第7話 王は侍女に恋している
そもそも王宮でマデリーンに近い場所を担当している侍女は、前王ヴィクトルの頃からいる古参ばかりでほとんど壮年だ。
それにマドカなら中庭で話をしたから面識もある。
まさかと思いつつ、からかうように話題に出す。
「ふうん、ヴィンセント王はあんな田舎らしい娘が好みなのね」
「そっ! いや、まあ、そうだが」
「は?」
そんなに正直に肯定されるとは思わなかった。
いや、まさか、そんなまさか。
しかしヴィンセントを見ると、逸らした耳はほんのり赤くなっている。
呆気に取られていると、ヴィンセントはマデリーンに向き直り、捲し立てるように話し始めた。
「身分などはあるが、きちんと交際から申し込めればと考えている、もちろん正妃になってもらいたい、中途半端なことは考えていない!」
「ええと、本気?」
「もちろんだ、協力してくれないか、マデリーン!」
必死な様子からは、なにか意図があって演技をしているようには見えない。ちらりとローレンスに視線を向けると、困ったように肩を持ち上げたのが見えた。おそらくなんらか説得したが、諦めなかったのだろう。
思わずくらりと目が眩みそうになるが、そこは生半可にマデリーンを続けてはいない。指で軽くこめかみを押して心を整え、小さな声で呟く。
「おかしいな、どうしてこうなったのかしら」
しかしまだマドカだと確定していない。ひょっとしたら、独身で壮年の誰かということも有り得るかもしれない。さっき若い侍女って言ったけど。
「一目惚れなんだ、どうにかマドカとの橋渡しをしてくれないか」
「ひとめぼれ……!」
流石のマデリーンも、顔に熱が集まっていくのを感じた。
マデリーンは扇をひらりと動かして、落ち着くように深呼吸する。
「急に晩餐だなんて、おかしいと思ったのよ」
「なんだ?」
「いいえっ」
慌ててどうでもいいと言わんばかりの表情と声を作り出す。
「国王ともあろう御方が、なんと夢見がちなことを、賛成はしかねるわ」
こんな状況でなければ、王であるヴィンセントから熱烈アプローチを受けて交際が始まる。そんな可能性があったかもしれない。
しかしマドカがマデリーンである以上、それはあり得ないだろう。そのことを知れば、ヴィンセントの心は離れるに決まっている。
「いきなり切り出す話ではなかったとは思っている」
「まさか、それだけの用件なのかしら」
「晩餐の返事も聞きたい」
「……この流れで、是非喜んでと言うとでも?」
元から断るつもりだったが、少しくらいならと心は動いていたのだ。
しかしヴィンセントの心がマドカにあると分かったら、もう良い返事はしづらい。
王宮を立ち去る前に、事態をややこしくするつもりはない。あと残っている筋書きは、憎まれた前王妃が去るだけなのに。
それまで静かに佇んでいたローレンスが口を挟んだのはその時だ。
「でしたら、茶会というのはどうでしょうか? ちょうど新茶が出回る季節です」
「貴方も、そんなにわたくしの気を惹きたいのかしら?」
「そうですよ、主君の恋のためにもご協力頂きたい、なにしろ可愛らしい娘さんだと聞きましたからね」
可愛らしいなどと言われているのかと、なんだか照れる気持ちも湧く。
しかしならば尚更、マドカのときにローレンスにだけは会わないようにしようと心に決めた。
「……わかりました。軽食と新茶くらいなら、誘いをお受けするわ」
「ありがとう、マデリーン」
ヴィンセントに礼を言われる筋合いはないが、この場は素直に受け取っておく。
「東の庭園はちょうど花が見頃だわ、場所を設けてくださる? リファナ様も好きだったラガラの花が咲くあそこよ」
ラガラの花は蕾も大きく花開くと本当に見事で美しい光景になる。
それは前正妃であるリファナの故郷の花で、手入れが特に難しい。それでも毎年咲かせているのは、庭師と肥料開発している魔術院の努力の賜物なのだ。
「母上が? マデリーン、君は俺の母上のことも知っているのか?」
「貴方こそ、なにも知らないのね」
嫌味のつもりではなかったが、つい刺々しい言葉になってしまう。
図星だと感じたのか、ヴィンセントは口を引き結んで黙った。
「都合が付いたら知らせをちょうだい、楽しみにしていますわ」
態とらしい猫撫で声を付け加えておく。ピンと背を正して立ち上がり、わざとらしく優雅な礼をした。ここまですれば良い気持ちなど逆に持たないだろう。
足早に部屋に戻ると、控えていた侍女に言い放つ。
「ひとりにしておいて」
「かしこまりました」
人払いをして部屋に入ると、勢いよく長椅子に倒れ込んだ。
「づがれだー!」
クッションに顔を埋めるようにしながら声を出すと、少しだけ気持ちが晴れた。
ごろりと体勢を変えると、天井を眺めながら先ほどの会話を思い出す。
「……一目惚れって、なによ」
少し話をしただけなのに、どうしてそんな風に感じてくれたのかよく分からない。
あの深い蒼色の瞳で見つめられたら、きっとそれだけで素敵な気持ちになったろう。
「でも中庭は、もう諦めなきゃな」
あの場所はお気に入りの場所だったけれど、行けばおそらくヴィンセントがいる。どんなに好意を向けられても、好きになるわけにはいかない。想いを返すことは出来ないのだ。
「わたしがマデリーンじゃなかったなら、違っていたのかな」
ヴィクトルは亡くなっているとはいえ、マデリーンは前王妃だ。歴史にそこまで詳しくないし、そういうことが有り得るということだってなんとなく分かる。しかし有り得ないだろう。
ヴィンセントが王位につくまで、そう思ってマデリーンとして振る舞い続けてきた。好意を踏みにじり、傲慢を通してきたつもりだ。
どう考えたって、ヴィンセントの好意を受け取っていい立場じゃない。
「悩んだって仕方ない、少し働こう」
声に勢いを起き上がると、まずはいつもの通り化粧を落としに向かう。少し早いけれど、今日はもうマデリーンは終了だ。
専用の香油を使って化粧を丁寧に拭き取り、それから目一杯泡立てた石鹸で顔を洗う。何度も水を掬っては掛けることを繰り返し、泡を落としていく。心までもがすっきりする、マドカが大好きな時間だ。
洗顔が終わったら、丁寧に化粧水で整えていく。
髪もしっかり結い、マドカとしての侍女服に着替えると、マデリーンの部屋から侍女用の控えの間を経由して廊下に出た。
ただしなるべくヴィンセントの一派とは顔を合わせないように。そう気を配りながら、マドカは侍女としての仕事に没頭した。
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