第3話 抵抗への抵抗
「マッチングアプリを入れてみた」
ラミアからのメッセージに昼休憩中だというその行動に衝撃的かつ革命的なものを感じて、思わず「えっ」と声が出た。
「本気?」
「ものは試しよ」
彼女の行動力もさることながら、相当寂しいのだろうということまで察することができる。
「もし興味あれば!」
そういって、彼女自身が入れたアプリのリンクが貼られたのでタップしてアプリダウンロードページへ移動した。
興味があると言われても、恋愛本すら買うことができなかった私だ。誰にも知られないとはいえ、アプリをダウンロードすることにすら抵抗がある。
「籠崎さんもそういうのつかうんすね」
どこから現れたのか篠田が後ろから声をかけてくる。
「ちょ! 人のスマホ見るのは……」
「あ、すいません、ちょっと見えちゃってつい」
珍しく篠田が人間らしく申し訳なさそうに少したじろいでいた。本当に突発的に見たままのものを口からこぼしてしまったというような面持ちである。
「……まぁ、いいけど。勘違いしないでほしいのは別に入れようとしてないから」
「あ、そうだったんすね。そういう広告多いすからね。タップすると勝手に飛ばされますしね」
篠田はコンビニで買ってきたパンとお茶を袋からだして、無造作に食べ始める。
「それにしても随分一般化しましたよね、出会い系というかマッチング」
先ほどの失態を水に流そうとするかのように篠田は会話を続ける。
「出会い系って聞くとなんか更に抵抗あるね」
「英語にするだけで雰囲気がライトになる現象ですね。クラウドとか?」
「いや、それとは違うでしょ……」
「まぁ、俺はほんと人の心持ってないみたいなんで、そういうマッチングとかは生きているうちに使う機会とかなさそうっすけど」
なにやら珍しく感傷的である。
「なに、誰かになんか言われた?」
「いや、大したことじゃないすよ。ただ、冗談っぽく言われたってだけなんで。まぁ、似たようなことは結構昔から言われてましたけどね」
喋りながらも彼はあっという間にパンを一つ平らげてお茶をぐびりと飲んだ。
「知ってます? 人間が悩むのって結局人間関係であって他者さえいなければ何も悩まなくて済むっていう」
「アドラーでしょ、実際にそんなことあり得ないからこうした上下関係で成り立っている社会で生きていくしかないわけだけど」
篠田はペットボトルのキャップを閉めて、一呼吸して口を開いた。
「籠崎さんってそういう本も読むんすね」
「いや、ほんと流行ってた時に読んでたくらいのニワカ」
「俺もす」
思わず笑ってしまった。それにしても今日の篠田はどこか会話が人間的で柔軟だ。昨日こちらが思っていたことが頭から漏れて伝わっているからなにかコミュニケーションとして新しいアプローチでもしているのだろうか。そんなあり得ないことを考えながら、大きなため息をついて「さ、仕事しますかね」とぼやく彼を横目で見ていた。
ほんのり残業したあとで退社する。疲れた目でスマホを見るとまたラミアからメッセージが届いていた。
「いいねがめっちゃ届いてきて怖い。みんな下心あるようにしか見えない」
「ふふふ、せいぜい私の黒いモヤが見える気持ちを味わうとよい!」
ちょっと意地悪めいたように返信すると、もう何も信用できないと書かれたスタンプが送られてきた。
帰宅して、気分転換にビールを一杯。少し酔いで頭がふわっとした頃に先ほどのアプリのダウンロードページを開いてみる。まぁちょっと触ってみるくらいならという心の隙間に何かがするりと入り込んでくるように私はアプリをダウンロードしてみた。
早速開いてみると簡単なプロフィール。そして自分の写真。
「自分の写真……?」
スマホを軽く見てみたが、自撮りした写真などあるわけもなく、今撮るにもスッピンだし、なによりもビールを飲んで程よく出来上がってしまっている。
適当な写真を載せてみたが、エラーで承認が下りずに先に進めない。
「マッチングアプリすらまともに登録できぬ女……」
そのままソファに崩れ落ち、目を瞑ると目眩く睡魔によって、夢の世界へと誘われて行った。夢の中で見たのは、マッチングアプリでマッチし、もうそのまま会うことになり、集合場所に行ったらそこに篠田がいたというところで目が覚める。
「……篠田、もう少し自重してくれ」
今週はもうリモートワークのみの予定なので、少しくらいゆっくりしていても余裕である。平日、毎日出社していた自分がどれほどすごかったのか痛感するタイミングでもある。
「設計でオーケーが出たから構築に入るぞ、環境作るからチーム全員金曜出社でお願い」
始業しばらくして植木からそんなメッセージが届く。
彼の言う通り、リモートで行うためにはそこに繋がるような設定を行わなければならない、もちろん新品の機器が届くのでその設定は機器のある会社にまで行かなければ行えない。さらには今回はその機器の数も多く、それぞれに設定が必要だったりしてしまうため最初だけは出社して接続できるようにしてほしいという旨の依頼だ。
金曜は佐々木さんの送別会でいずれにしても仕事が終わり次第外に出るつもりでいたが、出社するつもりはなかったので、多いにガックリとくる。
「りょうかいです」
ひらがなで少しだるさを匂わせて返答する。社会人は楽じゃないね、と入れたコーヒーを一口飲んだ。
そんな日のお昼休憩にもラミアからメッセージが届いた。開いてみると写真の添付のみだった。そこに写っているのは私。これはいつの日か、ラミアにいきなり撮られたある意味盗撮に近い写真だった。
「プロフ写真にお困りかと思いまして」
続いて届いたメッセージにこういうところについて気が利いてしまうのが彼女らしいところであった。
「まぁ、どうせだからちょっとやってみるかな」
写真を受け取ったからしょうがなくやってみるかという流れとし、私はアカウント登録を完了させた。
もっと面倒なのかと思っていたが、さくさくと登録がおわった。そして実際に男性のプロフィールが見られるようになってわかったのが、黒いモヤが見えないことへの安堵のような気持ちと、見えないが故の恐怖感であった。その複雑な感情は数人のプロフィール写真を見るだけで疲れてしまい、私はそのままアプリを閉じる。
当然ながら、黒いモヤが見えるのは目の前にいる人物のみであり、カメラやなにか媒体を通したものには発動したことはない。そのため、このアプリのプロフィールを見たところでどんなにやましい様なことを考えていようと黒いモヤは一切見えないのである。
これで実際にマッチし、会いに行ったところでそれこそ短大時代にいた「犯人」のように真っ黒な人がきたらどうしたもんかと考えると少しばかりマッチング後のことが面倒に思えてきた。
「実際にこれってマッチングするの?」
ラミアにメッセージを送る。
「うん、今2人とマッチしてとりあえずやり取りだけしてる。私はモヤはみえないから会話の感覚とかで判断してるけど」
「いやはや、会話の感覚とは……」
不思議に思ったところで午後1時からの会議が始まりそうだったので、急いで頭を仕事モードに切り替えた。
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