第4章:紫鳶の葛藤

 紫鳶麗華しえんれいかは、月光女学院の生徒会長として、常に完璧を求められる存在だった。彼女の長い黒髪は、艶やかな紫色の光沢を放ち、その瞳は鋭い鳶色で、まるで生徒たちの心の奥底まで見通すかのようだった。


 麗華は、その日も厳格な表情で廊下を歩いていた。彼女の制服は、他の生徒たちとは違い、特別に仕立てられたものだった。スカートの裾には、繊細な刺繍で紫鳶の羽根が描かれており、それは彼女の威厳を象徴しているかのようだった。


 突然、廊下の角から甘い笑い声が聞こえてきた。麗華は思わず足を止めた。


「優莉奈ったら、もう……」


 蒼羽の声だった。続いて、優莉奈の柔らかな声が響く。


「蒼羽の頬、本当に柔らかいのね」


 麗華は、思わず息を呑んだ。彼女は、ゆっくりと角を覗き込んだ。


 そこには、蒼羽と優莉奈が寄り添うように立っていた。優莉奈の指が、蒼羽の頬を優しく撫でている。二人の距離は、友人としては明らかに近すぎた。


 麗華は、胸の奥で何かが疼くのを感じた。それは、嫉妬なのか、憧れなのか、それとも……。


「あ、麗華先輩!」


 優莉奈が麗華に気づき、声をかけた。蒼羽は慌てて優莉奈から離れようとしたが、優莉奈はそんな蒼羽の手をしっかりと握ったまま離さなかった。


 麗華は、一瞬たじろいだが、すぐに生徒会長としての威厳ある表情を取り戻した。


「天音さん、月影さん。廊下での親密な行為は控えてください」


 麗華の声は冷たかったが、その瞳には複雑な感情が浮かんでいた。


「すみません、麗華先輩」


 蒼羽が小さな声で謝罪した。その瞳が、月光のように淡く輝いているのを麗華は見逃さなかった。


「いいえ、謝らないで」


 優莉奈が蒼羽をかばうように前に出た。


「私たち、何も悪いことはしていません。ただ、お互いを大切に思っているだけです」


 優莉奈の言葉に、麗華は言葉を失った。彼女の心の中で、何かが大きく揺れ動いた。


「そう、ですね……」


 麗華は、ふと視線を落とした。その瞬間、彼女の厳格な仮面が一瞬崩れたように見えた。


「麗華先輩、大丈夫ですか?」


 蒼羽が心配そうに尋ねた。麗華は慌てて顔を上げた。


「え、ええ。大丈夫です」


 麗華は、何かを言いかけて口ごもった。そして、ため息をつくと、意外な言葉を口にした。


「二人とも、放課後、私の部屋に来てくれませんか? 少し、話があります」


 蒼羽と優莉奈は驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷いた。



 その日の放課後、麗華の部屋のドアをノックする音が響いた。


「どうぞ」


 麗華の声に応えて、蒼羽と優莉奈が部屋に入ってきた。


 蒼羽と優莉奈が麗華の部屋に入ると、空気が一瞬凍りついたかのように感じた。

 麗華は、厳格な表情で二人を見つめていた。


「座ってください」


 麗華の声は、いつもより少し高く、緊張が滲んでいた。

 蒼羽と優莉奈は、おずおずとソファに腰かけた。


 麗華は、机の前の椅子に座り、姿勢を正した。彼女の長い黒髪が、僅かに揺れる。


「今日、廊下での二人の行為について……」


 麗華は言葉を選びながら話し始めた。


「あまりにも……親密すぎると思います」


 蒼羽は、顔を真っ赤に染めて俯いた。

 優莉奈は、蒼羽の手を優しく握った。


「麗華先輩、私たち……」


「待ってください、天音さん」


 麗華は、優莉奈の言葉を遮った。


「規則では、そのような過度な身体的接触は禁止されています。特に、昼間の人目につく場所では」


 麗華の声は冷たかったが、その瞳には何か複雑な感情が揺れていた。


「申し訳ありません」


 蒼羽が小さな声で謝罪した。


 麗華は、深く息を吐いた。彼女の表情が、僅かに和らいだ。


「ただ……私も分かっています」


 麗華の声が、少し柔らかくなった。


