8. 私の為に争われる

「ふっ、はっ、はっ、ふっ」


 カスィームは日が昇り落ちるまで中庭でトレーニングしていた。それはもう筋トレを。

 指三本での腕立て伏せを1000数えて仰向けた。日照りの下で絞り出された汗がつうと滴る。朦朧とする中で喉を渇かせた。身を焦がす灼熱の赤、喉を潤す清らかな泉…… 目を閉じると…… 


「シ、」


 ばしゃあっと顔に水がかかった。体を起こすとすぐ上の兄がいた。


「ゆるい自殺か? それとも自分を慰めているのか」

「なにを――」


 言い返そうとしたが、外廊下の段に力なく腰掛ける様は、なんとも生気がない。カスィーム自身もため息を吐いた。 


「気が狂いそうになるんだ。分かるだろ」

「分かる」

「恋は地獄だな。ジゥデルの兄さんが言うようにいっそ解けてしまえばいいのに」

「あー……」

 シンドバッドはひとつ躊躇ったあと、

「新月が来たら解けるらしい」と告げた。

「新月⁉︎」

 驚いて空を見上げるがまだ月は出ていない。

「な……、そう、か」


 シンドバッドはその表情の動きを眺めていた。まるで自分がどういう顔をしたか確かめるように。

 驚き、安堵、喪失感――

 永遠に取り戻せない予感だけのする、大小知りえぬ不定の絶望。


「俺は、兄さんたちには敵わない。そもそも、ハールーンの兄王にこそふさわしい」


 吐き出すようにいう弟を、シンドバッドは頬杖をついてみやる。


「お前はさ、自分の欲しいものを差し出すくせがあるからな。そう躾けられたのかもしれないが……生きるために」


 幾世代にも渡って王弟たちは王の予備品でしかなかった。王が脅威、、すれば「優れる」というだけで抹殺されようと黙認される。即位と同時に弟全員を葬った王もいた。

 銀砂帝国において帝王スルターンは絶対君主であり、後継争いなどもってのほかだった。厳粛な年功序列において、末弟ともなればその存在意義は極めて薄い。教義はそれを当然にした。

 

「俺たちは望んではいけないんだ、帝国のために」


 カスィームは拳を握り、頭を振り切った。


「あいつは恋人ごっこだったらしてくれるよ。心配しなくても、望まれない」


 シンドバッドは慰めか自嘲か判らない言葉をかける。


「声をかけることもできない。ただたまに声を聞き、姿が見えるだけで俺はこの後宮から出なくていいとすら思ってしまう。ひと月後に、もしこの思いが解けるというならば、その時は魂の抜けた屍となっているだろう。以前の俺はもう死んだ。――生きていたかも分からないが」


「脳筋弟がこじらせすぎて詩人みたいなことを言っている……重篤だな」


 自分を越える正気の失い方に、シンドバッドはちょっと我に返って膝を叩いた。


「よし、やってやるぜあれを! 立て、カスィーム!」



 〜・〜・〜☽〜



「あっつい〜 けど日陰で氷菓を食べながら試合観戦するのは中々〜」

 

 ワァワァと歓声が上がっている。

 外廷の庭では、剣闘試合が催されていた。

 諸外国の大使が帝王に謁見する際は兵士がずらりと居並ぶ広さがあり、常備騎兵団――王の親衛隊が詰め寄っていた。即位の前祝金ボーナスに加え優勝者並びに上位者には相当の報奨金が下賜され、直接王の目にかかる機会ともあって本選の熱気は最高潮に達していた。


「あれが新王……なんと可憐な」

「砂漠の赤き花、お守りしたい」

「年若いのに泰然とされている」


 最後五試合になってから重たい腰をあげたシアランだったが、ここでも理をねじ伏せるまでの歓迎ムードを知るとすっかりだらけを晒して長椅子に寝そべり出した。正面高座から、視界を遮るものもない。

