第6話 チーム一丸

 篠田が受け取った佐々木さんの宿題については、微笑ましく思えたものの、自分への宿題については頭を悩ませていた。

 構築作業も一区切りついて在宅の水曜日、ラミアからメールが届いた。

「推しのライブチケット、最終先着で奇跡的にゲットした! 勢いで2席取ったから、来週だけど行こ!!」

 ラミアからの勢いには申し訳ないが、わたしはラミアが推しているアイドルたちを全く知らない。全く知らないのにそんな貴重なライブに参加するなんて申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

「すまんが、私はいけぬ。他の者たちの想いに敵わぬ」

「布教も兼ねてるからいいんだよ、黙ってついてこいよ! チケ代はいらねーよ!」

 推しを推してくるラミアの熱に負け、私のスケジュール帳にその日はライブと書き込んだ。


「よくよく考えたら、他の男に時間費やしてるヒマねぇわ」

 チケットが取れたこともあってか、ライブ熱で随分出来上がっているラミアと2人、週末にいつもの飲み屋でご飯を食べている。

「そんなこと言って、また寂しがるんじゃないの?」

「いいや、ないね! 私の推しに申し訳ないわ。ほんとアプリの男ってわからん!」

 一応、注文履歴を覗いてみるが、今日は濃いめではなく普通のハイボールなのを見て、本当に推しに熱が上がってるのだなと感じた。恐るべし推しの力。

「だからさぁ、ひかりにも知ってもらいたいのよぉ〜、ほらメンバーいっぱいいるでしょ」

「いや、わからんて、わからんて!」

 スマホをぐいぐいと押し付けてくるラミアを一旦宥めて落ち着かせる。

「こういうアイドルでもさー、色々あるのよ歌が得意だったり、ダンスが得意だったり、その逆も然りなんだけどね! そんな人たちが頑張って練習して、みんなの前でチーム一丸となってキラキラと輝く瞬間をよぉ〜〜〜、生で見てくれよ〜〜〜!」

「いや、だからライブは行くってば……」

 いつもに増して暴れるラミアをなんとか落ち着かせて、とりあえずこれだけは聞いてというアルバム情報だけを送ってもらい、ストリーミングで聴きながら家に帰る。

 今や推しなんて言葉が随分と一般的に使われているようだが、未だに私はその概念がわからなかった。推したい、人にそれほどまでに勧めたいものはあるかと聞かれるとふと悩んでしまう。人にはそれぞれ好き嫌いがあるし、勧めたところでそれを気に入ってくれるかどうかなんてわかりっこないからだ。ただ、先ほどのラミアを見ていると、そんな理性すらも飛び越すほど人に勧めたくなる物や人を推しというのだろうな。

 推しか……。


 ……。


 もしかして、私って無趣味なのでは……。不意に自問自答が始まる。

 いや、私だって映画とか見るの好きだし、音楽だって色々聞くし。マッチングアプリに登録したときに趣味項目があったのを思い出し、本当に他愛のないものしか選んでいないという記憶が蘇ってくる。

 私の好きなものとは一体……。

 その正体を探るべく、私は土曜の朝から出かける準備をしていた。自分の趣味についてなにかしらの答えを求めて、家を出た。

 朝食を摂っていないのでまずはパン屋で少し優雅なモーニングを過ごしてみる。

 よくあるカフェ巡りという趣味があるが、あれは何をしているんだろう。色々な街のカフェに言って、そのお店のコーヒーを飲むのだろうか。確かに趣深いお店に入ると少し現実から離れたような、そんな近しい感覚に陥ることもある。そういうのが良いのかもしれない。しかしそれは自分の趣味としてはどうにもピンとこなかった。

 食事を済ませて、今はもう店舗数の少なくなったCD・レコード屋へと足を運ぶ。一人暮らしをする前の実家では家にはレコードプレイヤーもあり、よく聞いたりしていたものだった。音楽については最近はもっぱらストリーミングだが、やはりジャケット兼ねた実物を手にとるのも良い。意外と自分はアナログ人間なのかねと思いながらも、結局は気になったアルバムをストリーミングで再生して聞いている。

「これは本当のファンに怒られるやつなのでは……」

 今や音楽然り、映画然り、ストリーミングサービスでことが足りてしまう。ただ、それらはネットワークやサービスがあり続けることが前提だろう。世の中からネットワークが失われたり、単純にサービスが終わってしまったら自分には何も残らない。

 そう考えると、やはり実物が手元にある価値というのはあるのだろう。私は出入り口で足をとめ、今聞いているアルバムのCDをレジまで持っていくことにした。

 ラミアに誘われているライブのアイドルたちのポスターを尻目に私は店を後にした。

 それから人の多い路地を歩いてみたり、聞いたこともないアーティストのポップアップストアにぶらりと寄ってみたりしてみるものの、自分の趣味というものがイマイチ見えてこない。少し足も疲れたので、近くにあったカフェに腰を下ろす。