「二人の気持ちが、ただの友情以上のものだということを」


 蒼羽と優莉奈は、驚いて顔を上げた。

 麗華の瞳に、理解の色が浮かんでいる。


 麗華は、椅子から立ち上がり、窓際に歩み寄った。

 外では、夕暮れの空が美しく染まっていた。


「私も……」


 麗華は言葉を詰まらせた。彼女の肩が、僅かに震えている。


「私も、同じような気持ちを……」


 麗華は、自分の言葉に驚いたかのように口を閉ざした。彼女の頬が、薄く染まっていく。


 蒼羽と優莉奈は、息を呑んで麗華を見つめていた。


 麗華は、ゆっくりと振り返った。彼女の表情には、今まで見たことのない脆さが浮かんでいた。


「すみません。私……何を言っているのか」


 麗華は、慌てて視線を逸らした。彼女の指先が、制服のスカートを強く握りしめている。


 優莉奈が、そっと立ち上がった。


「麗華先輩、大丈夫ですよ。話してください」


 優莉奈の優しい声に、麗華は僅かに体を震わせた。


「私……」


 麗華は、再び言葉を詰まらせた。彼女の瞳に、涙が浮かんでいる。


「私には、言えないんです。生徒会長として、模範的な生徒として……」


 麗華の声が震えていた。彼女の完璧な仮面が、今にも崩れそうだった。


 蒼羽も立ち上がり、麗華に近づいた。


「麗華先輩、私たちは味方です。何があっても」


 蒼羽の言葉に、麗華の表情が柔らかくなった。


 麗華は、深く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと吐き出した。


「実は、私……」


 麗華は、もう一度言葉を詰まらせた。彼女の頬が、さらに赤く染まっていく。


 そして、ゆっくりと立ち上がると、本棚に向かった。麗華の指が、本の背表紙を優しく撫でる。


「これを見てください」


 麗華は、最奥から一冊の本を取り出した。その手が、僅かに震えている。


 蒼羽が、その本を受け取った。


 それは、表紙に二人の少女が抱き合う姿が描かれた百合小説だった。


「麗華先輩、これは……」


 蒼羽の声が震えた。優莉奈は、優しく蒼羽の肩に手を置いた。


「私、実は……百合が好きなんです」


 麗華の声は、か細かった。彼女の頬が、薄く染まっていく。


「でも、生徒会長として、そんな気持ちを持つことは許されないと思っていました。だから、必死に抑え込んできたんです」


 麗華の瞳に、涙が浮かんでいた。


 優莉奈は、静かに立ち上がると、麗華に近づいた。そして、優しく彼女を抱きしめた。


「麗華先輩、あなたの気持ち、素敵だと思います」


 優莉奈の声は、優しく響いた。


「そうよ、麗華先輩」


 蒼羽も立ち上がり、麗華の手を取った。


「気持ちに正直になることは、決して間違いじゃありません」


 麗華は、二人の優しさに包まれ、涙を流した。


「でも、私は生徒会長で……」


「生徒会長だからこそ、多様性を認められる人であるべきじゃないかしら」


 優莉奈の言葉に、麗華は目を見開いた。


「そうね。麗華先輩が率先して、ありのままの自分を受け入れることで、他の生徒たちも勇気をもらえると思うわ」


 蒼羽の言葉に、麗華は深く頷いた。


「ありがとう、二人とも」


 麗華の顔に、初めて柔らかな笑顔が浮かんだ。


 その瞬間、部屋の窓から柔らかな風が吹き込んできた。三人は、驚いて窓の方を見た。


 そこには、風華ことはが立っていた。彼女の周りには、淡い風が渦巻いていた。


「あら、素敵な光景ね」


 ことはの声が、風に乗って三人の耳に届いた。


「風華さん……」


 麗華は、驚きのあまり言葉を失った。


「大丈夫よ、麗華先輩」


 ことはは優しく微笑んだ。


「あなたの気持ち、とても美しいわ。それを隠す必要なんてないのよ」


 ことはの言葉に、麗華の心に温かいものが広がった。


「ねえ、みんな」


 ことはが言った。


