第5話 見えないこと、知らないこと

 朝、テレビを観ながらのんびりしている最中、ふとマッチングアプリのことを思い出して、アプリを起動してみる。そこにはマッチしたままでなにも返信をしていない状態の人が2人、1人はすでに数日経っていた。

 まるで仕事で受け取ったメールのように、返信をしなきゃという義務感に襲われ、胃がぎゅっと何かに掴まれる思いである。

 急いで数日放置してしまった1人に、苦し紛れに仕事が忙しかったという理由で謝罪の返信をしてみるもその後はメッセージが既読になることはなかった。

 もう1人のほうはアユムという名前の人で同年齢。ウェブデザイナーをやっているようだ。こちらからいいねをしているので、見た目は高校生の時に付き合っていた黒いモヤを全く出さなかった彼に近い。

 メッセージ内容からもどことなく誠実さがあり、彼にも返信する。

「マッチ、ありがとうございます」

 お礼と改めての自己紹介。こういう時に何を送ればいいのか正直検討もつかない。ただ検討がつかないからといって何もできないわけというわけではない。必死にお見合いのような雰囲気を醸し出せているのでは、と思う程度の内容を書き上げて送信する。

 それからのアユムさんからの返信はとても早く、あれよあれよ話が進んでいき、明日早速お茶でもしませんかという話になった。

 こんなに急展開に進むものなのかと私は返信しながらも動揺を隠せなかったが、震える手を押さえて、その誘いに了承した。幸い、明日はこれといって予定もなかったし、昨日から始まった映画でも観にいこうかなとぼんやり予定をしていたくらいだ。会話に困ったらその映画に行ったりするのもありかもしれない。

 彼とのそんなやり取りが終わり、掃除機をかけて、一息つこうとカップにコーヒーを注ぎ、ふと我に返ると大きな絶望感に襲われる。

 会社で少しは慣れたとはいえ、恋愛前提の異性と直接会う。そもそも人見知りであるのに一体なにを話せばいいのか、いや、そもそも会うために何を着ていけばいいのか。化粧もいつもの感じで大丈夫だろうか。髪型は。どんどん課題が積み重なっていき、その重圧に私は潰されそうになる。

「あぁーー!」

 そして約束をしたことをキャンセルしようかと文章を作り始め、これを送信してしまおうか悩んでいると、ここから自分を変えるチャンス、と言わんばかりの天使の姿が垣間見えた。その横には「送信しちゃえよ!」と笑う悪魔も見えてきそうだった。

 試す前に逃げるというのはそのまま敵前逃亡である。確かに全く知らない男の人に会うのは怖い、ましてやその人が会った瞬間に真っ黒だったら動揺してしまうだろう。それでも確かにこれは自分を変えようとするチャンスでもある。

 今こそ今までの自分に立ち向かっていくのだ、と私は作成したキャンセルメッセージを全て消した。

 佐々木さんも言っていたじゃないか、人との関係性で大事なのは受け取り方だ。相手がどういう意図であろうとその意図を受け取り、感じるのは自分でそこからどう行動するかも自分次第である。私は強く口を結び、明日に向けての準備を開始した。


 翌日、有名な公園で待ち合わせ、そこにきたアユムという男は高校時代に付き合ったことのある顔を持ちながら、真っ黒なモヤをまとって登場した。

 そして明らかに声色を高くして、まるで男性アイドルのような口調や立ち振る舞いのアユム。

「今日、ホシさんに会えてすっごい嬉しかったです」

 ホシは私のニックネームである。

「あ、そ、そうなんですか、よかったです」

 この時点で黒いモヤの恐怖感に襲われて、笑顔が引き攣っていたかもしれない。このモヤも私の単純な受け取り方で見え方は変わるのだろうか。このモヤは敵じゃない、このモヤは敵じゃない、そう何度も自分に言い聞かせながらもカップを持つ手が震えるのが止められなかった。

