第4話 佐々木さん

 マッチングアプリに登録し、しばらく経ってわかったことは、いいねは思っていた以上に結構な数がくる。そのいいねをしてくる男性のタイプも多種多様だ。ツーブロックにスーツをビシッと決めている何かとストイックそうな男性だったり、寝癖のまま服装もパジャマのようなありのままの姿をした者と、普段そんなに男性を意識的に見ることがなかった私にとってはある意味とても興味深いものであった。

 ただ、そのいいねをもらった人の中から自分が選ぶのは何様だとも思うし、ここでいいねを押してしまうことで変な責任を感じてしまい、ひとまずは全部見なかったことにした。ラミアがここからちゃんとやりとりをしているのはすごいなとも感心してしまった。

 なんで仕事が終わったこのプライベートな時間に他者に気を遣わねばいけないのだろうという気持ちもよぎるが、この苦労やしんどさを乗り越えないかぎりは独り身は確定してしまう。やりたくねーめんどくせーなどとネガティブな気持ちを尻目に数名の雰囲気の良さそうな(高校の時に一瞬付き合ったことのあるような)人、数名にいいねを送り、私はアプリを終わらせた。


 翌朝、1人とマッチしたと通知が出ていた。

 失礼ながら、夜のテンションでいいねをした見ず知らずの赤の他人と起きたばかりの朝から会話する気になれず、相手からメッセージがきていたが一旦寝かせることにした。

 そして始業となり、構築に向けての段取りや手順の最終確認とレビュー。簡略化に向けてのスクリプトの用意などその日はリモートワークながら多忙であった。あまりに手が回らなくなってきたときに佐々木さんのいた頃を思い出す。佐々木さんは人のことをよく見ていて何が得意で何が不得意かをどことなく把握することができていた人だった。リーダーであった彼から出る指示に従っていたおかげで、どれほど多忙な案件でもなんとかやってのけることができた。いつも感謝していたが、彼からいうと「優秀な部下がいて僕は楽できて幸せですよ」というばかりであった。それが今の植木さんに代わり、客の言うことはそのまま飲み込み、そのままこちらに依頼だけをするようになってからイマイチ業務の歯車がうまく回らないことが少しずつ起き始めている。

「佐々木さん、ほんとにやめちゃうんすかね」

 業務が一区切りついた頃に篠田が個別チャットでぼやくように送ってきた。

「明日送別会だっていってるんだからそうでしょうよ」

「まぁそうすね」

 私だってできることなら佐々木さんに残っていてもらいたいが、本人の意向もあるのでこればかりはどうしようもない。過去にも退職した人はいるし、いつの日か同僚がいなくなってしまう日がくることを、私を含め、篠田もわかっている。ただそれでも、やはり佐々木さんを失うということは私たちにとっては乗っている宇宙船に大穴が開いてしまうような死活問題であった。

 なにかちょっとしんみりとしてしまったままこの日の業務を終えて、パソコンを閉じた。結局、この日はマッチングアプリのことなどは頭から消えて、マッチしていた人へ返信を送ることも忘れてしまっていた。



 送別会の時間までは少しのんびりできるかとおもっていたが、構築作業を実施しているだけであっという間に時間が過ぎていき、のんびりとは程遠いまま、送別会の会場へと急いで向かった。

「一応、無事に予定通りおわってよかったよ」

 信号待ちで目頭を指で抑えながらぼやく。

「いや、ほんとそうすよね。なんか台数も増えてたし、設定内容はほぼ同じだからいいんですけど」

 植木さんの連携不足により予定台数より多くの機器があることで混乱が生じたものの、なんとかノルマは終わらせることができた。最後の力を振り絞るようにお店の階段を上り、ドアを開けると、ニコニコとしている佐々木さんが私たちを待っていた。

「やぁ、お疲れ様。今日は大変だったみたいですね」

 そう言って立ち上がり、みんなの上着を渡すように促して、ハンガーにかけてくれる。気の利く新人のような立ち回りをするのを見て、この人は変わらないなと思わず微笑ましくなった。