 コーヒーを一口飲み、思わず「趣味」というワードで検索をかけてみるとどれも自分にマッチするような気がするものがなかった。

 それにしてもなぜこうまでして趣味を探しているのだろうと、原点回帰のような考えも浮かぶ。今まで自分はどうやって生きてきた、何を楽しみにしてきた。そんなものを思い返すも、自分はつまらない人間なのではというネガティブ全開の想いが湧いてくる。

 「あーッ!」と心の声で叫び、そのノリで1人でカラオケに向かう。歌うのは好きだ。特にひとりであれば誰も気にしないで済む。1時間ほど歌った後に少しスッキリした私はこれが私なんだなと無理矢理、答えを導き出して家に帰ることにしたのだった。


 週明け、全員が出社の日、黙々と仕事をしている中で突然口を開いたのは篠田であった。

「植木さんって休みってなにしてます?」

「ど、どうした急に」

 今までの篠田を考えると想像のできない質問に対してたじろぐ植木さん。先週の自分を思い出すようですこし面白かった。

「俺はジムに行ってるかな、あとは料理とか」

 料理、思わず顔を上げて、植木さんの顔を見てしまう。

「おい、籠崎、その人を疑うような顔!」

「ち、違いますよ」

 ばっちりと目が合い、思ったことがそのまま伝わっていたことに焦り、ひとまず否定をしてしまった。

「料理はいいぞ」

「ざっくりしすぎっすよ」

 篠田の素直なツッコミに植木さんはキーボードの手を止めて、しばらく考えこむ。

「たとえばな、こういう機器の設定って設定した通りの答えしか返ってこないだろう。それに設定のパターンも決まっている。だが、料理はいくらでも味をかえられるし、日によっては同じ調味料でも味が変わることだってある」

 いまいち例えが下手だなぁと思いながらそんな話を聞いていると、篠田はその料理の話題に食いつく。

「料理すかぁ、俺もやってみようかな」

「ほんと、どうしたんだ、急に」

 植木さんが少し心配するように篠田をみる。

「いや、最近なんか休みの日ってヒマで何もすることなくダラダラとしちゃってたんですよね。なんかそういうの変えたくて」

 篠田が珍しくプライベートのことを話すようになっているのに気づいて、思わずまた植木さんと目が合ってしまう。

「いいんじゃないか、今はアプリとかで作りたいものの調理法とかもすぐ調べられるしな」

 植木さんはまたキーボードをリズミカルに叩く。


 一区切りがついたあたりで、コンビニにでも行こうと立ち上がった。

「コーヒー買いにコンビニ行きますけど、なんかいります?」

 2人は現実に戻ってくるように大きなため息をついた。

「なにか甘いもの……」

 と植木さんは答える。

「濃いめのコーヒー……」

 そう篠田が続いた。

 ドキュメントワークが増えてきているのもあり、それぞれが目頭を抑える姿はこの部署ならではかもしれない。

「じゃあ、行ってきます」

 そういってフロアのエレベータ乗り場へと向かっているところで、後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「三浦さん?」

 人事部の三浦さんだった。正直私が苦手なタイプの年上の女性で、自分の子供の話が始まると30分は動けなくなる、と言われているいわゆるおしゃべり好きな人だ。ただ、それだけならよいのだが、そこからの結婚の話だったり、出産の話だったりの取り調べのような話をしてくるようなことが多く、女性ながらに苦手な存在なのであった。

「ちょうど良かった!」

 三浦さんはそういうと小走りで近づいてきた。

「何かあったんですか?」

「それがね、ちょっと聞いておきたいんだけど」

 あまり良い予感はしないが、私はなんでしょうかと尋ねる。

「植木さん、元気そう?」

「はぁ、植木さんですか?」

 植木さんがどうしたのだろうか、この手の話だとゴシップ誌のような気もして地雷のような何かを感じたが、思わず私は聞き返していた。

「この前、心療内科に入るところを見た人がいたらしくてね、なにか抱えてないかなぁって」

 この言葉を聞いたときに私はなにか胃袋に重いものがドスンと落ちてくるような感覚に陥った。

 百歩譲って人事の人間だとしても、そこは言ってはいけないのではないだろうか、この人には本当にデリカシーというものがないのだろう、という沸々とした怒り。それに万が一、植木さんに休息が必要になってしまった場合、今の業務がマネージャー不在の案件になってしまうという困惑。それが混じり合って、私はうまく人に向ける笑顔が作れなくなってしまっていた。

