第28話 元王妃は裏切りの要

 打ち合わせを済ませたヴィンセントは、足早に水場へと戻った。マデリーンはその少し後ろを、声が聞こえるように着いていく。


「ようやくお戻りですか陛下、水は諦めて逃げるのかと思っておりました」

「挑発に乗るつもりはない。どうだグラント、少しは頭が冷えたか」


 睨むように返すヴィンセントに対し、グランドは鼻で笑うような態度を見せた。どうも反省したという雰囲気はない。


「ひとつ聞く、鍵の力で扉を開けてどうするつもりだ」

「それを陛下にお話しする必要は感じません」


「いいかグラント、扉の力はお前が思うようなものじゃな」


 ヴィンセントがグラントを説得するために、右足を一歩出した時だった。

 バチバチと音がしそうな速さで閃光が走った。


 閃光はヴィンセントへぐるぐると巻き付いたところで光が一気に弾ける。


「なっ」

「ぐっ、マデリーッ」


 呻くようにヴィンセントが呼ぶと、睨むような蒼い瞳の奥に僅かな心配が浮かんでいるのが見えた。


 そのヴィンセントの瞳を冷ややかに見下ろしながら、マデリーンはゆっくりと現れると水場へと近付いた。

 光が残る指先を穢らわしいとばかりに振るう。閃光が走り、倒れたままのヴィンセントは動かない。

 我に返ったグラントが、慌てて毒入りの瓶を翳し、マデリーンを脅しにかかる。


「なっ、マデリーン貴様なにを!」


「なにもしていないわ、話しやすいように少し寝てもらっただけ」


 そうして指先を示すようにすると、その先には閃光がちらちらと光る。

 マデリーンはゆっくりと歩いてくると、倒れているヴィンセントの背の上に腰掛けた。

 そうして琥珀の瞳で妖艶にグラントを見上げる。


「グラント侯、あなたの話にはとっても興味があるの」


「……なんだと」

「わたくしと貴方が欲しいもの、一緒じゃないかと思うわ」


 グラントは返事をしない。おそらく警戒しているのだろう。構わずマデリーンはなるべく猫撫で声で誘うように話を続ける。


「あら? ご存知だと思っていたわ、わたくしが以前からずっと苦労して仕込んでいたこと、もう少しでうまくいくところなのに、貴方が余計なことをなさるから」


 マデリーンは腰掛けた体制のまま、優雅にグラントへと手を差し伸べる。

 ここでフラフラ近付いて来たら簡単なのだが、頭の硬い騎士はそこまで甘くない。


「でもまだ修正は効く、どう? 貴方わたくしの下僕にならない?」

「マデリーン貴様っ!」

「下僕はお嫌? でも、助かるかどうかはわたくしに掛かっているの」


 しかしここまでの話で、グラントの気は十分引いている。


「こんなところで脅したって、うまくいくわけはない、そうでしょう。だったらわたくしと手を組まないかと言っているの」


「陛下に手を下す魔女のような女にか」


 こんな場所に毒を持ち込んで立てこもっているのに騎士として染み付いた性なのか、グラントはヴィンセントのことはまだ僅かながら敬って呼ぶ。


「大丈夫、起きた頃には忘れているわ、そういう術なのよ」


「魔女め」


 吐き捨てるように言われたが、マデリーンはありがとうといわんばかりの笑顔を浮かべてグラントを見上げる。

 暗い色をしているグラントの目はまだ真っ直ぐに揺るがないし、蓋の開いた毒の瓶はいまだ水源の上にある。


「お前に従ったからといって、陛下が素直に鍵を開くことはないだろう」


「開くわ、陛下はもうわたくしのものだもの」


 うっとりと喋りながらマデリーンは爪先でヴィンセントの首元を撫でる。

 それを見ていたグラントの眉が寄った。


「そうは思えんな」

「あらどうして?」

「陛下が若い侍女をしきりに気になさっていることは、噂にもなっている。マデリーン、お前ではない」


 その言葉を聞いた途端、マデリーンは高笑いを始めた。


「なにがおかしい」

「もう本当に、みんな欲深い馬鹿ばっかり」


 マデリーンは濃い赤で引いた口元を態とらしく引き上げ、笑う。

 そうして持っていた扇を放り出すと、袖口から小さな袋を出した。


