第29話 王はすでに侍女のもの
グラントが血走った目でこちらを睨んでいるのが見える。そんな目で睨まれたって、マドカが考えた作戦ではないと声を大きくして言い訳したい。
しかしそうも言っていられないので、ヴィンセントから毒瓶を受け取り、それを持って邪魔にならないくらいまで慌てて走った。
マドカはヴィンセントがどのくらい強いのかは知らない。グラントは結構強いらしいということはなんとなくわかる。
グラントの警戒を下げるために、アランたち騎士はローレンスが下がらせているらしいが、どこまで下がっているのか。
どうして応援の騎士が来ないのかと思っているうちに、グラントが剣を抜いた。
「ヴィンス!」
対してヴィンセントのほうは王であるためか帯剣していない。
誰か呼びにいくべきか、マドカが悩んでオロオロしていると、ようやくアランが駆け込んできた。
「アラン、剣を!」
ヴィンセントが叫ぶと、アランはすぐに自分の剣を抜いてヴィンセントへと投げ渡した。グラントが振りかぶった剣を、ぎりぎりのところでヴィンセントの剣が受け止める。
そこから剣の打ち合いになった。
怒りで冷静さを欠いていると思いきや、グラントは目を血走らせながらも確実な剣を振るってくる。
どちらが強いのかはわからない。だがアランは手を出さずに見ているところからして、きっとヴィンセントは勝つと信じるしかない。
「はっ!」
「ぐっ」
ヴィンセントが気迫とともに勢いよく振るった剣が、グラントの剣を弾く。
剣が弾かれ飛んだことにより、ヴィンセントがそのままグラントの目の前に剣を突き付けた。
「これまでだグラント、貴殿には聞きたいことがいくつかある、大人しくしてもらおう」
「ぐっ、王になってから訓練はしていないと見ておりましたが」
「やはりお前の目は節穴だ、己のことばかりでなにも見ていない」
静かにヴィンセントが言い放つと、グラントはその場に項垂れた。
騎士が数人駆けて来て、グラントを拘束すると連れていく。
ヴィンセントはアランに剣を返すと、すぐにマドカのほうへ駆け寄って来た。
「大丈夫かマドカ、怪我はないか?」
「はい、わたしは大丈夫です、どこも怪我はありません」
「そうか、良かった」
マドカが心配はいらないと笑って見せると、ヴィンセントもようやく安心したのか表情が綻んだ。
「良くやってくれた、ありがとうマドカ」
「はい、とても緊張しましたが、上手くいってよかった」
「危険な役目を強いて、すまなかったな」
「そんなことないです!」
マドカがぶんぶんと首を振りながら見上げると、ヴィンセントはとても優しい表情を浮かべていた。その手がふわりと頭にのせられる。
そのまま撫でるように動かされ、マドカは顔に熱が集まらないうちに話題を変えた。
「へ、陛下はとてもお強いんですね、知らなかったです」
「これでも王太子の頃から公務をさぼって騎士団の仕事や訓練ばかりしていたからな、グラントの癖もよく知っていた」
思うところはあるのだろう。笑顔は浮かべていたが、ヴィンセントはどこか寂しそうな表情を浮かべた。
「あっ、そういえばグラントが持っていた毒の瓶がここに」
そういえばずっと
握りしめていたのだったと、瓶を差し出す。近くで見てもなんだか嫌な色をしている液体だが、どのくらいの毒なのかはわからない。
「そちらは私が引き受けましょう、成分の解析と出どころも気になりますしね」
「はい、よろしくお願いしますローレンスさん」
いつの間に来ていたのだろうか。さりげなく手を出すローレンスに、マドカは瓶を手渡した。
ヴィンセントが目を細めてローレンスを睨む。
「おいローレンス、お前の立てた作戦のせいで、とんでもない目にあったが」
「おや、なかなかいい感じに収まったと思っていますが」
マドカはとにかく必死だったからわからないが、あれはいい感じだったのだろうか。
ローレンスはわざとらしく眉間に指を当てると、軽く頭を振った。
「たださすがに、陛下の上にあんなに優雅に腰掛けるとは思いませんでした。さすがは王宮に巣食う魔女マデリーン様です」
