第30話 悪役元王妃と侍女と公爵令嬢

「でもたいしたことがなくて、本当に良かった」


 なにせ今日の焼き菓子は本当に美味しい。無事だったオスカーに感謝を感じながら、サクサクと菓子を頬張っていると、ヴィンセントが自分の皿もマドカへと差し出した。

 どうやら彼のぶんも食べていいらしい。


 行儀が悪いとは思ったが、美味しいのだから素直に貰うことにする。

 指を伸ばして皿を引き寄せようとしたところで、皿が動かなくなった。


 マドカが思わず首を傾げると、声が降ってくる。


「ところでマデリーン」

「あら、なにかしらヴィンス」


 にっこりと笑みを浮かべて見せると、ヴィンセントは複雑そうな表情を浮かべた。

 端正な顔立ちは、一見感情が分かりにくいような印象を持つが、実際とても変わりやすい。


「俺はマドカを茶に誘ったのだが、なぜマデリーンの装いでいる」

「だって」


 ヴィンセントの不満はわかるし、マドカだとて応じたかった。だがマドカはいちおう王宮に勤める侍女という立場だ。国王と茶を飲むというのは無理があるだろう。


「ヴィンスがこんなテラスに呼び出すから悪いのよ」

「ラガラの花の時期も終わりだ、季節が巡る前に一緒に見ておきたかった」


 綺麗に咲くラガラの花には、もう緑の葉が混じっている。花がすべて落ちると美しい緑の葉の季節になる。来年また見事な花を咲かせるには、これから水の管理に気を配らなければならないらしい。

 そんな話は今ではヴィンセントのほうが詳しい。


「名を呼んだらいいだろうなどと思うな、俺はマドカと茶が飲みたかった」

「良き王は細かいことを気にしないものよ」


 わざと刺々しく言い返すと、マドカはぷいと視線を逸らした。

 どちらもマドカだと言ってくれたのはヴィンセントなのに、こんなに拘るなんて話が違う。


 ローレンスが茶のおかわりを注ぎながら、しれっと口を挟んだ。


「まあ、陛下の複雑な心も察してください、なにしろ初恋を拗らせているもので、なにもかも寛容に考えられないのです」


「おいローレンス、適当なことを言うな」


 ヴィンセントがローレンスをじろりと睨む。

 その隙にマドカは譲り受けた焼き菓子をひとつ頬張った。口を動かしながら視線を動かすと、すぐにヴィンセントと目が合う。

 ヴィンセントは視線を僅かに彷徨わせてから、照れた表情でマドカを見た。


「マドカも言っただだろう、父上だって心に決めたのは母上だけだったと、俺だって同じだ、マデリーンを否定するつもりはないが、その、お前だけをとな」


 マドカはこてんと首を傾けた。

 確かにそういう話はヴィンセントに伝えたし、マデリーンは立場だけの存在だ。


「でもそのヴィクトル叔父様は、リファナ叔母様の前に召した令嬢がいましたけど」

「え?」


 王家の男子なら、成人になっても妃が決まらないとそうなる。マデリーンが嫁いだ時に周囲から嫌味としても持ち出された話題なので、マドカだって聞いた。


「うーん、でもまあ、それって王家の儀礼でしょう」

「そうです、ですからヴィンス様の時には全てお断りしました」


 代わりに答えたのは控えて立っていたローレンスだった。笑いを堪えているあたり、おそらく彼はそれなりに知っている。

 マデリーンはこの手の嫌味を言われることもよくあったので、マドカは話だけなら年齢以上の慣れがある。

 だが、ヴィンセントはそうではないらしい。

 椅子から腰を上げそうな勢いでローレンスを睨んでいる。


「ローレンス! その話はマド、マデリーンの前ですることじゃないだろう!」


「別にかまわないじゃないですか、当事者ですし」

「当事者? いや確かに俺はマドカだけだと公言もするし、そう思っているが」

「そういう意味ではありませんよ」


 ローレンスの言葉に、マドカは頷きながら茶を飲む。


「もともとマデリーン嬢は、王太子殿下との婚約をという話で王宮に上がって頂きました。しかしその王太子殿下が否と言って騎士団宿舎から飛び出し、視察と遠征に明け暮れてしまったのです」

