第20話

「…俺はお前と生きていきたいんだ」


砂ぼこりと太陽の光。


その短い記憶だけが、現在の俺に流れ込んできた。俺の一番古い記憶が更新される。

目の前には血のついたベッド、生命維持の機械、管、コンピュータ。

俺は二人をこの部屋に置いてきた。


俺が、選んだ。

間違ってるなら、そう言ってくれ。

でもきっと、俺は何度やり直しても、お前と生きていきたいと、思ってしまう。

お前を、失いたくない。


ごめん。

俺は何度も謝った。届くことはないのに。


「あ…」


何も食べず、飲まずで床に寝っ転がっていると、アニマのベッドの下に何かが落ちているのが見えた。

アニマが折った綺麗なタズだ。


「『開け』」


震える文字でそう書いてあった。

勿体ないと思いつつも、タズを開いていく。タズだった紙は、一枚の、手紙となった。


『カラ。

俺は、自分を、失いつつある。自分を信用できるうちに、書き残しておきたい。


俺は、君の人生の足手まといだった。

過去を変えてくれ。いや、正してくれ。

君はどんなことがあっても、結局俺を、見捨てることはないだろう。

ならもう最初から、出会わなかったことにしてくれ。

対称性のやぶれは、現在に死が来ない限り、考えなくていい。

だから、俺が死ぬ前に、変えてくれ。


それが、逆行理論を作った動機だ。

君に、君の人生を生きてほしかった。

この理論が完成してからの3年間。俺はこれを何度も、伝えようとした。


その度に、言葉を飲み込んでしまった。


君と、生きていきたいと思ってしまった。


現在が、間違っていてもいいから、君を失いたくなかった。


ごめん。


俺は次の瞬間、これを破り捨てるかもしれない。

それでも、紙に一度書けば、決心がつくかもしれないからという理由もあって、震える指を動かしている。


俺は、ちゃんと、君に渡せたか。

君に、別れを言えたか。

俺は願うことしかできない。』


俺は手紙をぐしゃぐしゃに握りしめた。


俺は、それから空っぽの部屋で日常を送ろうとした。

台所を片付けて、マシな飯を作って、食べて、椅子ではなく、床で寝る。

体は単純らしい、生活がまともになっていくと、煙を求める気持ちも薄らいでいった。


血のついたベッドも、ただの黒い板も、選択に邪魔な箱も、全部捨てられなかった。



ある日、扉を叩く音がした。

アニマが死んでも、事件は起こり続ける。警察がまた依頼しに来たんだろう。

そう思いながら、重い体を動かし、扉を開けた。


そこには深くフードを被った少女がいた。


「カラさんですか」


少女は震える声で尋ねた。


「そうだ」


少女は小さく息を吸った。


「アニマさんのことについて、話に来ました」


アニマのこと?

なぜ1週間を過ぎた今になって、話すことなんてもう何もないだろ。

全部終わったんだ。


全部終わった…?


逆行して、この現在を選び直し、そしてアニマの想いを読んだ。


それは俺とアニマの間でしかない。


死体の処理は?知らねーけどあーゆーのってもっと書類とか書くんじゃないか?隣のじいさんだって人を呼んでたじゃないか。


いや、今はそれよりも。


「お前は誰なんだ?」


その少女はフードを取った。

そこには一度見たことのある顔があった。


「私はサラです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る