第2話「雪、銀髪、コンビニにて」その②


「無理に感想を聞きたいわけじゃないから、気にするなよ」

「そう。ところで話は変わるけど、というか変えるけど」


 雪月の言葉に、僕は答える。


「なんだよ」

「意外といえば、私も意外だったわ」

「何が?」

「朝日くんが助けてくれたことよ。気を悪くしないで欲しいのだけれど、もっとクールなタイプだと思っていたから」

「いくら僕がクールでインテリジェンスに溢れているからといって、困っている同級生を見放したりはしないさ」

「インテリジェンスに溢れていると言ったつもりはなかったわ」

「あ、そう……」

「でも、ありがとう。感謝してもしきれないくらい」

「まあ、次からは残高くらいは把握しておきなよ」

「そうね……一応、把握していたつもりではあったけど」

「え?」

「計算が違っていたのよ。本当なら残高ぴったりで収まるはずだったの」


 そうか、計算が……って。


 そんなことあるのか?


 いや、ケアレスミスというのは誰にでも起こりうることだ。そこを追求するのはやめておこう。どちらにせよ、もう済んだことだし。


 僕は何となくスマホを見た。もうずいぶん遅い時間になっている。どうやら雪月と喋りすぎてしまったらしい。


「雪月、この近くに住んでるのか?」

「ええ。歩いて10分もかからないわ」

「だったら送っていくよ。思ったより遅い時間になっちゃったから」

「気遣いはいらないわ。安心して。計算は間違っても、家までの帰り道を間違ったりしないから」


 いや、それはそうかもしれないが。というかむしろ家までの道くらいはきちんと覚えていて欲しいが。


「そうじゃなくて、帰ってる途中で何かあったら大変だろ」


 あら、と雪月が目を丸くする。


「紳士なのね、朝日くん」

「常識を弁えているだけだ」

「そう言って私の家を特定する気ではないわよね?」

「ストーカーかよ、僕は」


 同級生をストーカーしてどうするんだ……。


 いや別に、同級生じゃなければストーカーをするというわけでもないが……。


 最近はストーカーを規制する法律も厳罰化してきているし……。


 いやもちろん、厳罰化していなければストーカーをするというわけではないが……。


 というか僕はどうしてこんなにストーカーについて語らなければならないのだろうか。数多あるこの世の不思議のうちの一つだよな。


「冗談にょ」

「え?」

「……冗談よ」


 嚙んだだけか。


「語尾でキャラ付けするタイプに路線変更したのかと」

「さ、寒かったから、呂律が回らなかったのよ」


 雪月は羽織っているパーカーのチャックを閉めながら、唇の辺りを震わせ言った。


「確かに冷え込んできたな。どうする? 送っていった方が良いか?」

「お言葉に甘えさせてもらうわ。このまま一人で帰ってしまうと、帰り道はひとり反省会でブルーな気持ちになってしまうもの」

「ひとり反省会?」

「経験ないかしら。一人になると、失敗してしまったことや恥ずかしかったことを自分でずっと考えてしまうのよ。まるで自分の中で何人もの人間が反省会をしているみたいに」

「ああ、分かるかもな。僕もカードゲームをしていると闇の人格が勝手にゲームを終わらせているときがあるんだ」

「それは……ちょっと違う気がするわ」


 そうか。


 ちょっと違ったか。


「なんにせよ、そろそろ帰らないか? 雪月の家はどっち方面なんだ」

「こっちよ」


 雪月は僕の家がある方とは逆の方向へ歩き始めた。


 その右手にはコンビニの袋が握られていて、雪月が歩くたび前後に揺れた。


 そして袋の中には、強烈な見覚えのある赤いパッケージのカップ麺が入っていた。


「ちょ、ちょっと待て!」

「帰ろうと言ったり待てと言ったり、優柔不断なのね」


 そう言って雪月は少し不機嫌そうに目を細めながら立ち止った。


「そのカップ麺だけど」

「これ? この『豪古タンメン(中卒)』がどうかしたの?」

「お前……それ、好きなのか?」

「ええ。辛いものが好物なのよ」

「そうだったのか……」


 まさかこんなところに同好の士がいたとは。


 しかもそれが銀髪ハーフの美少女だったとは。


「もしかして朝日くんもなの?」