「籠崎さんもお久しぶり。ここ最近はずっと有休消化でしたから、なんだか懐かしくなっちゃいますね」

 彼と会うのはおおよそ一ヶ月ぶりである。リモート業務も相まってしばらくは会う機会が減ってしまっていたのもある。

「植木くんも急に色々とお願いする形になって悪かったねぇ」

「いえ、大丈夫です! なんとか全うしてみます!」

 植木さんも佐々木さんを尊敬しており、彼の後任をまかされてからはずっと力が入っている。ただ、今日の惨状の通り、その気合いは見事に空回りすることが多い。

 このチームはもう1人、別会社から出向してくれているビジネスパートナーの掛川さんという男性がいるが、フルリモートで佐々木さんとの面識もないので本日は不参加、全部で四人の会となっている。

「ほんとうにありがとうね」

 佐々木さんはことあるごとにすぐにお礼を言う。それは業務外である送別会でもそうであった。植木さんは引き継ぎがうまく行っているかの確認をしてお礼、私には案件の設計や進捗報告で問題がないかを聞いてお礼、篠田には構築や手配周りは大丈夫そうかと確認してお礼。

「僕はね、みんながいたからやってこれたんですよ」

 ニコニコした顔で満足そうにそう告げる。その笑顔が私の胸を逆に締め付ける。有休消化で佐々木さんが会社に来ることがなくなってから、きっと大丈夫、どうにかなると思ってやってきたが、正直彼がいなくなってしまうこの先のことが心配でしょうがなかった。

「あまり無責任なことは言えないけれども、僕がいなくてもきっと大丈夫。僕はみんなを支えていただけで、それぞれがちゃんと己の実力を発揮してくれていた。ほんとに僕はただ応援をしてたにすぎないんですよ。僕はもう現場にはいられないけど、これからも引き続き頑張っていってくださいね」

 篠田がその言葉に何度か頷いて、手に持っていたジョッキビールを一気に飲んで、「お疲れ様でした!」と告げた。その言葉は今まで聞いていた彼の言葉のなかでも感情が溢れていた。唐突なその言葉を聞いて私は不意に涙が溢れてしまい、慌ててかばんからハンカチを取り出す。

「すみません、ちょっとお手洗い行ってきますね」

 そんな姿を見せたくないと私は半ば強引に席を立った。


 ちょっと油断していたのもあったが、まさか篠田の言葉に泣かされるとは思いもしなかった。薄いなりにしている化粧が崩れないように涙を拭いて、一呼吸おいてから席に戻った。

 酔っているのか顔を真っ赤にした篠田とボロボロ泣いている植木さんがいて、佐々木さんも笑いながら困り顔をしていた。

「もう、なにやってんですか」

 私がそんな2人の肩を叩いて、それぞれの思いを話しながら送別会は幕を閉じた。


「篠田君も植木君も、もし困ったことがあったら連絡してくださいね。基本的には自由を謳歌していますので」

 佐々木さんは冗談めいてそう最後に挨拶し、植木さん、篠田とはそれぞれ路線が違うので、お店を出て、そのまま解散という形になった。

「ほんと、佐々木さんが抜けてしまって一ヶ月くらいですけど、もうずいぶん寂しいですよ」

 2人きりになり、駅に向かって歩いているところで私が思わず口にする。

「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいですね。僕ももういい歳だからね、残りの時間は自分の人生に使おうと思ったんですよ」

「そうなんですね。でもそういうの大事だと思います。いや、私はまだ佐々木さんの半分くらいしか生きてないのでまだよくわかってないですけど……」

 変な緊張からか、なんだか日本語が下手になった気がした。

「うちは子供はいないけど、ずっと、長年一緒に生きてきたお嫁さんがいるからね」

 佐々木さんは自分の奥さんのことをお嫁さんと呼んでいる、過去の飲み会で理由を聞いた際に、なんだか響きが可愛いじゃないですか、と少し照れたようにいったのが可愛らしくて記憶に残っている。

「これから2人で遊んで楽しく暮らしていこうっていうわけです」

 そう言って少し悪そうに笑う佐々木さんから、一緒に生きる人がいる幸せというものが溢れている様に見えて、私は少しだけ脳が硬直してしまった。

「お、奥さんも羨ましいですね」

 そんな様子を佐々木さんが見逃すわけもなく、眉毛を八のじにしてにっこり笑う。

「今の時代、1人で生きていける人も多いと思いますけどね。僕の場合はやっぱりあの人……、あ、お嫁さんね。彼女に出会えてよかったなって思うかなぁ。1人で生きてたら今みたいにこんな年齢まで働こうとしてなかったかもしれないですしね」

