14. 君が望んだなら

 赤い髪に翠の瞳、少女は生き生きとして眠り食べ話し遊んでいる。その姿は今や帝都内のあちらこちらで見かけられた。その絵の少女には名前が書かれていた。


「シアラン……どこにいるんだ」


 朝ごとに増殖する貼り紙に関わらず、探し人は見つからなかった。男はレンズ越しに薄い青の瞳を細めて、西の空に目を凝らす。月の欠片はもう底に沈み、砂糖菓子のように夜に溶けてしまいそうだった。

 彼女の行方不明を知って後宮入りを承諾する形で塔を出たが、王子たちはそれぞれ奔走して誰もいない。今や後宮は夢の跡形のようにがらんどうだった。

 

「俺が不甲斐ない所為せいか。いいや絶対に見つける。そして今度こそ」


 純白の産着に包まれた赤子、それを抱く赤髪の女性と父の背中へ、伸ばしたやる瀬のない手が脳裏に浮かぶ。

 そのとき暗い夜更けに突如ダッダと迫る気配がした。まるで街中に大きな獣が走るような。

 牙を剥く白い獅子だった。


「誰かいる、止めてくれ!」


 無茶を言う。この際食われようと足止めになるなら構わないという切迫さだった。

 馬で追いかけるその男二人は、弟たちだった。互いに認め、しかし事情など後回しでただ一つ重要なことが叫ばれる。


「シアランが危ない! ランプが渡れば魔人に攫われる」


 それだけで十分だった。取り外しかけた眼鏡の鼻当てを抑え直し、三日月の太刀を抜く。


「王の器にあらずとも、神命は死なず! 兄の全ては妹を守ることにある!」


「兄上!」

「妹!?」

「やはり――俺たちも、共に、、!」



 〜・〜・〜☾〜



「ひま!」


 シアランはごろり、ごろごろと寝付けずついに体を起こした。

「寝過ぎて寝れないよ〜」


 夜空を見上げると、きらめくのは星ばかりで月の欠片も砕けてしまったようだ。


「たぶん最後の日だったよねぇ。もう執着する必要ないし、出してくれないかな?」

 一縷に望むがおそらくは

「まぁ無理か、死なないとランプの継承権が移らないなら」

 

 窓を見た。下端はシアランの目の高さで、位置は高いが格子も何も嵌まっていない。室の設えも質素ながら貴人向けで、処刑を待つ軟禁室のようだ。手首を結えられては出る術もない。

 が、シアランは手から飴を取り出した。その棒でくりくりと結び目を弄るとついに縄ははらりと落ちる。


「あげたいって、思うことかな? 鼠に戻る前に」


 飴玉を空にかざしてその月を口に入れる。窓淵に手をかけた。鼠は笑って言いました。

「はのひはった」

 ぴょんと跳ねると、ぱん、と空が、光った。

 火の花が夜に咲いては散っていく。

 

 窓に立ち止まって不思議を眺め、その煙の茎を追うと船に乗った男が手を振っていた。


「シンドバッド!」


 どうも海を指差している。

「流されちゃうよ〜」

 ふふりと笑って、シアランは飛び込んだ。

 

 どぼんと落ちて瞬く間に潮流に攫われ、溺れていく。息は苦しくかすんでそしてどこか待ち望んでいた。冷たいのに温もりがあった。知りたいのに知れなかった、ものにいだかれている気がして、赤ん坊のように泣き叫んだ。

 そうして受け渡された力強い腕に抱かれたまま、昇っていく。


「ぷはぁっ」


 海面に顔を出す。体は呼吸を求めてはぁはぁと全身で息をする。

 幾らでも。

 やがて落ち着くと、シンドバッドはゆっくりと泳いで船へと上がった。三本のマストを持つ小型の帆船だった。


「かっこいいね、船長」

「だろ?」


 ずぶ濡れに毛布をかけられて、目が合うとニッと互いに笑った。


「銀月湾に幾本も、これが流れ着いていたんだ」


 シンドバッドは飴の棒を摘んで見せる。


「 ا “アルフ”――月と日が昇る〈始まりの塔〉を示していたんだな。遅くなった」

「とくにそういうわけでは」


 間食がバレると気まずいので窓から押し出していただけである。


「とりあえず、ホットか?」

 シンドバッドは笑い、うん、と頷いた。



「――そういうわけか。まあ便利? だな」


 シアランの渡した飴を舐めつつシンドバッドは感心する。それを砂糖代わりに溶かしかきまぜていたら、シアランは発見をした。


「飴にフレーバーを詰めたら一杯でも味変できるんじゃない? 携帯できるし」

「天才だな〜」


 星空瞬く船上で、飲む珈琲は芯から体が温まった。



  〜・ـف・〜・〜



 船はやがて銀月湾の港に着く。波止場に降り、しかしシンドバットは空が白み始める海の向こうを眼差した。


「出航するの? シンドバッド」

「シアランを連れて行けるなら」


 シンドバッドは向き直って、浅瀬の瞳でシアランを見つめた。


「覚えているか。俺の気持ちはあの時と変わらない。ずっと、そばにいたい」

 

