一ヶ月
第12話
ここ数日、アニマの具合が急激に悪化している。
-死なせないんで
俺は昼夜を問わず、仕事を入れた。
形だけのスラムへの処置のために、スラムの建物を撤去し、別のスラムに廃材や人間を押し込めていく作業。
何の意味もなさない作業。
現場監督は、怒りの感情だけを持った機械のように、作業員たちに鞭を振るう。怠け者をチクれば免除されることに気がついた作業員たちは、今や相互監視状態にある。
違法じゃないだけマシな仕事だと、割り切って、俺はとにかく体を動かす。
今家にあるのが300万チェン。あと50万はほしいか。ガキの頃350万、中心でまともな治療、手術を受けるならそれくらいは必要だと教えてもらった。
昼の仕事を終え、日に日に高くなっていく薬を買って帰る。
「おかえりカラ…?」
「あ、ああ」
あと、3時間は寝れるか。そしてら夜のシフトだ。
今、自分は何か重大なことを忘れてしまっている気がするが、それどころではない。
いや、それどころではなくしていたい。忘れていることに気がつきたくない。
「カラ、働きすぎだ。貯金はあるだろ。せめて、夜はやめるとか…」
アニマが心配そうに声をかけてきた。
だから心配なのはこっちなんだよ。
「そうかもな」
俺は全く中身のこもっていない返事をする。
「…カラ、遊ぼ」
「は。なんだよ急にガキみたいな」
俺は笑ってしまって、頭でやっていた金勘定が飛んでしまった。馬鹿だ。
指をもう一回折り返したところで、アニマが何も言い返してこないのが気になって、アニマの方を見る。
「ア…」
アニマが、拗ねた子どものような、それでいて達観したじじいのような、とにかく、俺が、悪いと思わせるような顔をしていた。
いや、実際はそれら全てとかけ離れた微笑なのだが、これは俺の罪悪感を鏡のように映しているのだろうか。
俺は、目をそらしてしまった。
「ごめん、少し寝たいんだ。1時間したら起きる」
俺は、床で、寝返りをうつふりをして、アニマに背を向けて眠った。
違う、逃げてない。
だって、じいさんは、もう最後の時だっただろ。
これは違う。
違うんだ。
アニマは、死なせない。
誰にも届かない言い訳を、心の中で呟きながら、眠りについた。
空が、晴れててさ、風が吹いてる。
いつも、見る、同じ夢。
アニマが、元気に、外を走り回る夢。
だけどこの夢はなんでか俺が出てこないんだよ。
俺は、それを、知ることもないんだ。
「っ…!!」
俺は手を伸ばし、アニマを掴もうとして、でもその手は、まるでこの世界に俺は存在しないみたいに、空を切るんだ。
俺は心臓をバクバクと鳴らしながら起き上がった。手を引っ込める。
何時間経った?
視線を感じて振り向くと、アニマがじっとこちらを見ていた。
「すまん、アニマ。俺何時間寝てた」
「2時間と7分、32秒」
秒数まで、もしかしてずっと数えていたのか。
しかしその声はけして怒るわけでも責めるわけでもない。
「すまん、それで…遊ぶって何で。あと、1時間ぐらいしたら、俺は行かなくちゃいけないけど」
「折り紙でもしよう」
確か、ガキの頃に、もらった折り紙を、今もまだ大事にとってある。
俺は、アニマの提案の意図をくみ取れない、いやくみ取ろうとせずに、その折り紙を探すことだけを考えた。
台所のコンロの上の山にあった。
ちょうど残り2枚だ。アニマのもとに持っていき、俺はベッドの隣の椅子に腰かけた。
「タズでも折ろうか」
「俺知らねぇよ」
「頑張って思い出しなよ」
タズっていうのは空を飛ぶ鳥らしい。空を飛ぶ動物なんて虫以外にいるんだな。
最初はアニマの真似をして、折っていったが、なぜか体が思い出してきて、アニマの先を越していった。
「もっと丁寧に折れば?」
「めんどくせー」
アニマは笑った。
印をわざわざつける必要性が分からないので、とばす。
「カラらしいな」
「なんだよそれ、んじゃそのちんたらしてんのはアニマらしいわ」
アニマは笑った。
角と角が少し合っていないが、このくらいでいいだろう。
「カラはアニマらしいってなんだと思うんだ?」
折る手を止めて、アニマがこちらを向いたのが分かった。だからわざと折り紙に視線を落としたままにする。
「知らねぇよ…てかそーゆーとこ!!」
「言葉にしてくれよ」
「ん-だからそこ!!頭が良くて、めんどくさい質問して、それに答えるまで離してくんないめんどくさいとこ」
「そんなめんどくさいめんどくさいって繰り返さなくてもいいじゃないか」
アニマは笑った。
次は辺が合わない。
「じゃあ、頭が良くなくなったら、俺は俺じゃなくなるか?」
もうすぐ、タズが出来上がりそうだ。
「は…。何己惚れてんだよ、めんどくさいのがお前って言ってんだろ」
正解は、この返事か。
間違っているならそう言ってくれ。
「そうか」
何度でも、やり直すから。
「カラ、こっちを見てくれ」
「今折ってんだよ」
「折り終わってるだろ。別の生物にしていくなよ」
俺はタズだった何かを置いて、アニマの方を見た。
こいつこんなに痩せてたっけな。
「最近後頭部と横顔しか見てなかったから」
寝る時も、ベッドの隣の椅子に座る時も、確かに、俺がアニマに正面を向くことは少なくなっていった。
アニマが痩せていくたびに。
俺はすぐに目をアニマの手元にやった。
小さな息が漏れる音で、アニマが、何かを言いかけて、やめたのが分かった。
ああ、そうか。手が震えているから、上手く折れないんだ。
工事現場に戻り、もはや何の意味もなさない、感覚の麻痺した鞭に打たれながら、この会話を何度も反芻する。
カラらしいってなんだ。
「おい、それ何焚いてんだ?」
夜、タバコなんかよりも酷い、むせかえるような濃い煙を出す何かを、一部の作業員が囲んでいた。
「おい、クソ真面目のガキが来たぞ」
「チクられるんじゃねぇか」
「アイツがチクってんの見たことねぇけどな」
聞こえてんだよ。
「来いよ」
仕事の後で、抵抗するのも面倒だった。
無理やり、煙を吸わされる。
むせて、むせて、むせて。
突然の、浮遊感。
何も、考えなくていい。
俺は泡を吹いて、倒れた。
その日から毎日、仕事終わりにそこに来ていた。中毒性はないらしいが、俺もコイツらもこれしかないから中毒だ。チクらない代わりに吸わせろと言った。
俺の中の何かは確実にすり減っていった。
3週間がたつ頃、俺は、アニマとの会話を、思い出すこともなくなる。
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