「私たちで、この学院を変えていきませんか? 数字だけじゃない、本当の価値を認め合える場所に」


 蒼羽、優莉奈、麗華は顔を見合わせた。そして、全員が頷いた。


「そうね。私たちの力を合わせれば、きっとできるわ」


 蒼羽の声には、強い決意が込められていた。


「月華律だけじゃない。もっと大切なものがあるはず」


 麗華の言葉に、全員が賛同の声を上げた。


 その瞬間、蒼羽の瞳が月光のように輝き始めた。それは、新たな未来への希望の光のようだった。


 四人は、互いの手を取り合った。その瞬間、部屋の空気が一変したかのように感じられた。蒼羽の瞳が月光のように輝き、優莉奈の髪が風に揺れるように見えた。ことはの周りには、かすかな風が渦巻いている。そして麗華の表情には、今までに見たことのない柔らかさが浮かんでいた。


「みんな……」


 麗華の声が、感情に震えていた。彼女の鳶色の瞳に、涙が光っている。


「私、こんな気持ち、初めてです」


 優莉奈が、優しく麗華の肩に手を置いた。


「麗華先輩、それが本当のあなたなんですよ」


 蒼羽も、麗華の手をそっと握った。


「数字じゃない、心の繋がり。それが私たちの本当の強さだと思います」


 ことはは、微笑みながら言った。


「そうよ。私たちの絆は、どんな計算式でも表せないもの」


 麗華は、深く息を吐いた。そして、思い切ったように腕を広げた。


「みんな……抱きしめてもいいですか?」


 その言葉に、他の三人は驚いた表情を浮かべた。しかし、すぐに優しい笑顔に変わった。


「もちろんよ、麗華」


 優莉奈が、麗華の名前を初めて呼び捨てにした。それは、彼女たちの関係が新たな段階に入ったことを示していた。


 四人は、ゆっくりと寄り添い、互いを抱きしめた。麗華の長い黒髪が、蒼羽の頬をくすぐる。優莉奈の柔らかな体が、ことはに寄り添う。そして、彼女たちの周りを、ことはの風が優しく包み込んだ。


 抱擁の中で、麗華は小さくすすり泣いていた。それは、長年抑圧してきた感情が解放された証しだった。蒼羽は、麗華の背中をそっと撫でた。優莉奈は、麗華の手を優しく握った。ことはは、全員を包み込むように腕を広げた。


 彼女たちの体温が混ざり合い、心臓の鼓動が重なり合う。そこには、言葉では表現できない深い絆が生まれていた。


 やがて、麗華が顔を上げた。彼女の頬には涙の跡が残っていたが、表情は晴れやかだった。


「みんな、ありがとう」


 麗華の声は、柔らかく、暖かかった。


 四人はゆっくりと体を離したが、その絆は以前より強くなっていた。麗華は、深呼吸をして、決意に満ちた表情で言った。


「さあ、私たちの物語を、ここから始めましょう」


 麗華の声が、部屋に響き渡った。それは、彼女の新たな決意の表れだった。その声には、もはや迷いはなく、ただ純粋な希望が満ちていた。


 蒼羽の瞳が、さらに明るく輝いた。優莉奈は、小さく頷いた。ことはは、優しく微笑んだ。


 四人は再び手を取り合った。その手には、互いへの信頼と愛情が込められていた。彼女たちの指が絡み合う様は、まるで彼女たちの運命が織り成す布のようだった。


「私たちなら、きっとできる」


 蒼羽が言った。その声には、強い確信が込められていた。


「ええ、一緒なら」


 優莉奈が続いた。彼女の声は、優しく響いた。


「新しい風を、この学院に」


 ことはが付け加えた。彼女の周りの風が、さらに強く渦を巻いた。


 麗華は、みんなを見渡した。そして、晴れやかな笑顔で言った。


「さあ、私たちの革命を始めましょう。数字では測れない、本当の価値を求めて」


 その言葉とともに、部屋全体が温かな光に包まれたかのように感じられた。それは、彼女たちの強い絆が放つ、目に見えない輝きだった。


 こうして、四人の少女たちの新たな物語が、密やかに、しかし力強く幕を開けたのだった。


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