第8話 ライブ

 週末にかけて作業は順調に進み、おおよそ完了を目前としていた。

 植木さんからもメールでの謝罪と来週から復帰する旨の連絡を受けて、私は軽快な気持ちでラミアと一緒にライブ会場へと向かっていた。

 彼女はライブのテーマカラーに合わせたような派手な色合いの服を着てきていたが、私は特に気にせず、普段通りのモノクロ調の地味めな格好であった。服の趣向が真逆な人が隣にいるので、他人から見たら不思議な2人組のように見えるだろう。

 ラミアはライブグッズなどは事前に購入しているようで、彼女は私に予備で買ったペンライトの入った巾着を手渡してきた。

「ペンライト持つの初めて、意外と軽いんだね」

「今日は思いっきりそれを振ってもらってかまわないぜ」

 ラミアは自慢げにそういう。

「うわぁ、すごい人だ……」

 会場の駅に着き、窓からライブ会場への道を見下ろすと、その会場までの道が人でいっぱいであった。

「いやぁ、ほんとすごい人だよねぇ」

「あ、うん、あとさ……、なんか黒いモヤが溢れ出ている人がいる」

「え、まじ?」

「これって自分に向けられた悪意だけだと思ってたんだけど……」

「自分の推しに近付くんじゃねぇっていう警告なのかも?」

 冗談めいたラミアだったが、なんとも納得してしまいそうな説である。

「ねぇねぇ、私からはモヤ出てる?」

「ううん、ラミアからは出てないよ」

「くっ……、私の推しへの愛はまだまだってことか」

「そういう捉え方?」

 そんな会話をしながら、大行列に倣って牛歩のようにゆっくりと会場へと向かう。これだけの人が会場に向かっているのだ、実際の会場はさらに人がいるのだろうと思うと、少し気が重くなる。なによりところどころより漏れ出ている黒いモヤがあることで私の神経は少し気の張った状態となっているのもある。

「ひかり、大丈夫?」

 そんな様子が見てとれたのか、ラミアが心配するように私を見た。

「うん、これくらいはまだ大丈夫、あとは席についちゃえばきっと平気」

 過去に何度かライブに行ったことはあるが、これほど黒いモヤが見えるのはアイドルのライブだからなのだろうか。そう考えると彼女らの推しへの強い想いに少しばかりの恐怖すら感じる。

「でも推しがいるってやっぱり楽しいんだよね?」

 頭でごちゃごちゃ考えたことを唐突に言葉にしてしまったため、ラミアは私に指をさす。

「B型特有の自分の中で色々考えてからの質問のやつ」

「あ、ごめん」

「大丈夫、推しがいるのは楽しいよ、もちろんグッズとかでいろいろと出費が重なる時はあるけどね……」

 切実な問題なのだろう、ラミアの声が少し低くなった。

「まぁ、それでもね。良いんだよ。こうやってライブにきて、実際に動いているところを見ていると、なんだか私らが応援しているんだけど、いつの間にかこっちが応援されてるような、そんな感覚になるのさ」

 やはり言葉で聞いても私にはいまいちピンと来なかった。

「よくわからんって顔してるな」

 ラミアがちょんと肘で私を小突いた。

「んー、その推したくなる人がいれば私もわかるのかなぁ」

「わかると思うよ。これだけの人が推しだなんだって盛り上がれるくらいだからね」

「私、昔からどっちかっていうと少数派だったからなぁ」

「大丈夫、それ私もだから!」

 そう言ってラミアは私の肩に手を回した。ぎゅっとされる感覚がなんだか心地よい。

「さ、座席までがんばって辿り着くぞ!」

「うん!」


 座席は広いスタジアムの一番後ろの席ながら、ステージが俯瞰的に正面から見える悪くない場所であった。

「スコープないと豆粒だけど、全体見渡せて良いかも!」

 ラミアはご機嫌に首からスコープ、手にはペンライトとうちわを持っている。

「準備が万端すぎる」

 私は思わず彼女の姿を写真に収めた。

「モヤはどう?」

 会場を改めて見渡す、ところどころそれのようなものが見えるが、先ほどに比べたら特に気にならない程度だった。

「うん、さっきよりはだいぶマシになったかな。客席からちょっと出てるのが見えるけど、もはやスモークみたいなもんだし」

「黒いスモークってやだな……」

 そんな会話をしているうちにライブ開始の演出が始まり、ラミアは夢中になって歓声を上げ続けた。


 ライブを見にきてわかったことは、一般的なバンドのライブとは随分と異なり、歓声がものすごく、アイドルたちが何かハンドサインや投げキスをしようものなら会場が真っ黄色い歓声に包まれる。

