第四話「もしかして、催淫されてる?」




 あおいには友達がいない。それは辛く、厳しい現実だ。学校に行って帰ってくるまでで誰とも一回も話さないこともある。


 しかし、最近はそんな日常も崩れ去ろうとしている。右の席の柊木由里香ひいらぎ ゆりかという女子が、偶にだが話しかけてくるのだ。

 これに対しあおいは冷たい態度を一貫して取っている。だがそんなもの関係ないらしい。暇なのかよく声をかけてくれる。


 ――良くない、これは非常に良くない。


 もちろん孤独が安らぐため嬉しいという気持ちはあおいにもある。それでもそれ以上にあおいの保身のためという部分がでかい。あおいは催淫されてしまった女性が怖いのだ。


 できるなら、純愛がしたい。


 下心や、催淫関係なしに、まともな恋愛がしたい。貞操観念が逆転してしまったこの世界だがその心は変わらない。あおいの催淫に引っかからない人間がいたとしたら、それはもう運命だろう。


 ――ま、そんな人間いると思えないけどね。


 腕枕をして顔を埋める。完全防御の布陣だ。これなら誰も話しかけてこないはずだ。


 が、その時。あおいの肩にツンツンと感触が走る。


「……なに?」


 あおいは顔を伏せたまま、少し不機嫌そうに応じた。すると、すぐ隣から由里香ゆりかの声が響いた。


「ねぇ、立花たちばなくん。今日のお昼、一緒にご飯食べない?」


 由里香ゆりかの声にあおいは一瞬、動揺した。だが、それを表に出すわけにはいかない。あおいは彼女の意図を探るように、冷たく返した。


「なんで?」


 由里香ゆりかは少し困ったように笑ったが、すぐに言葉を続けた。


「ううん、なんとなく。一人で食べるのも寂しいしさ、もし良かったら一緒にどうかなって」


 あおいは一瞬、考え込んだ。これまで彼女とは、必要以上の接触を避けてきたし、こうして話しかけられること自体が彼にとっては異例だった。彼女がどういう意図で誘っているのか、まだわからない。


「……俺は、一人でいいよ」


 冷たく突き放すように言ったが、由里香ゆりかはその言葉に怯むことなく、むしろ優しい笑顔を浮かべて言った。


「そっか。席も近いし良いと思ったんだけどなあ。別に無理にとは言わないけど、もし気が向いたら、一緒に食べようね」


 由里香ゆりかはそれだけ言うと、席に戻っていった。あおいは心の中でまた葛藤が生まれていた。彼女の誘いを受けるべきか、それともこのまま断り続けるべきか。


 一緒にご飯を食べることくらい、普通のことかもしれない。それでも、あおいにとっては簡単に決断できることではなかった。彼女が純粋に誘っているだけだと信じたいが、その裏には何かがあるのではないかと考えてしまう。


 結局、昼休みが近づくにつれて、あおいはますます心が揺れ動いた。しかし、その揺れが収まる気配はなかった。


 やがて、昼休みが始まる。教室にはランチボックスやパンを取り出す音、そして友達同士が楽しげに話す声が満ちていた。あおいはそんな喧騒の中で、一人じっと席に座っていた。由里香ゆりかの言葉が頭の中で何度もリフレインしていたが、動けずにいた。


「……やっぱり、行かない方がいい」


 彼はそう自分に言い聞かせ、再び顔を伏せて、持参したおにぎりを取り出した。だが、そのおにぎりを見つめる手が、いつもよりも少し重く感じた。心のどこかで、由里香ゆりかの誘いを断ることが正しいのかどうかを問いかけていた。


「……」


 周りの生徒たちは、それぞれのグループで楽しそうに会話しながら食事をしている。そんな中、彼は自分だけが取り残されているように感じてしまった。由里香ゆりかの言った通り、一人で食べるのは寂しい。しかし、それ以上に彼は、誰かと一緒にいることで、何かを失うことを恐れていた。