「え? ああ。実はそうなんだよ。今日もそれを買いに来たところだったんだ。残念ながら売り切れだったけどな」

「そうだったの。それは失礼してしまったわね。私が最後の一個を買ってしまったから……」


 言いながら、雪月はビニール袋の中を見て、


「譲ってあげましょうか、お礼に」

「いや良いよ。代わりを買っちゃったし。僕が払った金額をそのまま返してくれればいいから」

「そう。現金な人ね」

「まあ、文字通りね」

「文字……?」


 雪月が首を傾げる。


 伝わらない冗談ほど冗談にならないものはない。


「とりあえず、行くか」

「そうね」


 立ち止っていた僕らは再び歩き始めた。


 まだ冬が来ていないはずなのに、どことなく寒さを感じた。


 これは決して、さっき僕がつまらない冗談を言ったからではない。


 大体、つまらない話で温度が下がると言うのなら、僕は年がら年中つまらない話をし続けて地球の温暖化を食い止めてみせよう。


「そういえばさっき、こんな時間にコンビニへ来てるのは知り合いに会わないためだって言ってたよな」

「ええ。それが何か?」

「いや、何ってわけじゃないけど気にはなってたんだよ。雪月っていつも一人でいるだろ? 不思議に思ってさ」

「学校に行ったからといって誰かとコミュニケーションを取らなければならない義務はないでしょう?」

「まあ、それはそうだけど」


 一瞬だけ沈黙の間があって、僕と雪月の足音だけが夜の月明りの中に響いた。


 それから、僕が瞬きをするだけの時間が過ぎた後、雪月が口を開いた。


「苦手なのよ」

「苦手って?」

「conversation」


 雪月はやたら流暢な発音でそう言った。


「かんばせーしょん……会話?」

「ええ。苦手なの」

「まるでネイティブみたいな発音だったけど」

「生まれたときから海外暮らしだったの。日本に戻って来たのは中学校に入る前くらいね」

「じゃあ、母親が外国人っていうのは……」

「そんな噂が流れていたのね。半分くらいは当たっているわ」

「と言いますと?」

「私の母はイギリス人と日本人のハーフなの。だから当たっているのは半分というわけ。その母が日本人と結婚しているから、私はクォーターということになるわね」


 そうだったのか……。


 クォーターと聞くとなぜかピザが思い浮かぶけれど、それはそれとして。


「じゃあ、あれか。海外暮らしが長かったから日本語が苦手……とか?」

「そう――いうことにしておいてくれるかしら」

「いや、その割にはさっきからベラベラ喋ってる気がするけど」

「……そんなことないわよ」

「果たして本当にそうだろうか。いや、まあ、お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな」

「正直に言えば、普通に人と会話するのが苦手なの」

「生まれとか育ちは関係なく?」

「モチのロンよ」

「死語だな……」

「今こうして朝日くんと会話が成立しているのは地球に生命が誕生したのと同レベルの奇跡よ。その場に立ち会えたことに感謝して欲しいわね」

「僕は火の鳥か何かかよ……」

「言葉を返すようだけれど、朝日くんは得意なの?」

「何が?」

「他人との交流よ」

「自慢じゃないが、僕は中学の頃みんなから大人気だったんだ。僕に人気で並ぶことができたのは給食のプリンくらいだったよ」

「それは大層な人気だったのねえ、感激するわ」

「言葉に感情がこもってないよ、雪月サン……」

「だって信じられないもの。クラスでのあなたは死んだ魚のような目で、周囲の人たちを道端に転がる空き缶を見るように眺めているじゃない。そんな人が給食のプリンと人気を二分していたなんて思えないわ」


 確かに、雪月の言う通りだ。


 雪月がクラスの中で気配を消しているように、僕もまた誰からも注目されないよう

にしている。さながらネロンガみたいに。


 そんな僕が給食のプリンと双璧を成していたとは信じられまい―――っていうか給食のプリンを引きずりすぎじゃないか。もうプリンの出番は終わらせてもいいんじゃないだろうか。でなければプリンに会話への出演料を払わなければならなくなる。


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