 そうして屈み、唇が近づいた


 時である。

 白い獣が飛びかかり、シンドバッドをのみ押し倒した。


「ハクシャマル! わ」


 代わりに彼がべろりとシアランの顔を舐める。ふりふりと尻尾を振ってじゃれついた。


「器械か? あれ」

「ちゃんと躾け直したからな」

「心も宿らせる可愛さに疑問はない」


 声の方を向くと、一同――カスィームにジゥデル、ランプを持つハールーンがいた。


「あーっ」


 シアランは駆け寄って、ジゥデルの首に手を伸ばした。彼は屈み、目を瞑る。

 シアランはぎゅーっと首を挟んで、絞めた。


「も〜、黒幕で、ご老人! でしょ。絞め方が一緒だったもの。苦しくも意識だけ落としてちょっぴり気持ちいい技巧!」


「は⁉︎」カスィームとハールーンは挟んで剣に手をかける。


「まぁでも。選んでくれて、始まったから……ありがとう」


 シアランは唇に飴をあてた。ジゥデルは瞼を開けて、手を掴んでから舐める。


「もっと怒られたいが。我が君に」


「やーめーろ! 兄さんは許さん!」とハールーンが抜刀して斬りかかり、ジゥデルはひょいと避ける。

「義兄上の目にも映るようになってなにより」

「義を付けるな!」

「そうだ。俺たちは義理じゃない、兄弟だ。欠けることなく新王を支えようぜ!」


 シンドバッドは寄せて肩を組む。が、逆にシンと盛り下がって微妙な空気が流れた。


「その問題は、どうする。このままじゃシアランは魔人に囚われる」

「――推論だが、“みっつめを叶え”なければ、契約は成立しないのではないか。魔人は“それで”契約は完了だと言って強行手段にでた」

「ランプは王家に引き継がれなくなるが、か。ここに途絶えさせることを、王に進言しよう」


 ハールーンは決意し、皆が(シンドバッドも察して)頷き、シアランを向く。


「なに〜? あ、アルマラルは?」


「シアラン、魔人は……」

 ハールーンは手元のランプに目を落として口をつぐむ。確かに、「始まり」だった。

 だのにあのような「終わり」を騙し討ちのように聞かされては、裏切りにも等しいだろう。

 逡巡する間に、しかしランプの口からしゅるりと煙が出でて形を成し人と為る。


「契約にない、穴だな。そーいうことにしてやってもいいぜ」


 アルマラルは手を頭に組んで倦怠そうに答える。

「お前、よく出て来れるな……」カスィームが半ば呆れつつも睨む。

「ああん? 封印されたわけじゃね〜し」

「今の言葉、たがうなよ」ジゥデルはすかさず念押しした。

「はいはい、ま〜、もしかしたらそれを見越して穴をつくったのかもしれねぇしな。せいぜい自立してくれ。千年も子守りさせやがって」


 アルマラルはほんの少し口元を緩めて湾を見る。それからシアランを向いた。


「ただし、だ。生きながら、つまり自分の意思でそれを終えさせたときのみだ。これは当然だぜ? 叶え“られ”なかった場合もランプは継承されてきた。そういう意味での甘〜い、“穴”だ」


「お前に願う必要などない。俺たちが、いるからな」


 四王子たちはシアランを守るように囲んだ。シアランはアルマラルに目配せするが、気づかないか意地悪かで返さないので直接この疑問をぶつけた。

 

「あのう、アルマラル? 月が明けたけど、なんで?」

「さあな。言っただろ、人間の心は複雑微妙……俺もこの千年で、“人”が混じっちまったのかもしれねぇな。らしくねぇ甘さだぜ」


 魔人は無尽に飴生むシアランからそれを受け取ってぱくりと頬張る。


「飴は溶けても甘いままってことかなー」


「シアラン、心は交わって変わるものだ。俺はようやく見えた。君だって、そうじゃないのか」

 変な理解をしようとするシアランに、ハールーンは諭す。


「君の心に、誰がいる」


「うーん」シアランは目を瞑る。

 誰が 誰か

 暗闇にぽうと火が灯る。飴を拾って舐めてみた。あまくてあまくてほしかった。

 目を開けると

 ハールーンにジゥデル、シンドバッド、カスィーム。ハクシャマルに、アルマラル

 誰も



「みんな大好き〜〜」



 ハハっとアルマラルは笑った。

「やっぱりな。あらゆる民も、魔のもの、、、、すら、るつぼに入れて国にした……お前は人と虫ケラの区別を知らない、王の器だ」

「いい感じの結び〜、アルマラルが語ってくれたら千年残るんじゃない?」

「それよりいい方法もある」


 魔人は薄く笑ってくいと指を動かすが、ハールーンはカタカタいうランプを押さえて言った。

「返す前にシアラン、君に話すことがある」

「それって、長いー?」

 眠たくなってきたシアランは欠伸をした。

  

珈琲店カフェーに行こうよ、みんなで」


 日は昇り、禁欲月明けの祭りが始まる。帝都中に掲げられた王の姿を人々は間もなく知るだろう。

 この後銀砂は支配国を手放していき、帝国は衰退したと人は云うが―― “世界一の都”イス・パルファーンは、やがてあらゆる公共施設が整い、誰も彼もあらゆるものが手に入る“神の約束地”、天国ともいわれた。


 “怠惰王”に仕えた魔人と四王子は口を揃えて応える。


「シアラン、俺たちの王が望んだなら」




 


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