6. カフェデートをする

「シアラン、王宮もしばらくすると窮屈だろう。街に遊びに行かないか」

 

 期限が付こうと取り立てて何をするでもなくごろごろしていたところ、日に焼けたような褐色肌、白波のような銀髪のシンドバッド王子が訪ねて誘う。

  

「えー……特に窮屈ということはないけど。外は暑いし西瓜すいかのジュース飲んでだらだらしてたい」

「まぁ予想の範疇だ……。だけどどうだ? 新しい珈琲が流行ってる。あまーい蜜をとかして砕いた氷で振って泡だてた“シェケラァト”、海の向こうヴェネーツィア風の飲み方だ。異邦人の隠れ店で、まだ王宮では飲めないぜ」

「ごくり」

「なんたってスルターンだからな……飲み放題だ!」

「行く――!」


 はたらくくらいなら腹を空かせるシアランだが、こと珈琲については別枠だった。珈琲を啜りつつ店に出入りする噺家のはなしを聞く間は、霞みがかった明日昨日を忘れてただ現を抜かす。もし幸運に銀貨を拾ったりなどしたなら、三日の食料よりも今日一杯の珈琲を選んだろう。怠惰のためにはたらくことはせず怠惰に怠惰を享受することを旨とする点は留意されたい。


「おーいしーい」


 ごっくりと飲み干してグラスを置く。もう三杯目である。

 シンドバッドは頬杖をついてその様子を眺めていた。

 アネモネの花のような濃い色の赤髪はゆるくうねって胸元まで落ち、その対比か肌は無垢な色白さを増す。瞳はその深淵を延々と覗き込みたくなるようか翠色だった。まるで夏の夜、深い森の泉のほとりで遊ぶ悪戯な妖精のような(シンドバッド・ヴィジョン)


「どう見ても可愛いんだよなぁ」


 としげしげ見ながら腑に落ちなそうにぼやく。

「本当に魔人の力なのか? 他の奴らにはどう見えてるんだ」

「薄汚い鼠だとか気味悪い鬼子だとか……」シアランは補足して答える。その悪言にか他人事のような口調にか彼は眉を顰める。

「怒らないのか?」

「ちょっと面倒で」

「俺も他人がどう言おうとどうでもいいクチだが、ちょっと目を潰して回りたくなるな」

「人の為に怒るのもよく分かんなくて、確かになにか足りないんだろうなぁとは思う」


 シアランはさすがに余裕をもって四杯目のひんやりを手に包みつつのんびり味わう。


「足りないんじゃない。見慣れぬだけで忌避する者もいる……市井にはそう多くないからな、異国の者は」

「そういえば王子たちは髪も肌もそれぞれだよねぇ。あんまり似てないし」

「俺たちは皆母親が違うからな、その出自の国も。ハールーンは北方の大国、ジゥデルは南方の遊牧民、カスィームは東方の騎馬民族、そして俺は属国エズィプト生まれの母を持つ」

「へぇ〜」


 まるで世界の花々を一つの園に集めたような華やかさだったろう。


「競い贅を尽くした寵姫たちも王が代われば後宮を去る……涙の館とも言われる旧宮殿に。王位を得た王子の母だけは、母后として後宮統制の座に返り咲いてきた訳だが」

「うぇ〜統制……」

「そういえばシアランは出会った時、後宮行きから逃げてたもんな。あながち直感は間違っていない。先ずは勉強そして下働きで、王の目に留まるのは一握り。その上母后の……もしハールーンの母親がお前を見たらどんな顔をするやら」

 くくっとシンドバッドは含み笑いをした。


「先のことは、考えない」


 珍しくキレある口調で答える。考えてたらこうはなっていない。

 シアランは有言実行してもう興味を移し、マドラーでくるくる冷飲料をかき混ぜた。「もし」は彼女の興味をとどめて置かないのである。面倒ごとならなおさら。

 それより。


「何杯も飲めるなら、味変してみたいなー」


 魔人アルマラルが山に積む菓子ナザグは、包みの牛皮に色々なフレーバーの味付けがされていた。名産の果物ザクロにオレンジ、薔薇にミントまで。


「珈琲の香ばしさを引き立てるならヘーゼルナッツにアーモンド、甘みはキャラメルにバニラ、チョコレート……飲むだけで味わえたら楽じゃない〜?」

「珈琲に菓子を入れる……?」


 シンドバッドは驚いた。喰む手間すら惜しむ怠惰が穿つ常識に。


「溶けるの気にせずだらだらできるね!」

「天才か!」


 わぁ、と手を叩き合わせる様子に早速店主が耳に入れたようだ。高級品でも香りづけ程度なら広く売れる……しばし思案すると王子と知るシンドバッドに交渉へと足を運んだ。商魂たくましい。



 帰りがけ、ナツメヤシをポリポリ食べながらバザールを巡るのはシアランにとってもご満悦だった。財布兼荷物持ちの王子付き、高い天蓋が通りを覆い、暑い日差しもどこ吹く風。

 そのうち馴染み()の青果店を通りかかると店主が驚き呼びかけた。 


「シアランじゃないか。後宮に行ったんじゃなかったのか?」

「ある意味」

「あの……あの時は、その、言いすぎたな。お前がいなくなってから、果物の鮮度が落ちたと苦情ばかりだ。腐りかけのもんばっかり食いやがって。ほら、釣りだ」


 と店主は奥に引っ込んでから革袋を突き出す。宝物庫に眠っていたままのようなピカピカの金貨が覗いた。


「ううん、あんまり深追いされないかなって打算があっただけなので。あと金貨って使いにくい」

 とシアランは三度固辞するが、ついにシンドバッドが取り上げた。

「じゃあ俺が三倍にして分ければいいな。カスィームにも」

 賭けで、がつくとダメな感じがするが、そこは顔がいい。

「おいおい、こんないい兄ちゃん捕まえて後宮をでたのか〜? やるなぁこの! 幸せになれよ〜 買いにきたらおまけしてやるからな」


 と、こんな調子が幾つも続いて金貨はみるみる元と変わらないほど膨らむ。シアラン、シアランと。


「慕われてたんだな〜」

「断じてそんなことはないんだけど、おかしいな……あ」

  

  “私を、好きになれーーーっ”

   

 確かにそう『願った』。


「アルマラル、太っ腹〜」

 得心がいって、ちょっと気味悪がっていたシアランもにこにこになって手を振り返す。

「愛されるって人生が楽ーー」

 そうして遠慮なく手をぎゅっと握った。

「あっ……」

 もちろん、シンドバッドは褐色の肌に分かるほど顔を赤らめて、固くなりつつ細心の注意を払って手を握り返す。そうしてそっと引いた。


「シアラン、あと少しだけ寄り道したい」




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