第6話 王からの誘いごと

「ひとつ頼まれてはくれないか」

「わたしにできることですか? なんでしょう」


 どうして侍女と会えるかどうかを気にするのだろう。そう思っていたが、ヴィンセントにはなにか本題のようなものがあるようだ。


「マデリーンを晩餐に招きたいと思っている、君から伝えられないか?」

「晩餐っ!」


 思わず、ヒエッと叫び声が出そうになった。


 国王陛下との晩餐の席につくなんて、碌なことがないに決まっている。二人きりというわけにもいかないだろう。


 さっきだって署名のことを咎めたりしていたのに、どうして一緒に食事などという発想になるのか。まったくわからない。

 マドカはぶんぶんと首を左右に振った。咄嗟のことで、不敬など気にしていられない。


「無理です、無理無理むり」

「やはり難しいか。ただ聞く所によると、父上が亡くなってから、彼女はずっと一人で食事をしていると聞く。夜会にも出てこないし、夜はいるのかさえ怪しいくらい静まり返っている」


 ヴィンセントはマドカから視線を外すと、マデリーンの部屋のある方角を眺めた。部屋はいくつもの壁を越えた先なので、見透かせるわけない。

 整った横顔からは、考えはわからないが、マデリーンを悪く考えているわけではないように見えた。


「俺は父上の考えもわからず、反発し離れるしかなかった。それでも彼女は父が愛した女性だ。俺の知らない父も知っているだろうし、きちんと話がしたい」

「でも、マデリーン様は、応じないと思います」

「頼んでみることもできないか?」


 ヴィンセントはわずかに首を傾けて、強請るように視線を向けている。光の玉に照らされている銀の髪が、わずかに揺れた。

 マドカは口を引き結んで首を左右に振る。整った顔立ちでの強請る仕草は、狙ってやっているのか無意識なのか、おそらくそのどちらもだろう。


「正式な手順で、申し入れはするが、その時になんらか言葉を添えてくれ」


「お受けにならないと思ってください」


 国王陛下と食事をするならば、おそらく場所は王宮の食堂だろう。国王の食事はそこか自室に限られる。

 食べることは大好きだ。しかし応じられない。


「マデリーン様は嫌なのです。ヴィクトル陛下のおられない食堂での晩餐が、苦手です」

「そうか、散々距離を置いていて、今更話が聞きたいなど都合が良すぎるな」


 ヴィンセントはそう言って夜空を眺めている。その姿がなんだかとても寂しそうに見えるから、少しなら話をしてもいいかと思ってしまう。


「王妃として城に入ったばかりの頃、食事にも慣れなくて、マデリーン様は閉じこもっていました。だから陛下はどんなに政務で多忙でも、向かい合って食事をしてくださった」

「二人本当に仲が良かったと聞いた、べた惚れだったらしいな」

「そう、ですね」


 後に続く言葉がうまく出てこない。ヴィクトルがどれだけ優しくて、妃であるリファナを愛していたかをマドカは知っている。それでも彼はマドカのためにと最期まで一緒にいてくれた。

 ヴィクトルは賢王ではあったが、優しすぎたのだと思う。

 だからヴィンセントは聞かされていないしなにも知らない。


「……少しくらいなら」

「なにか言ったか?」


 きちんと話を聞いてくれるなら、少しくらいなら話をしてもいいのではないか。元々、国王であるヴィンセントにはいつか話すつもりだ。


「わたしの言葉を聞いてくださるかはわかりませんが、晩餐の件はお伝えします」

「ありがとう、よろしく頼む」


 マドカがはっきりと答えると、ヴィンセントは目を細めて安堵の表情を浮かべた。

 国王陛下という立場なのに、わざわざ侍女に礼を言うなんてどうかしている。


「そういうところ、やっぱり似ています」

「もしやそれは……」


 ヴィンセントが思わず伸ばしかけた手をさり気なく避け、マドカは一歩下がったところで丁寧に礼をした。


「それでは陛下、失礼致します」


 先に退席するのは不敬であろうが、このままここにいては余計なことを喋ってしまう。それはどうしても避けたかった。


「……ありがとう、おやすみ」


 引き止められる可能性も考えたが、ヴィンセントは穏やかに笑ってそう告げた。


 マドカは足早にその場から離れた。相手は国王なのだから、ひょっとしたらマドカが気付いていないだけで、護衛くらいは付いていたかもしれない。そうは思うが、この場を誰かに見られるわけにはいかなかった。


「嬉しいだなんて、どうしたのかしら」


 心はどこか温かに感じられる。マデリーンから解放されるのが今の望みだったはずなのに、もう少しやれるかもしれない。

 まったくもっておかしな状況になってしまったが、何故楽しいのだろう。


 中庭で聞いた通り、数日後マデリーン宛にヴィンセント国王から非公式ではあるが、晩餐の誘いが届けられた。


「どうしようー! でも行くかもしれないって言っちゃったし、誘ったけど断ったってことにすることもできるけれど、相手はなんといっても国王陛下だし?」


 マドカはマデリーンの姿のままで、部屋の中を右往左往していた。

 断ることも出来るが、そんなことをすれば湖畔の離宮で穏やかに暮らす、という望みは遠ざかる。


 マデリーンといえば、味方もいない。こういうとき、本音を話せる腹心の侍女くらいいたらいいのに、その立場を担っているのはマドカになる。同時に一人二役は出来るわけがない。

 魔術でも使えれば別だが、生憎出来る魔術といえば、少し光らせるくらいなのだ。

 そもそも二人に増える魔術など、見たことも聞いたこともない。


 頭を抱えて唸っていると、部屋の扉が控えめに叩かれる音がした。慣れたマドカは咄嗟にでも、マデリーンらしく声を出す。


「なあに?」

「マデリーン様、陛下の使いの者がいらしてます、返事を頂きたいと」


 扉の向こうから声が聞こえた。ずかずか入って来ないのはありがたいが、返事をするまで動かなそうな気配に、マドカはそっと肩を落とした。

 立ち話というわけにもいかないだろう。部屋を別に用意するように命じてから、マドカは扇を探し始めた。


 用意された部屋に入り、奥に座る人物を見たマデリーンは、それだけで引き返したくなった。落としそうになった扇を、慌てて握り直す。


「邪魔しているよ、マデリーン」

「ヴィンセント王は随分とお暇なのですこと」


 それでも嫌味をひとつ言えたのだから、マデリーンはえらいと内心で自賛する。

 なんとヴィンセント自ら、返事を聞くためにやって来たのだ。後ろにはしっかりと、ローレンスとアランが控えている。


 晩餐への誘いが、そんなに勢揃いで来るくらい重要なことなのか。


 気は抜けないし面倒な予感しかしない。引き攣りそうになった表情を扇で隠し、とりあえず促された席へ着く。


 ヴィンセントはさりげなくだが、部屋へと視線を巡らせている。

 そしてひと巡りした視線をマデリーンに向けると、いきなり訊ねてきた。


「その、今日は侍女を連れていないのか?」

「侍女?」


 マデリーンは基本的に侍女を連れていない。マドカと同時に存在できないから無理なのだ。


「濃い髪色の若い侍女だ、君に仕えているだろう」


 マドカ以外にそんな侍女はいたかしら。今度はマデリーンが視線と一緒に思考もひと巡りさせる。

 しかしマドカ以外に思い当たる者なんていなかった。

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