みっつめ

11. 兄上の目に映るもの


「アルマラル、ねぇアル・マ・ラル、」


 魔法のランプをこんこん叩いても舐めても音沙汰ない。


「もーっ、拗ねないでよ〜……もしかして“ランプに戻って”が願いって解釈はないよね?」


 ちょっと不安になって差し口の穴を覗き込むが、ただの空洞でもなく霧闇が詰まったように何も見えない。


「そういえば三つ目を叶えるとどうなるんだろ……アルマラルのこと、なにも知らないな」


 シアランはランプを守るように傍で眠るハクシャマルの胴の毛並みを撫でる。ふかふかして腹の肉感、温さもあり、動物そのものだ。この世ならざる魔物の触感はしない。アルマラルも、蒸気に姿を変えるまで。

 

  『俺は魔人、アル・マ・ラル。お前の怠惰を叶えてやる。さぁ俺に名を教え、願え』


「……名前を訊かれたのは久しぶりだったなぁ」


 今じゃみんな呼んでくれるけど、思い出したと言った方が正しいくらいで、そもそも確証もない。なんで自分を“シアラン”だと思ってるんだっけ? まぁ名前なんてそんなものだよね……


「ランプのこと、一子口伝って言ってたっけ」

 

 シアランはアルマラルが常備した大量のナザグ(ナッツザクザクグニグニ菓子)をぽいと口に放り込みぐにぐに噛むと珈琲で飲み下した。「合う。」それからがんばって立ち上がる。


「聞いてみよ〜」



 〜・〜・〜☾〜



「ハールーンの兄上は、今は北塔におられる」


 ガウン着のジゥデルは答えた。

 “私室で王子と二人になるな――”

 を即行で破ったわけではない、というのがシアランの言い分だ。

 シアランの私室、すなわち『帝王の間』ではなく、後宮内のジゥデルの居室だった。

 もうすっかり男性用の調度品で改修して、らしい雰囲気が漂っていた。豪奢ながらダークでシック、そこはかとなく麝香が匂い立つような。なんか官能的。シアランも長居しないほうがいい直感ははたらいていた。


 ジゥデルは細密な草木紋様が彫られた銀のポットから、紅茶を注ぐ。ゆったりとシアランの分も淹れてからすすった。


「自由な行き来はできない」

「なんで」

「ありていに言えば、軟禁だ。後宮入りを命じた王意に逆らっているわけだからな」

「じゃあ解くよ」

「王と言えど法と経典は無視できない」

 

 シアランはむっとちょっと口を尖らせた。ジゥデルは落ち着き払って我が意の通りというような余裕さえ感じる。仮に黒幕でも下手に動くと先に始末されそう〜


「俺に訊いたのは流石我が君だ。他の王子は鍵を持っていない」


 と、チリ……と鍵の輪を指に引っ掛けて見せる。

「つまりジゥデルがしたんでしょ」

 ジゥデルはシアランの腕を引き寄せた。


「王の意にそぐわなかったのなら、幾らでも責めを受けよう。しかし王を、できれば兄上もお守りするためだ」


 シアランは見つめて促した。


「他の王子も察しがついてると思うが、先日襲われたのはハールーン一派の差し金の可能性が高い。一派、と言えるのも兄上自身は身動きが取れない事実があるからだ。兄を担いだ反発派の犯行であっても、直接的な関係を否定できる。そして実際、後宮入りを拒む兄上の様子からすると、身柄を拘束しない限り正面衝突を選ぶだろう。これを止めるには、兄上を処刑するか後宮へ従順させるしかない。

 ――なれば帝王へ僭越な願いながら、」


 ジゥデルはその場に膝をつき、シアランの手甲に口付け見上げた。


「兄上を誘惑してほしい」


「意外な展開」

「この魂を攫われる可愛さに動じないのは解し難い。書によると対面の頻度も好意に比例すると記述があった。会えば大丈夫だろう」

「論理的なリサーチとざっくりした結論〜」


 ちらと横をみると棚には書がぎっちりと詰まっていた。背表紙には外国語が何種類も。 

 恐らくインテリアを超えて事実インテリなのだろう。インテリ黒獅子。ابتثج(あいうえお)を教えさせて申し訳ない。


「でも最初ダメみたいに言わなかった?」

「秘密裏にはしてほしい。あとあわよくばおねだりを受けたい」

「どうしたらいいの?」

「さすが我が君、話が早い」


 ジゥデルはサッと立ち上がると華麗にシアランを抱き上げベッドに運んだ。

 ベッドに上がり、シアランを膝に乗せ向き合う。ふわっと香りが近づいたかと思うと、抱くように身を寄せほおを黒い髪がくすぐった。


「シアラン……本音は、行かせたくない」


 首越しのその表情はどうであろうか。確認することかなわないまま、シアランは片手を這わせ指にかかる鍵に触れる。同じ輪に指を通すとすぐ横の褐色の耳にささやいた。


「ちょうだい」

「」


 ぱったん、とジゥデルは背をベッドにつけ仰向けた。片手で顔を覆っている。シアランの指に鍵は移って残った。

「行ってくれ」

 こくと頷き、シアランは戦利品を手にしてぱたぱたと部屋を後にした。


「意外とシロっぽかったな……」



 〜・〜・〜☾〜



 さて、夜半シアランは北塔の最上階に忍び込んだ。忍び込んだといっても一応権威は絶対的な王様なので、鍵を見せれば何も言わずとも相承知して通してもらえた。たぶんジゥデルの息がかかっている見張り兵だろう。よく訓練され陰謀慣れしている風がする。ペアのうち一人は静かに消え報告もぬかりない。ちらと後ろ目に見ながら、部屋へ入った。