「まあ確かに、さすがはマデリーンだな」
「ええっ、陛下がそうしろって視線で合図したからですよ」
そんな合図あったかなと思いながらもマドカは言い訳する。案の定ヴィンセントからすぐに呆れたような言葉が返ってきた。
「するわけないだろ、いざという時に俺を動けなくしてどうするんだ、知っていた俺だってあれは慌てたぞ」
そうだったのか、マドカとしてはマデリーンなら座ると確信したから座ったのだが、確かに国王の背中の上に座るとは不敬どころではない。
マデリーンは功労者ではないのか、やはり魔女は魔女なのだろう。今から謝罪しても許されるだろうか、そう思ってわずかに肩を落としていると、ヴィンセントの腕が優しくマドカの肩を包み引き寄せられた。
「よくやってくれたマデリーン、ありがとう」
額を肩に押し付けるようにして言われ、どきどきと心臓が高鳴り始める。
くすりと笑うのがわかった。思わずそちらのほうを見ると、ヴィンセントがすぐ近くで優しく笑っているのがわかる。
「そうですよ、マデリーンは嘘つきで嫌な女ですけど、やれる時もあるんです」
「まあ嘘つきといっても、当たっていることもある」
「なっ、なんでしょうか?」
「もう俺を手に入れている、というところだ」
そう告げてヴィンセントはマドカの手を取ると、その手に唇を寄せようとした。
マドカは思わず素早い動きで手を引く。
拗ねるような蒼い瞳は、すぐ近くでマドカを覗き込むようにして見ていたが、マドカの琥珀の瞳がその中に映ると楽しそうに変わった。
「違うのか?」
「違いますっ」
くすくすと笑うヴィンセントに、思わずそう返したが、マドカ自身なにが違うのかなにが嘘なのかよくわからない。
ただ化粧を落としてしまった以上、きっと真っ赤になっているのは見えているだろう。さきほど扇も捨ててしまって見つからない。
どうしようと思いながら、うろうろと視線を彷徨わせるしかなかった。
それから数日経ち、マドカはヴィンセントに呼び出された。あの東の庭園に面して設てあるテラスには、茶と菓子が用意されている。
トレサとローレンスは、どちらが茶会の給仕をするかで揉めていた。トレサはともかく、ローレンスは茶会の参加者でもおかしくない立場なのに、なにに拘っているのかまったくわからない。
「いただきます」
そう宣言すると、出された焼き菓子を口に入れる。サクサクとした生地には蜜漬けの果実が乗っていて、心地良い甘さと食感がたまらない。
「おいしーい、やっぱりフレデリクさんの蜜漬けは焼き菓子にもあうと思ったのよね、さすがのオスカーさんもいい仕事だわ」
マデリーンの姿なのも忘れそうになりながら表情を綻ばせる。
茶を飲みながらヴィンセントがじろりと睨むのが見えた。聞き慣れない男の名前が二人も出てきたのが許せないのだ。
思わず知らないとばかりに視線を逸らし、残った菓子を口に入れる。なにせこんなに美味しいので仕方がない。
名前が出たからかヴィンセントの鋭い視線をそらすためか、ローレンスが報告するように話題を持ち出した。
「水汲みの作業夫も、厨房の料理人もその後の体調にも問題はないようです」
「ああ、どちらも水場の近くでグラントの持ち込んだ薬品の実験台にされたようだ」
「毒といっても、眠りと痺れが軽く起こる程度だったんですよね」
魔術院が薬品を調べたところ、すぐに致死薬ではないことがわかった。しかも瓶のすべてを水源に入れたとしても、ある程度の水量があって薄まるので効果はほとんど見られないだろうという見識も出たのだ。
「まあ薄まるっていうのは、よく考えれば当たり前といえばそうですけど」
「しかし万が一致死毒であった場合を考えると、そこまで楽観は出来ないな」
数日経ってオスカーも厨房に戻ったと聞いている。さっそく作ってくれた焼き菓子が、いま茶会に出されているそれらしい。
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