「最初にホシさんからいいねもらったときなんかこう運命みたいなものを感じちゃって、ほんとうにありがとうございますっていう感じでした」

「は、ははは……」

 我ながらコミュ障が爆発してしまっていると感じてしまう。無理です、これ以上は無理です、と身体のそこらじゅうから警告音がなっているのが伝わっている。

「俺もなんですけど、ちょっと緊張しちゃいますよね」

 そう言って、アユムはカップを両手抱えるように持つ手に自分の手を重ねてきた。

「……ッ!」

 全身の筋肉が強張るのがわかる。このままだと明日、いや下手したら明後日には全身筋肉痛になってしまう。

「もし良かったらこの手みたいにホシさんを包んであげたいな」

 声のトーンを落として、囁くように言うそのアユムの声の吐息すら、もはや不燃物を焼いた時にでる真っ黒い煙のように感じて、私ははっきりと敵意を向ける目でこうアユムに告げた。

「すみません、そろそろ用事があるので失礼します」

 その後しつこく言い寄ってくるアユムをなんとか振り切りながら、カフェを後にし、電車へと逃げ込むように乗り込んだ。

 なんだこれは、トラウマ復元機ではあるまいな。カバンに眠っていたアルコール除菌シートでアユムが触れていた手の甲を拭う。何回か拭った時に、だんだんと呼吸が落ち着いてきて冷静になってくる。

「わたしは、なにをやっているんだろう……」

 じんわりと目の奥から滲み出るものがあったが、それはぐっと目を瞑ってなかったことにした。

 シフト業務で大変だとわかっていはいたが、私はラミアに晩御飯お誘いメールを送った。その理由を聞いた彼女は疲れているだろうに私の誘いに乗ってくれた。

「いや、これよく見てみなよ。地雷を自ら踏みにいったようなもんじゃないの」

 アユムのプロフを見たラミアがプロフにある最後の一文を指差して言ってくる。そこには、俺の優しさであなたを包み込んであげたいなッ★と書いてある。今思えば確かにそのまんまの行動であった。

「この際だからハッキリいうけど、あなた、男を見る目がなさそうね」

 あまりにもどストレートだったのと、今日のアユムとのことで発生した自己嫌悪によるダメージで、私はテーブルに倒れ込んだ。

「そんなこと言って……、ラミアはどうなのよ」

 苦し紛れにそんな風に言うと、ラミアはまるで上から見下ろすような笑みを浮かべる。

「あなたに男を見る目がないといったところで、誰も私に男を見る目があるなんて言ってないでしょ?」

 謎かけのようなめんどくさい口調に一旦理解が追いつかないような顔をしていたら、彼女もテーブルに倒れた。

「……私も全然うまくいかねぇのよ」

 そして、私たちは静かに乾杯した。



 月曜日、週の始まりたるものはとても気怠けで、それに出社が加わってしまうと起き抜けは絶望感しかない。

 そして、ぼんやりとした頭を揺らしながら出勤し、金曜日の残作業に手をつけているとあっという間に昼休憩となった。

「籠崎さん、今日昼飯どうですか」

 篠田が珍しく声をかけてきた。入社したての時こそ業務の一環のように他の人をお昼に誘っているところを見たことはあるが、それはもう数年前もの話である。

「え、どしたん」

「あ、いや、まぁそうなりますよね……」

 バツの悪そうな顔をして私に背を向ける篠田をひとまず私は捕まえる。

「とりあえず行こう。ちょうどキリのいいところまで終わってたし」

「ういっす」

 昔はお弁当などを作って、なんか頑張っている自分に陶酔していたものだが、弁当を作る時間を用意するのがだんだんと億劫となり、次第に作らなくなったのでお昼のお誘いはおおよそ歓迎ではある。