 

 キィ、と扉を押すと目に入ったのは、月光で筆を取る、王子の姿だった。


 窓前で、立てかけた板に紙を貼り覆い被さるようにして何か描いている。一足二足と近づいても一向に気が付く様子がない。先端が様々に削られたあし筆が横に置かれ、絵の具が出されている。とりわけ跡に目立つのは、紅と翠……


 斜め後ろから見ると、手のひら大の羊皮紙に、その紅の髪、翠の瞳の少女が描かれていた。風俗画としては珍しい。庶民らしい貫頭衣を着ているが、その色使いは一般的な帝国民らしくなく、瞳も大きく印象的で、体も動きある一瞬のように生き生きと描かれている。まるで特定の人物を描いたようだ。というか


「私……?」


 というには美化されている気もして頭を捻る。絵の少女は瞳が澄んできらきらと輝いていた。


「うわっ⁉︎」


 そこで初めて王子――ハールーンは声を上げ、何かを隠すように部屋の奥へ投げた。

 月明かりを移した黄金の髪を三つ編みに垂らし、長いまつ毛に薄氷の瞳、色白の肌。麗しい美青年が立って、少し呆然として、シアランと向き合っていた。


「何だ……夢か……? いや見えない……」

 

 ハールーンは顔をしかめぎゅっと睨みつけた。冷たい氷の瞳は誰をも映さない、“冷酷王”の正当な後継者――だが呟きからすると目を凝らして見ているようでもあり、


「もしかして、よく見えてない?」


 シアランは手を振る。


「何を莫迦なことを。お前は強奪の“怠惰王”シアランだな」

「そのあだ名ってもう広まってるんだ……冷酷王はアリな感じするけど、それって悪口なの?」

「即位とともに魔人が王に言い当てるようだが、特に悪口の意図はないだろう。“臆病王”などもいた。……いや、歴代並べると悪意的な感じもするな、悪性に焦点を当てているようだ。いずれにしろ、道化の戯言だ」

「アルマラルってよく分かんないよねぇ。そうだ、それで、ランプのことを教えてほしいんだけど」

「答える義理はない」


 当然の答えが返ってきた。三王子たちに甘やかされ放題のため甘い考えでいたが、現実はこんなものだ。会えばなんとかなるとか言っていたジゥデルもどうやら本当に目が眩んでいる。


「はぁ〜〜」

 シアランはところ構わずため息をつき、そばにある寝台に横になった。

「いや寝るな」


 視線を下げて見るに、床には紙が散らばっている。いずれも人物画のようで、さきほどと同じ女の子と思われた。笑ったり食事をしたり眠っている姿だったり……


 色までついた挿絵本は高価なもので手に取ったことはないが、珈琲店で噺家が木炭墨の一枚絵を掲げて話したりするのを見たことはある。

 絵の良否はシアランに分からないが、それらとは画然とした違いがあり、たとえば犬という象徴シンボルでしかなかったものが、毛並みを持ち顔を持ち動きと声を持ち、まるで誰々の犬と名を呼べばワンと吠え出しそうである。


 手を伸ばそうとすると、「触るな」と鋭く声が静止しハールーンは拾い集め始めた。軟禁されて数週と考えるとかなりの枚数がある。寝食忘れて描いたように。


「誰なの?」

 シアランは一応聞いてみた。


「…………………………妹だ」


 かなり長い沈黙の後、自答するように小さく呟かれたが、静まった夜にそれは耳に届いた。

「それは……お気の毒に」

 あまり人の感傷に敏感でないシアランだったが、あまりの空気の重さにお悔やみ申した。


「生きていれば……もう封じたことを、こんな冒涜で思い出すとは」


 お可哀想に、とはシアランも思った。口にするのは煽るようで憚られたが。

 父を失い継ぐことも叶わず突如王位を奪われ幽閉され、それが亡くした、恐らく最愛の妹の、亡霊を彷彿とする姿で――泥を啜る最底辺の賎民が、魔人の力で成り代わっているのだ。しかも阿呆あほう。どんな悪夢だろう。


「ハールーン、あの、王位は返すよ……できれば月が明けたら」

「返らない」ハールーンは冷たい口調で言った。

「実質王位はジゥデルのものになるだろう。もう首に縄をかけられているようなものだ。叛意ありとうそぶくだけでいつでもくびれる。今は生かされているが、むしろ君がそんなことを言い出せば容赦をしない」