「悔しくて泣いていたところを、ヴィクトル叔父様が引き取って下さったのよ」


 会ってからでも決めれられると周囲に言われたが、マデリーンなりに緊張していたのだ。ただ王子には会う前から嫌われているとわかり、とても悲しかったことは覚えている。


「知らないぞ、そんな話は」

「ええ、ですからこうして嫌味として持ち出しています」


 ローレンスにしれっと返されたヴィンセントが困った表情でマドカを見た。そんな目をされても、ローレンスは嘘を言っていないのでどうにもできない。


 悪いのはこんなところでばらしたローレンスだということにしよう。


「ええと、確かにその話を断ったのは覚えている、あの時も今回もフロルド公爵家にはきちんと話をしてだな」


 唐突に出てきた名前にマドカは目を瞬かせ、思わず口を挟んだ。


「フロルド公爵家ってなんでしたっけ?」

「孫娘である御令嬢が、陛下の妃候補として上がっていますね」


 そういえばそんな話を聞いたのも、この庭園だった。マドカは扇で仰ぎながら聞いた話を思い出していく、そうだヴィンセントには相応の立場の候補がいるのだ。

 マドカは聖女の娘ではあるが、その母も国にいない。そうなるとマドカにはどうすることもできない身分という壁がある。


 そう思って仰いでいた扇の手をふと止めた。


「ちょっと待って、おかしいわね」

「なにがだ?」

「フロルド公爵家って、令息しか居ないはずよ」


 フロルド公爵はもうかなりの高齢で子息が三人いる。次男が跡継ぎとして決まっているが、その次男にも令嬢がいるという話は聞かない。


 前宰相サディアスとフロルド公爵はよく茶を飲んでいたから、よく覚えている。とにかく二人とも仕事をしないので、マデリーンが仕方なく政務にまで口出ししていたのだ。

 それを思い出しながら、マドカはぶつぶつと系図を思い出す。


「だってお父さんが勘当されて、跡継ぎは次男であるディアンの父様になっている……ん?」


 そこまで呟いたところで、ようやくひとつの可能性に当たった。

 いやまさかそんなはずはない。それはマドカも知らないことだ。


「そういうこと?」

「はい、そういうことです」

「知っていたのね」


 視線を上げると意味深に笑うローレンスが見え、マドカは思わず息を吐く。


「どういうことだ?」


 ヴィンセントは怪訝な表情を浮かべて二人を見くらべている。

 マドカはローレンスのさらに後ろに立っているトレサを見た。こちらも意味深に微笑んでいるから知っていたのだろう。


「マドカ嬢のことはお聞きしておりましたが、マデリーン様との仕掛けには気付きませんでした」


 私もまだまだ未熟です。ローレンスはそう付け加えてわざとらしく肩を持ち上げた。

 そうして彼は敢えてわざとらしい咳払いを挟む。


「マドカ嬢のお母上は、異世界より召された聖女ですが、お父上はこのラクトセアム王国の騎士でした」

「確かにそうだ、それは俺もマドカから聞いている」


 ローレンスの話が核心に触れる前にこの状況から逃げ出そう。そう思ってマドカは腰を上げた。

 だがどう見えているのか、すぐにヴィンセントから指の動きで座っていろと指示される。

 気まずい表情のまま座り直すマドカを置いて、ローレンスの話は続く。


「お母上である聖女殿が異国へ帰る時には、お父上であった騎士も同行しています、その際にマドカ殿の父上はご実家から勘当の扱いを受けています」


 ヴィンセントがちらりとマドカを見た。それは事実なので、二回頷いて肯定する。


「ただ残られたお嬢様に関しては、そのご実家が出生記録の保管や後見などすべてを引き受けておられます、今でもそうだと確認は取れております」

「そういえば、聖女と結ばれた騎士は……」


 ヴィンセントがなにかを思い出すように考え込み始めた。


「はい、フロルド公爵家の嫡子でした」


 ヴィンセントが思い出すのを待たずに、しれっとローレンスは続けた。

 そこまで話が進むと、ようやく理解したヴィンセントの表情が怪訝なものから焦ったようなそれに変わっていく。


「そうなると、現在フロルド公爵家の御令嬢と呼べるのは、マドカ嬢だけですね」


 マドカはローレンスの話を聞きながらぼんやりと思う。そうだったのかわたしっていつの間にかお妃候補になっていたのね、でももう一回やっているのに、よくもまあフロルド公爵も二回もいけると思ったものだ。

 そんな風に考えていると、綺麗な笑顔を浮かべたローレンスが、底冷えのしそうな声で言った。


「公爵家には断ったんだったなあ、ヴィンス。一度破談しているからと渋る公爵家への俺の根回しが、どれだけ大変だったと思っているんだ、ええ?」


 やはりこの美形は仕事ができるし笑顔はとても怖いと思いながら、マドカはそっと首をすくめた。

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