「どこ食べにいこうか」

 私が篠田に問うと彼はスマホを取り出した。

「どこに行きましょうかね」

 そう私に告げる。

「計画性皆無か! んじゃあその近くにあるパスタ屋なんてどう?」

「いいすね、そうしましょ」

 会話自体はいつもの篠田とそう大差はないのだが、こうも行動がおかしいとこちらの対応も難しくなってくる。

 私の勧めたパスタ屋さんはちょうど席が空いていて、すぐに座ることができた。

「ラッキーね、いつもここちょっと並んでたりするけど」

「たしかに、いつもコンビニに行く時に見ると大抵人がいますね」

 水が運ばれてきて、注文を終えたタイミングで単刀直入に尋ねる。

「なんかあったの?」

「なにがすか?」

 なにがすか、って自覚してないわけないだろうに。

「いやぁ、いつもうちらってコンビニ飯ばっかだったじゃない。だからなんか急に誘われてびっくりしたというか」

「まぁ、そうすよね」

 他愛のない返事は相変わらずだなと言う目をしている私を見て、篠田は俯いて頭をかいた。

「実はなんすけど」

「うん」

 諦めたように彼は眉を八の字にしながら話し始めた。

「金曜に佐々木さんに言われたんすよ。篠田くんはチームワークは苦手なタイプですか、って」

「ふっ」

 思わず吹き出してしまった。それを篠田がじとっとした目で見てくる。

「ごめん、大丈夫。それで?」

「俺なりには上手くやってるつもりでいたんですけど、そう見えますかって逆に聞いてみたんですよ。そしたらコミュニケーションはもっと奥深いものだから、私としてはもう少し近づいてきて欲しかったなぁって言われちゃって。しかも少し残念そうな顔で」

 篠田はそういうとコップの水をごくりと飲んだ。

「正直わかってないんですよ、俺。今まで通りのやり方がなんか社会人ぽいのかなって思ってやってきたんすけど。それで、ちょっと土日悩んじゃって……」

「それでお昼に誘ってみたのね」

 篠田には申し訳ないが、行動が可愛らしすぎて思わずニヤニヤしてしまう。

「いや、ほんとにわからなくって……」

「佐々木さんの宿題みたいな感じだねぇ」

 注文したパスタが届く。

「なんか俺、変ですか?」

「いや、これっぽっちも」

「ですよねぇ〜」

 パスタをフォークに巻き付かせながら篠田はため息をついた。

「まぁ強いて言うなら、私は篠田のことなんも知らないってことくらい」

「いや、それを言ったら俺だって、籠崎さんのこと全然知らないすよ」

 それを言って思わずお互いに笑う。

「なんかおもしろいね、もう入社してから何年も経っているのに、一緒にランチ食べにいってお互いのことなんも知らないって」

「佐々木さんが言っていたのはそういうことなのかなぁ。でも結構嫌じゃないですか、なんか職場でプライベートのこと話したりとかって」

「私もそんなに乗り気ではないかなー、でも佐々木さんも職場でプライベートの話なんかあんまりしてなかった気もするけど」

「ですよねぇ」

 お箸でパスタを食べる私を突然じっと篠田が見つめる。

「パスタに納豆ってうまいんすか?」

 そう、私の注文した納豆明太パスタを指さした。

「いや、普通に美味しいけど」

「俺、納豆がなにか他のものに混ざっているのってなんか苦手で」

「は? んじゃあ納豆ご飯はどうなのよ。あれ普通に混ざってるじゃない」

「はい、なので納豆はストレートで食べます」

「す……ストレート?」

 納豆はご飯にかけるものだという認識だった私にあのパックから直接納豆を食べる想像ができなかった。

「パックからそのまま」

「ほんとに?」

「嘘ついてどうすんすか……」

「食べてみる?」

「いや、いらんす」

 篠田とはほとんど初めてのランチではあったが、なんだか以前の彼のイメージが少しだけ柔らかくなり、話し方の雰囲気も変わったようにも感じた。

 食事も終えて、また職場に戻っている際に、ふと思った。

「きっと佐々木さんの言っていたのはこういうことじゃない?」

「どういうことすか?」

 篠田は怪訝めいた顔で私をみる。

「私は納豆をストレートで食べないし、篠田は何かと混ざった納豆を食べれない」

「はぁ?」

「そういう本当にどうでもいいインフォーメーションって今まで話したことなかったじゃない?」

「まぁ、そんな話する必要ないすからね」

「そういう話をして、佐々木さんはもっと篠田のことを知りたかったんじゃないかなって、今ふと思っただけよ」

 怪訝な顔が一瞬かたまったようにもみえたが、視線は私から空を見るように流れていった。

「ん〜、あ〜?」

 まるで壊れたロボットのように篠田は声をあげる。

「その感じは理解しそうで、まだ腑に落ちない感じ?」

「んー……、ほんとそんな感じす」

 佐々木さんに最後に課された宿題は正確には私も把握はしきれていないけれど、きっと篠田にとってはまた新たな気付きになりそうだな、と頭を抱える篠田をニヤけた顔でみる。

「まぁ、またランチは行きましょ、新しい発見がまたあるかもね」

「そうすね、ありがとうございます」

 それに対して篠田も少し緩く笑って返してくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る