 征服に明け暮れた先代王からの猛者たちを制したのは、二人の王子だった。


「カスィームはさすが団長だけどシンドバッドはなんで? 忖度?」

「あいつは子どもの頃から器用な奴だ。飽きも早くて熟達しないが、うつけの振りを通すのも無理がある」


 隣、ジゥデルは片脚を膝に乗せながら観戦し答える。「あ〜」シアランは賭場でたむろっていたのを思い出した。あれはもしかしたら“自分で”船を手に入れる為に。


「ふりじゃないと思うなぁ。海に出たいって言ってた」

「十に九は難破する。行かせるわけがない」

「シンドバッドは、一なんだよ」


 遠く剣を交える二人を見ながら言う。散る汗は眩く目を細める。


「――無論我が君がお望みなら」ジゥデルはシアランの白い手を柔らかく取り、しかし真っ直ぐと強い眼差しで射抜いた。

「連れて行かせることは絶対にしないが」

「はは……」


 シアランはさくさくと氷の山をスプーンで弄んだ。半ばは崩れて溶けている。


「そろそろ食べるのも面倒になったと言うだろう」


 ジゥデルは足を解くと長椅子に掛け、シアランの頭をその膝に乗せた。細長のスプーンで掬って氷菓を口元へ運ぶ。冷たい銀の匙が唇に触れれば小さく開き、流しこむよう傾けた。

「はぁ」

 冷たさに目を閉じて、咥内で解けるのを待って喉に下す。熱に浮かされた子どもでもないのに噛むことを忘れたようだ。ただ拒むことはせずに匙一口ずつ嚥下してゆく。


「この力ない腕に、縋られたいものだ」


 だらんと力の抜けた体を抱え起こし、自分の膝に座らせた。残り液となった銀杯を飲み干す。


「シアラン、お前をかけて争う弟たちを見てやれ」


 数撃のうちに相手を打ち崩してきた両者だったが、炎天下その戦いは決着をつけていなかった。削り氷を食べている間にも。


「そういう趣旨か〜 ジゥデルは出なかったの?」

「たまには弟たちに花を持たせるのもいい」


 くすりと笑って顎下の赤髪を撫でる。シアランも一応手を振った。


「私のために争って〜」


 声は届いたのか、剣戟の間にも男たちの顔が向く。と同時にジゥデルは髪に手を絡めて口付けほくそ笑んだ。

「試合と勝負は別だからな」


「あ」 


 カスィームが剣を落とす。その機を捉えてシンドバッドの剣が振り下ろされた。

「わ、や、やっぱり……!」と勢い立ち上がる。


「カスィーム!」


 とその決する刹那に砂埃が舞い、シンドバッドが地に背を付けていた。足を払ったカスィームが、もう剣を手にして突きつける。シンドバッドは苦笑いして手を上げた。

 勝者は決まった。


「やっぱり、争わなくていいよー」

「それは無理というものだ」


 弟王子が自分に初めて向ける視線を受けながら、ジゥデルは逸らさず嗤う。

 戦場では駆ける炎とも恐れられる、熱した赤銅の眼差しだった。



 〜・ـف・〜・〜



「――陛下の、市中見回りに相伴の栄誉を預かりたく」


 褒賞を断って膝をつき、顔を伏せながらカスィームは言った。家臣のような大仰ではある。


「市中……なんて?」


 仕事の気配を感じてシアランは露骨に嫌そうな顔をした。ジゥデルは肩をすくめシンドバッドは伝わってないぞと耳打ちする。それでカスィームは耳まで赤く染めて「シアラン…‼︎」と思いの丈を口にした。


「デートがしたいです……」


「そういうことなら、」とシアランは合点する。

「はたらかないならなんでもいいよ〜( ´ч` )」


 仕事を免除されてほっとしたシアランはすこし気も大きくなっていた。なので鷹狩りの遠出にも快く了承した。

 前日になると億劫になる系だったがさすがに反故ほごにはしなかった。その方が面倒そうだったからである。

 カスィームはすごく楽しみにしていた。




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