 すごいなー、ここまで盛り上がったらやっている側も楽しいだろうなーと夢中になっているラミアの横でついつい分析を始めてしまっていた。

「ねぇ、見える? あの今左の端にいるのが私の推しです!」

 ラミアがそんな私を見てか、そう指差すもあまりにも距離があるので本当に小さくどんな顔をしているのかも見れない。

「ほら、あの人あの人!」

 今度はモニタに映し出されたであろうその推しを教えてくれた。

「あの人か!」

 そういうと、グッと親指を立てた後に親指と人差し指でハートを作って、視線をステージに戻した。

 そんなライブを見ていると、1時間経過してもダンスのキレもすごいし、動きながら歌っているのに、苦しい表情を全く見せずにしっかりファンサービスしているその姿は並大抵の努力では成し遂げられないことなのだろうと感じ始めた。これをカッコいいと感じない人はいないのではと、だんだんとファンたちの気持ちへの理解が深まっていった。

 そんな彼らの実際のプライベートなんてことは全く知ったことではないが、このステージ上での彼らはまさにアイドルという体を成していて、これは熱狂するファンが出てきてもおかしくはないと感じた。

「かっこいいね」

 色々と頭で考えてしまった後で結論をラミアに伝えると、彼女は嬉しそうに、そうでしょ、と満面の笑みで返してくれた。

 ステージ上の彼らからは黒いモヤなんて見えるどころか、どこか光り輝いているように見えた。


 学生の頃は、どこか男性は怖いものだと思っていて、自然と近寄らないようにしていたこともあった。しかし、今の職場は男とか女とかそういった考えとは少し離して、ただ人間であると考えることも出来るようになった。実際にモヤが見えることも少なかったし、これでやっていけるならと私は今の生活に満足していた。この前、将来のこと、これからの人生のことを考えるまでは。

 ずっとこのまま、何も変わらないままではいられない。このライブだってもうすぐ終わってしまう。世の中は諸行無常なのだ。変わらないものなんてない。この気付きが私を変える選択肢を作ってくれた。

 まだやり方はわからないけれど、これまでも、そしてこれからも見えているであろうこの黒いモヤと一緒に生きていこう。

 応援してるんだけど、応援されてるんだよ、ラミアが言っていた言葉が蘇ってくる。私はすっかり彼らのステージに感動してしまっていた。不思議とがんばろう、という気持ちが生まれてくるこの感覚は生まれて初めてだったかもしれない。

 そして曲が終わったタイミングで、私はラミアの顔を感謝の気持ちいっぱいで見た。

「今日、誘ってくれてありがとう!」

 その顔を見たラミアは少しの驚きと照れのような表情を見せて、にっこりと笑った。


 ライブが終わり、また大きな人ごみに流れながらも暗い遊歩道をゆっくりと歩いていった。駅に着くまでのこの道はまた黒いモヤが見えてしまっていたが、大丈夫、これはただのモヤと必死に言い聞かせることでなんとか駅にたどり着くことができた。

「ほんとすごい人だね」

「ほんとにね」

 改札を通り過ぎた後、そういうラミアの姿を見ると、彼女の体からうっすらと黒いモヤが出ているのが見えた。あまりにも唐突のことで思わず表情が強張ってしまう。

「……どうしたの、気分悪い?」

 そんな私を見て、ラミアは心配するように肩をさすってくれる。ただ、その手からも黒いモヤが出ていて、無意識にも私は体が震え出してしまう。そして耐えられずに大丈夫といって、その手を振り払ってしまった。

「……ご、ごめん!」

 やってしまった。

 こんなに楽しかった思い出、やっと手に入ったというほどのライブのあとの思い出に余計な傷をつけてしまった。一瞬でそんな想いでいっぱいになった。

「ごめん、ほんとに大丈夫、大丈夫だから……」

 震える体を隠して、ラミアにそう伝える。彼女の心配そうな顔からもぼんやりとモヤが見えていた。

「み、水! 水買ってくるから、待っててね!」

 そう言って、またラミアは人の流れの方へ戻っていてくれた。自分でも呼吸を整えようと間隔を意識しながら深呼吸をした。なんでラミアから黒いモヤが見えたのか、パニックに近い状態の頭では落ち着いて考えることができず、なぜという言葉が延々と繰り返されていった。

「ラミア……」

 私はその場でしゃがみ、ラミアが戻ってくるのをただただ待つことしかできなかった。

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