「えー? うーん。でも、」


『兄上もお守りする』


 幽閉の理屈も通り嘘とも思えないが、なにぶん笑顔で人を殺せそうな雰囲気はある。


「君には理解し難いかもしれないが、矛盾するものでもない。進んで兄弟を殺したい訳はない――ただ、必要があればその判断を下すことをためらってはいけない。それは、俺たちの共通ルールだ」

「ハールーンも殺そうとしてたもんね」


 ただ王位継承の『指輪』が紛失しただけで、弟たちの謀らいだと決めつけて。


「そうだ……“冷酷王”ならそうした」


 弟王子たちも死刑を宣告されたというのにさほどの動揺を見せなかった。予測があったとして、逃げもせず。

 特にそうしたい訳ではないがそれが当然だと思って、生きる。葉屑を食べるシアランが、なぜ変えようとしないのだと通りがかりに言われても、蝉の抜け殻を投げつけられるほど空虚なものだ。運命を受け入れている、と大層に思うほどのことでもないのかもしれない。


「じゃあ何もしなくていいのか……何しにきたんだっけ?」

「……本当に、調子の狂う娘だな」


 ハールーンはふうと息をついて自身も寝台に腰掛け手をつき、窓枠の月を仰ぎ見た。


「王は、性に合うか」

「なんにもしてない。たぶん全部王子たちがやってくれてる」

「アルマラルの催眠か……。君をただの銀砂の民だと思って忠告するなら、今のうちに王宮を、できれば国外に逃げた方がいい。魔人はきまぐれだ。催眠が解けたら、無惨な最期を迎えるだろう」


 窓枠に切り取られ、底の見えない地面は冷たく硬い。ハールーンが物憂げにしかし仄かに自嘲するさまは、悲劇を降ろされた主役のような哀愁を帯びた。

 

「姿の戻った鼠は塔から投げ捨てられる、愛を誓った王子の手によって……そういう結末を愉快そうにする奴だ。あいつにとって王朝は、千夜一夜の人形劇なのさ」


「あー……」血のように赤い魔人の眼を、裂けたように笑う口を思い浮かべた。

「まぁ、いいかな」

「――何?」ハールーンは訝しげにシアランを向く。

「珈琲店の物語になったりするかなぁ。その時のの姿は、あんな風に脚色されたらいいけど」

 シアランは山になった紙束に目を向ける。


「今が死後の夢なら、死んだのはあの時かな。路地裏で縊られて、泡を吹いて腐って乾いていくのが見えた……もしかしたら、この変てこな物語の主人公になるのを願ったのかも。誰かの記憶に残りたくて」

「……その絵を、描こう」


 ハールーンは立ち上がって、葦筆を取った。


「俺も明日知れない命だから覚えておくなど意味がないが、語られるような絵を描いたら、“もういい”な」


 絵の具を合わせて、独特な色味を作る。果実のように潤い、夕陽のように眩い紅。掬えば透明で覗けば底は見えない、翠。

 月と顔に接するほど近づけて。


「――そうだ。俺は遠くぼんやりと色を見るしかできない、不具だ。体に欠陥あるものは王になれない。なれなかったんだ」


 ハールーンは寝台のその奥に手を伸ばした。枕元の影から、投げ隠したものを取り出す。丸い縁にガラスを嵌め二つ並べた、奇妙な形の銀細工。縁から伸びる両のつるを耳にかけた。


「敵対国の補正器具に頼らねば剣も振れぬ、無様な姿を父や弟達にさらす前に死場所を与えてくれた、礼だ」


 吹っ切れたように笑い、向き直る。

 が、すると突如老人のようによたよたと足取りおぼつかなくなり近づいて、目の前まで来ると脚から崩れた。


「うっ……あ、あァ……」


 慟哭か畏敬か、神を前にして時を止めたような呻きをあげる。姿が見えて溺愛効いちゃったにしても大袈裟だなぁ、とシアランは思った。


「すまない……魂が叫ぶ。もし、もしそうであったらと」

「いいんじゃない? ごっこ、、、をしても。妹さんも忘れようとされるより生温かい目で見守ってくれるよー。名前はなんていうの?」

「名前はまだない。洗礼もしない赤ん坊の時に生き別れ、父母と共に海に沈み、埋葬できなかった」

「うん?」

「俺は何も知らず、出ていく父にいつ帰ってくるか聞いたんだ。それが父の最期の言葉だった」


「イン・シャーア・ッラー

    〈神が望んだなら〉」


 ハールーンは腰に縋りつき、薄氷解けるように大粒の涙を流した。


「シアラン……神が帰してくれた、俺の妹」


「う、うーん?」

 号泣するハールーンを、シアランはいったんなだめることしかできなかった。

 誘惑とはちょっと違う方向性だし今になって重要な前提情報が出た気がしたが、珈琲切れも起こしてぼんやりしてきたので、その夜はそこで終わりにした。


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