へ登校した僕は、いつも通り席に座り、いつも通り誰とも会話を交わすことなく一日を終えた。


 それはもちろん雪月も同じで、いつも通り遅刻するかしないかの時間帯に教室へやってきた彼女は、休み時間になるといつも通り読書に没頭し続け、放課後になるといつの間にか帰宅していた。


 周囲のクラスメイトたちは部活等々のために教室を出ていき、気が付けばひとりぼっちになっていた僕は慌てて帰り支度をして学校を後にした。


 きわめて平穏な、捉え方によっては平凡な一日だった。


 ―――あれ?


 なんかおかしくないか?


 やけにあっさりしすぎてないか?


 例えば雪月から、昨日は大変だったわね、とか一言くらいあっても良さそうなものだ。


 あ。


 いや、訂正。


 これじゃまるで僕が雪月に何かを期待しているみたいじゃないか。


 僕が雪月のために建て替えたのはほんの16円。まあ、16円で救える命があるとかいう話をされればそりゃそうなのかもしれないが、とりあえず、現代日本における金銭感覚において、ほんの16円だ。


 そんな金額で今をときめく女子高生に恩を売れたと思う方がおこがましいというか、女子高生のためなら何万円と貢いでも惜しくない男性は掃いて捨てるほどいるだろう。特に雪月のような美少女ならなおさらだ。


 とにかく、僕はたかだか16円ぽっちで雪月の信頼のような何かを得られたとは思わないし、彼女に見返りを求めているわけじゃない。


 ただ、昨夜それなりに楽しくお喋りをした割には、僕に対する態度は素っ気なかった――というかほとんど無視だったな、僕のこと。ガン無視だ。アウトオブ眼中。


 まあ、いいんだけど。


 全然いいんだけど。


 他人に何も期待してはいけないと、中学時代のあの事件から僕は学んだじゃないか。


 僕に告白されたときのあの子の表情は、今でも忘れられない。


 困惑そのもののあの表情を――うわ、思い出したらなんだか気分が落ち込んできた。


 気分を晴らすべく、僕は帰り道、そのままコンビニへ直行した。


 豪古タンメン(中卒)は入荷しているだろうか。あの辛さで僕の鬱屈した感情を忘れ去りたいのだが。ついでにドクターペッパーも買いたい。


 と、コンビニの駐車場に差し掛かった時、入り口の自動ドア前に銀髪の八頭身JKが立っているのが見えた。


 見紛うことはない。雪月だ。帰る途中だったのだろうか、つい数十分前に教室で見たのと同じ制服姿だ。違っているのは、片手にコンビニのビニール袋を持っていることくらいだろうか。


 雪月は僕に気づくと、周囲をきょろきょろしながら小さく片手をあげた。


「朝日くん」

「……何してるんだ、こんなところで」


 僕は尋ねた。


「朝日くんを待っていたのよ」

「僕を?」

「ここに来るんじゃないかと思って」

「……来なかったらどうするつもりだったんだよ」

「とりあえず日付が変わるまでは待ってみるつもりだったわ」

「年末の神社かよ、このコンビニは」

「今年も空中で年を越さなければいけないわね」

「そんなこと小学生でもやらないぞ、今どき……」

「でも、来てくれてよかったわ。神に感謝しなきゃ。ラバーメン」

「それを言うならアーメンだ……そしてラバーメンは直訳するとゴム人間だ……」

「今度もしプライベートで会うことになったらワンピースを着て来てあげるわね」

「そりゃどうも」


 雪月のワンピース姿か……。


 なんとなく、グラビアアイドルの写真集(夏特集)が僕の脳裏に浮かんだ。


 透けてしまうようなワンピースで浜辺を走るグラドル。


 ううん。


 興味はあるのだけれど、秋が終わろうとしている今、それは寒いんじゃないだろうか。


「なんだか妙な顔をしているわよ、朝日くん」

「いや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」

「さてはいやらしいことでも考えていたんでしょう?」

「そんなまさか。僕は人畜無害で清廉潔白な人間だよ。女の子が嫌がるようないやらしいことを考えるはずないだろう」

「じゃあ、女の子が喜ぶようないやらしいことを考えていたというわけ?」

「ああ、BLのカップリングとかな」

「BLはいやらしくないわ。尊いものよ」

「……その意見、参考にさせてもらうよ。で、どうして僕を待ってたんだ?」

「決まってるわ。お金を返すためよ」

「ああ、そうか。そうだったな」


 予想外の場所で雪月と出会ったショックのせいで、お金のことが完全に頭から消えていた。


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