 彼がそうして考え込んでいると、ふと気配を感じた。顔を上げると、目の前に由里香ゆりかが立っていた。彼女は手に自分のランチボックスを持ち、少し照れくさそうに笑っていた。


「こっちから来ちゃった」


 由里香ゆりかあおいが返事をする前に、彼の隣の空席にそっと腰を下ろした。そして、何も言わずにランチボックスを広げ、食べ始めた。


 あおいは驚き、そして困惑した。彼女が勝手に隣に座ってきたことに対して抗議する気力も湧かなかった。しかし、それ以上に、彼女がなぜそこまでして一緒に食事をしたがるのかが理解できなかった。


「……何でそこまで?」


 あおいはぼそりと呟いた。その言葉に、由里香ゆりかは一瞬手を止めて、あおいの方を見つめた。


「うーん……どうしてだろうね。なんか、立花たちばなくんと一緒にいると落ち着くからかな?」


 由里香ゆりかはにっこりと笑い、再び食事を続けた。その無邪気な笑顔に、あおいは心の中で戸惑いが深まるばかりだった。


 彼女の言葉が本当なのか、それとも何か別の意図があるのか。あおいはその答えを見つけられずにいた。だけど、彼女が純粋に隣で過ごすことを望んでいるのならば、それに対して抵抗する理由もないように思えてきた。


「……」


 あおいは黙って自分のおにぎりを食べ始めた。二人の間には、特別な会話はなく、ただ食事を共有する静かな時間が流れていった。それでも、その静けさが心地よく感じられるのは、由里香ゆりかが彼の隣にいてくれるからだろうか。


 ふと気になって由里香ゆりかの顔を見つめる。今まではまともに見たことがなかったが、ようやくハッキリと由里香ゆりかの顔を視界に入れた。


「…………」


 ――案外、可愛いし……。


 それが素直な感想だった。顔に少しだが熱が籠もる。これはもしや、リア充という奴ではないか。可愛い女子と二人っきりでお昼ごはん。見ようによってはカップルか?


 けれどそれではあおいが相手に見合っていない。こんなに可愛い子なら他の男子のところに行ったっていいだろうに。


 ハッとして周りを見渡す。罰ゲームの線を考えたが指示を出したと思われる生徒はいない。余計に分からない。あおいの側にいると落ち着くっていうのも嘘だと思っている。こんな地味男に進んで向かうなんて、絶対に裏があるはずだ。


「あ……」


 あった。一つだけ存在していた。


 ――柊木由里香ひいらぎ ゆりかあおいに催淫されているのではないか?


 濃厚な説だった。催淫というのはあおいに対し魅力を感じてしまうと発生する。そのため地味男のフリをし魅力を減らしているが、その地味男という部分に魅力を感じてしまう人がいるかもしれない。今までは出会ったことがないが、確率としてはありえるのだ。


 もし由里香ゆりかが催淫されているのだとしたら……。それはあおいが一番恐れていたことだった。由里香ゆりかの優しさや微笑みがすべて、自分の存在によって引き起こされたものであるならば、そんな関係を続けることはできない。


 ――確かめなければ。


 あおいの中に一つの決意が宿った。脳内に浮かぶのはあおいの体質により生み出された数々の修羅場。その情景を思い出して身体がブルリと震える。しかし、その経験は大事な資料ともなり得る。


 この資料を元に言うとまず第一、催淫にかかった人物はあおいに対して下心を抱えて接する。恋心なんてない。あるのは100%の色欲だ。女子からそういった欲を寄せられると聞くと違和感があるが、ここは貞操観念が逆転しているので当たり前のことだ。


「うーん……」


 由里香ゆりかにはその兆候が見られない。何かの欲にかられてるようには見えないし、様子も普通。強いておかしいというなら、こうやって見つめてると恥ずかしそうに顔を逸らすところだろう。


 まぁ、いいや。


 柊木由里香ひいらぎ ゆりかは要観察。心のメモにそう書き留めると同時におにぎりをパクリと頬張った。

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