「……」

 返す言葉に迷っている私をみて、佐々木さんは続けた。

「こう言うこと聞くと今はセクハラだ、なんて言われちゃうかもしれないけれども、籠崎さんは結婚したいと思っていたりしますか?」

 その彼の質問からはハラスメント性など感じることもなく、私は素直にそれに回答する。

「……正直わからないんです。世の中でいう結婚が幸せとか、1人が幸せとか、結局誰かの価値観に合わせているだけのような気がしてしまっていて。気の合う誰かといるのは楽しい、それでも1人でいる気楽さもあるんです。ただその気楽さの中に時より感じるんです」

「ほう、なにをですか」

「……1人は寂しい、と」

「はっはっはっ」

 佐々木さんは私の予想に反して、白い息を交えながら笑った。

「あ、いや、失礼。そう、1人は寂しいんですよ。誰だってそう。人は大抵孤独とは敵対関係にあるようなものです。特に私なんかは寂しがり屋でね、彼女に出会う前は動物と一緒に暮らしていたくらいですし。まぁ、それでも生きていかないといけない。私が思うに、人や他の生き物との繋がりがあるからこそ生を感じることができるというところでしょうか。きっと死後は孤独の世界でしかないでしょうしね」

「たとえば、そのために結婚するのは……」

「まぁそれもありなんじゃないでしょうか。でもそれは本当の答えではないことは賢い籠崎さんならおわかりのはず。人との関わりはそういったパートナーシップだけではありません。植木さんへのちょっとしたストレスも……」

 思わず顔がニヤけてしまう。

「篠田くんの少し達観しているような言動もそれも人との関わりです。もちろん楽しいことばかりではなく、面倒ごとだってあるでしょうし、この野郎、と思うこともあるでしょう。でもこれが人との関わり、自分と違う人と関わるからこそ体験できるもの、そう考えると人付き合いも悪くないでしょう」

「ちょっと、まだ私にはむずかしいかもしれないです……」

「ははは、大丈夫。これは老人のただの戯言だと思ってください。人にはそれぞれ様々な捉え方、そして個々が持つ色々な感情があります。それはきっと生まれてきた場所だったり、育ってきた環境によるものでしょう」

 佐々木さんはゆっくりと話すように一呼吸おいて続ける。

「そんな彼らのちょっとした邪な気持ちだったり、本当にピュアな善意の気持ちだったり、表現方法はひとそれぞれです。ただ、それがなんにせよ結局は受け取り方次第なんだと思います」

「受け取り方……」

 私は佐々木さんに黒いモヤの話をしたことはなかったので、思わず背筋が伸びてしまった。

「先ほど、私がセクハラになりえるという話をした時、ハラスメントを受けているような気持ちになりましたか?」

「あ、いいえ」

「これがもし、別の人で、私が100%ピュアな気持ちで尋ねても同じ結果にはならないと思います。そして受け取り手の気持ちはこちらでは操作できないし、そう思わせてしまったらハラスメントは成立してしまいます」

 話に夢中であっという間に駅のホームへとたどり着いてしまった。

「最近は繊細な人が多いですからね、世の中鈍感であればあるほどきっと気楽にやってこれたのかなと思ったりもします」

 ホームに佐々木さんが帰る方面の電車が到着し、轟音に会話を停められながらも佐々木さんは私の顔をみて、いつものように微笑んだ。

「籠崎さんは、前からなにか人に対する恐怖を感じているように思っていました。ただ、あまりにもプライベートですし、仕事中にお話するような内容ではなかったので控えてましたが。最後にこうやってお話できてよかったです」

「あ、ありがとうございます。すみません、こちらは話を聞いてばかりで」

「ふふふ、いいんですよ。年寄りの他愛のない助言ですから」

 そう言って、発車音が鳴り、彼は彼の家路へと向かう電車に乗った。

「また機会があればみなさんでごはんでも食べにいきましょう」

 そう言ってすぐにドアは閉まり、佐々木さんを乗せた電車は遠くへと走っていった、しんと静まり返ったホームに私はポツンと残っている形となった。

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