12. 窮鼠かまない人形劇
「ああ、ハールーンの兄上は、先先代王の在位時の子だ。ただご生母は先代王の正妃にもなっているから、兄弟であることは紛れない。継承の絡む王室じゃ珍しいことじゃないし、兄弟で、第一王子。何も変わらないだろ? そもそも母が違うから皆んな義理っちゃ義理だしな」
「〈冷酷王〉は先先代王の弟にあたる。父上は未亡人となった皇后を迎え、子は設けなかったが丁重に接した。そしてハールーンの兄上こそ正統な後継者であると、他の夫人にも、そして俺たち実子にも徹底された」
「先先代は自ら退位なさり、……出奔された。皇后は政略結婚による大国ロスィーアの皇女だったため、ないがしろにする訳にはいかなかったのが実情だろう。少なくとも自国の勢力を広げ地盤固めを万全とするまで。些か性急な面はあったが、“冷酷王”はただの戦争狂だった訳ではない」
以上の通り、シアランはシンドバッド、カスィーム、ジゥデルとそれぞれの兄弟から事情聴取を行った。
つまり、ハールーンは第一王子だが養子。実の父は王位と妻子を捨てて、新たに子(妹)をもうけた他の女性と駆け落ちした。上、海で亡くなった……?
「一夜であの
ジゥデルは紅茶の揺らぐ水面を見つめて静かに飲んだ。いつもティータイムな気がする。
「でも後宮には入らないって」
「まだ日はある」
「ねぇ、ハールーンは王位をほしくないと思うよ。私がランプを返して、ハールーンも継承権を放棄したら、丸く収まる気がするなぁ」
「“ランプを返す”ことはできない。三つの願いを叶えたら魔人は消え、死の際にまた現れ、遺体を“王墓”へ持っていく。ランプはそこで安置され、次の王が迎えにくるのを待つ」
「ん」シアランは知った。ハールーンに聞かなくても「詳しいね?」
「……我が君は、日に日に王らしくなっていくな」ふ、とジゥデルは微笑んでシアランの頭を撫ぜた。
「返すことは、できない」
〜・〜・〜☾〜
「ジゥデルには気を付けたほうがいい」
北塔でシアランはベッドに寝そべり、ハールーンはそれをモデルに(なるのか分からないが)絵を描いていた。
「まぁ皆そう思うよね……。逆にそう見せてるのかなってくらい。でも私欲というより“必要ならば”な感じするし、もう任せちゃったらいいんじゃないかなー」
弟たちへのけしかけも、むしろ
「シアランは、ジゥデルが好きなのか?」
「好き……? 王子たち皆んな好きだけど、好かれなくなったら好きじゃなくなる気もする。これって“好き”でいいのかな?」
「好き、でいいさ。俺は今この瞬間シアランを世界で一番愛している。この気持ちが魔人のものだろうと、変わらない。もとより好意は瞬間のものだ。変化するものが偽ではない」
「なんか深い感じでよく分かんないけど、兄様おとな〜」
「に、兄様……!」
ハールーンは鼻を抑えなお鼻血を白い肌にツーと流した。
「だが兄様はジゥデルは反対だ」
「なんで」
「後宮へ入ったら俺の子を身籠らせ、その子を帝王にすると言ってきた。意地を張らず後宮の
「確かに好感度下がるし思いそー」
「俺を懐柔して後宮へ入れる口実だろうし、軟禁当初のことだが」
「そうすれば実質変わらないものね。私は政治する気も能力もないし、ランプだって脅されたら言われる通りに願っちゃうよ。たぶん国の大事の時だと思うし」
「怒らないのか。シアランは、ありのままに物事を見る器があるな。亡き父上のようだ」
「あ〜えっと……兄妹設定はともかく、故人を巻き込むのはやめよう? よく知らないし」
「知らないのは無理もない。伏せられているからな」
言葉を選んで出奔、想像の通りならあまりに醜聞。
「ハールーンは、恨んでないの?」
「その資格が俺にあるかも、分からない。もうこの塔から出ないつもりで話すが」
ハールーンは長い睫毛の目をやや伏せ、思い起こすように語った。
「父は俺の家庭教師に恋をした。」
しばらく滞在したヴェネーツィア大使の娘だった。明るく朗らかで、よく笑う人だった。瞳はいつもきらきらと輝いていて、子どもの俺からみても魅力ある人だった。
父は歴代王に珍しく西欧の小国ヴェネーツィアに横柄でなく友好的だったから、勉強というより交流のようなものだったろう。絵画も見せてもらい、その新しい画法に目を開いた。俺は銀砂の細密な技法と合わせることに夢中になった。
絵を見せれば父も彼女も褒め、のめりこむ一方で、俺は母の憤懣に気づかなかった。勉強だと嘘をついて遊んでいるように見えただろう。そもそも母とは顔を合わせたことも殆どなく、たまの機会でも凡才な俺は厳しいお言葉を頂くのみだった。
――この人を母と呼べたら そう思ってしまった罪が焼き付いて消えない