「陛下がわたくしのものだって分かったら、納得するかしら」

「どういうことだ」

「特別よ、貴方はわたくしの同志になるべき存在だから」


 その小さな袋には、化粧落とし用の香油を浸した布などが入っている。

 持ち歩きは普段考えていないからぶっつけ本番だが、なんとかなるだろう。


 袋から次々出した布で、丁寧に化粧を拭っていく。マデリーンは花を散らすように、小さな布を一枚ずつ地に落とす。


 鏡を見るわけにはいかないので、化粧がうまく落ちているかは分からない。あと大事な付けまつ毛はさりげなく布に挟んで袋の中に放り込んだ。これだけは他の布と一緒に捨てられでもしたら困る。


 こんな状況なのに、そんなところを気にしている自分に呆れて笑いたくなる。

 その笑いをどう受け取ったのか、グラントの表情が変わったのが見えた。


 さすがに目の前で落として見せれば、グラントだってその素顔に気が付くだろう。

 全ての布を使いきって床に落とすと、マデリーンは若い侍女と同じ顔でグラントに笑いかけた。


「き、貴様はっ」


「ねえ、わかったでしょう、もう陛下は手に入っているの、この国はわたくしのもの」


「侍女として、陛下の……」


「あら、わたくしはなにもしていないわ。でもとてもうまくいっている、それだけ」


 猫撫で声はあくまでマデリーンの声で、誘うように再び手を差し伸べた。


「ねえ、もう一度提案するわ、わたくしと手を組まない? グラント侯爵」


 グラントはちらりと倒れているヴィンセントを見てから、ゆっくりと差し伸べたマデリーンの手のほうへふらりと一歩足を動かした。


「なるほど、なにも知らない陛下は、魔女もとい侍女殿の手の中というわけですか」


 あともう一歩こっちに来い。そう思いながらマドカはマデリーンらしい動きで立ち上がった。一応悪い女の顔を心掛けているが、慣れない素顔なので表情が作れているかまったくわからない。


「いいだろう、貴方の側につこうマデリーン」

「ありがとう、グラント侯」


 よーうやく、引っ掛かりましたーっ!


 マドカは心の中で叫ぶ。さっきから心の中では、とんでもない作戦を立てたローレンスに恨みつらみを何度も繰り返していた。


「ああでもひとつ、大切なことがあるの」

「いったいなんだ?」


 グラントの手がしっかり水源の上から離れたのを視界の端に捉えて、マドカは笑顔を浮かべた。


「わたしが明かりの魔術しか使えないことも含めて、陛下は知っているわっ!」


 そう告げると、目一杯の力を込めて、グラントの目の前で光を瞬かせた。


「ぐっ、貴様っ!」


 明かりの魔術だけしか使えないとしても、目の前で炸裂させれば目眩しで動けなくさせることは出来る。

 そしてその瞬間を狙っていたのは、マドカではない。

 それまで倒れていたヴィンセントは、寝転がった体勢から長い足を振るうように動かして、グラントの足を一気に払った。


「っ!」

「陛下、毒瓶がっ!」


 いかに水源の上ではないといっても地面にぶちまけられて染み込んでは大変なことになる。

 この状態でグラントに飛び掛かってもマドカでは明らかに足手まといなので、マドカはその場から飛び退きながら叫ぶ。


 ヴィンセントはグラントの足を払った勢いのまま一気に起き上がると、そのままグラントの瓶を持つ手を掴み上げた。そこから体を落とすようにして拘束しようとする。

 抗おうとするグラントが体を揺らすのに合わせて、瓶が揺れた。

 ヴィンセントが叫んだ。


「マドカッ、瓶の蓋だ!」


「蓋っ、そうだ蓋っ」


 そういえば似たような大きさの瓶の蓋を用意していた。

 マドカはあたふたと瓶の蓋を出すと、ヴィンセントが掴み上げているグラントの持つ瓶に押し込む。なんとか蓋がぴったり嵌ると、ヴィンセントはそのまま瓶を強引にグラントの手から引き剥がした。


「っ! マドカ下がれ!」


 そう叫んだヴィンセントが強く弾き飛ばされた。

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