「そ……、そうなんですね」

 かろうじて捻り出したセリフもどこかぎこちなくなってしまう。

「そ、だから色々大変だと思うけど、サポートしてあげてね」

 そういうと満足そうに三浦さんは己の目的の場所へと歩いて行った。

「……サポートって言われてもねぇ」

 なんだか余計なことを聞いてしまったなぁとため息をついてしまう。

 とはいえ、今日の様子を見ていても心療内科に通っているような感じはしない。まぁそういうものってそんなに見てわかるようなものであれば苦労はしないのだろうが。

 そんなことを考えながらコンビニで買い物を済ませ、気付けばまたエレベータホールに戻ってきていた。

 まぁ聞いたことは気にしないようにして、今までどおりやっていこう。

「戻りました」


 植木さんは私よりも一回り年上で長年佐々木さんの下で働いていたそうだ。なので、佐々木さんが退職してしまった今、自分が佐々木さんの代わりになろうと試行錯誤しているのかもしれないな。この前の送別会での一面を思い出しながらコーヒーを飲む。

 確かに植木さんはお客さんの依頼をそのまま鵜呑みにするイエスマンだし、それをそのままこちらに流してくるような丸投げをしているようにも見えるが、この人はこの人でなにか抱えているものがあるのだろう。ただ、それを私が気にしたところで解決できるわけでもないだろう、きっと彼も私や篠田にはそんな話はしないのだろうなとも思っている。

 ただ、そうは言っても、そろそろ終盤に差し掛かっているというこの大きい案件の最中に私と篠田を残して倒れてしまっても困るも事実である。サポートとまでは言わないが、少しばかりは注意だけしておこうと一息をついて、まずは目の前にある作業に集中することにした。

「とりあえずこのシステムテストだけ終われば、あとはもう手離れですよね」

 篠田が首のストレッチをしながらそうぼやいた。

「とはいって、進捗まだ30%も行ってないから、今週いっぱいはかかるかもね。再鑑も必要になるし」

「まぁ、今のところ予定通りに進んでるし、明日の定例会で変な要望さえ入ってこなければ大丈夫だろう」

 そう、この定例会という単語は私や篠田にとってとても厄介なワードであった。

 定例会とは今行なっている案件のお客、案件全体の統括リーダー、そのほかアプリケーションチームなどがあり、うちからはインフラ担当として植木さんが出席している。

 お客さんは非常に気まぐれで、先週の発言をあっさりと覆してしまうことが多い。そのため、他のメンバーは常に神経をすり減らし、開催されるたび、まるで胃に針を刺されるような痛みを抱えながら会議に臨んでいる。

「隔週とはいえ、ほんとこの日は憂鬱だ」

 そう毎回植木さんは誰にいうわけでもなく漏らす。

 議事録をとっていても全くスルーしてくるお客に対して、意見申しだてをする人間はおらず、ひとまずは持ち帰りとなって本当にどうしようもない、現実味のないものだけを無理だと報告するのが定例となっている。

「無理そうなら最初から無理とは……」

 篠田も思わず口を挟む。

「いやぁ、あの完全にアウェーな会議室でそんなこと言えるやついないと思うぞ……」

 天を仰ぐように植木さんはつぶやいた。

 どうもさっきの三浦さんの話が頭をよぎってしょうがない。別にこのことで気を病んでいる、病んでないかは私にはわからないし、変に口に出すことでもない。ただ、なんだか罪悪感に似た感情が私の中を這いつくばっているようで気色が悪かった。

「まぁ、何があっても気にしないでください。何があっても私たちで検証とかやるんで、何があっても、です!」

 その罪滅ぼしのような一言に篠田と植木さんは同時に私を見た。

「……おいおい、なんか、最近みんなおかしくないか?」

 植木さんが篠田と私を交互に見ながらそう言った。

 ここで植木さんが心配だなんて言えば、疑わしいを超えて気味悪がられそうだった。

「いや、佐々木さんももういないし、少しは支え合おうと……」

 それを聞いて、何か胸にくるものがあったのか、数秒茫然として照れたような枯れた笑みを浮かべて、そうか、そうだよな、と小さくつぶやいた。

「ありがとうな」

 どうやら私の気遣いはうまく働いたらしく、植木さんの顔は先ほどに比べて明るくなったように見えた。

「どうしたんすか、急に」

 のちに植木さんが席を外したときに篠田が私に訊ねる。

「別に、言ったとおりのこと。佐々木さんがいなくなった今、後任になった植木さんをサポートしていかないとね」

「あー、まぁ確かにそれもそうすねぇ」

 その後、席に戻ってきた植木さんに「肩でも揉みましょうか」と篠田が背後に近づくも、「去れ!」と一蹴されていた。

 こんなチームでもラミアの推しグループのようにチーム一丸となってキラキラと輝くことができるのだろうか、とその様子を見てふと思ってしまった。

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