大使の娘が身籠った。後宮の女奴隷は外国から連れられた者も多いが、籠姫はもちろん皇后すら籠の外へ、故郷に赴くことは叶わない。帰国叶わなくなった彼女の元へ父は足繁く通った。
生まれたのは女の子で、反感を持つ者すら虜にする愛らしさだった。帝王が膝をついて可愛がるものだから、建国千年来の“約束の子”だと言う者すらあった。一母一子の通例に関わらず、寵愛は止まなかった。父はそれまで淡白に思われ皇后以外との子もなかったから、皆驚いた。息子が生まれればまた掟を破って後継にするだろうと噂された。ついに我慢ならなかったか、恐れたか――
母は毒殺を謀った。
「彼女は一命を取り留めたものの衰弱し、最後に故郷の真珠海が見たいと願った」
――そうして王と諸共、海の泡となった……
「……ランプの願いは、全て使ってしまっていたのかな」
「王の願いは秘匿されるが、抑止力に死期までひとつ残すと言われる」
ハールーンはシアランを見つめた。
「魔人は王の遺体しか持ち帰らない。もし、助かった命があったなら……と、夢想を捨てられなかったのは、俺だけなのだろう。その後は嘘のように急速に、“平常”に――彼女がいなかった王宮に戻っていった。いない者は元々いなかったように」
ハールーンの薄い水色の瞳は、幾千もの涙珠を今も内に留めているかのようだった。
「ただ一人の妹、俺が母に背いたために失くしてしまった」
「背いていないよ、心の中で思っただけなんでしょ」
「父以上に通い詰めて妹の寝顔を見ていたし、この子の全部を描き続けるだけの絵師になりたいと言ってしまった。全部放り出しているのを咎められたとき」
「そうなんだ……」
〜・ـف・〜・〜
「兄上の元に入り浸っているそうで、帝王のお気に召したならなにより」
ジゥデルが室前で述べ、「うん、」とシアランは遠くから生返事をする。
ハールーンとは話したり話さなかったり、シアランはごろごろして本を読みハールーンは絵を描き、ただそれだけで日は昇り沈んだ。
閉じこもって好きなことだけできてむしろ快適とか言いだすので、中々どうしてウマが合った。楽。後にできた優秀な弟たちから兄上と慕われて嬉しかったので、「氷の王子」の印象は保ちたいらしい。“冷酷王”をモデルにしているが、後宮で一緒に生活したらバレると言っている。
「王からお呼びなく、弟たちは戦地や海で暴れたいと逃避症状がでている」
「うん」シアランは枕に顔をばふりと沈めた。
「今度……」
静かになったのでちら、と顔を横向けると、すぐ目の前にいた。
「わっ、な、なに……入っちゃだめって言ったでしょ」
「寂しい」
ストレートに言われてようやくちくりと胸を刺した。
「つれなくなったのは、兄上に心奪われたからなのか」
「そういうわけじゃないけど……」
何枚も描いては完成しないと苦悩している。そういう事情を話す訳にもいかないが、じゃあ何日も狭い部屋で何をしているかというと言い訳にも苦しむ。
「だらだらしてるだけだよ」事実。
ジゥデルはシアランの手をとって指を絡めた。彼はすっと目を閉じ、それから開けた。琥珀の瞳は獲物に向けるようで、口元は笑っていなかった。そのままベッドにのし上がり、シアランに覆い被さる。
「なによー」
「嫉妬が抑えられない。が、シアランは相変わらず何も思っていない」
彼は瞳をじっと見つめた。底なしの翠を。
「どこかアルマラルのようだな。俺たちで遊び人形のように捨てることもできる」
「それがいやなの?」シアランは身じろぎもせず見上げた。
「ハールーンの子を生ませて、捨てるかどうかは自分が決めたかった?」
ちりちり紙が裂けていくような頭の中で音がした。端まで止まらずぷつんと切れる。
シアランは手のひらを胸に当てて押し返した。
「あげない」
「……相当、深い関係になったようだ」
ようやくジゥデルは口元を緩ませたが、それは牙を隠そうとしない残忍な笑みだった。
「ハク、」反射的に白の獅子に顔を向けるが眠っている。眠っている――ずっと?
もう一度絡められた指には同じ、紅い指輪がはまっている。いいや向こうこそ血のように紅く妖しい。しゅるりと耳に音を聞いたときには首に絡まった紐が引かれて浮く。反る首に沿うように顔が向き合った。
「そうだ。俺のものにしたい、命すら」
遠のく意識で見つめていた。闇に浮かぶ満月のような、猫の目……
猫じゃなくて、
鼠に見えていたんでしょ……
姿の解けた鼠は、
愛を誓った王子の手によって
塔から投げ捨てられました。
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