第5話 侍女は王と再び出会う

 ヴィンセントが国王として即位し、新たな体制になったことで、マデリーンとしての面倒ごとは一切が終わっている。そのはずなのに、心休まる日々はいつになるのかわからない。


 もうそろそろ部屋に帰って休みたい。


 マドカは心からそう思って、そっと息を吐いた。

 また息を吸い込むタイミングで、扉が激しく叩かれる音が響いた。


「お待たせしました! マデリーン様、入ってもよろしいでしょうか?」


 扉の向こうで大きな声を出しているのは、さっき出て行ったディアンだ。

 良いタイミングで戻ってきた男に感謝しながら、マデリーンはスカートを翻した。


「それではヴィンセント王、わたくしは下がらせてもらいます」

「話を聞けるのは今となっては貴女だけだ。俺は諦めるつもりはない」


 ヴィンセントは真剣な表情を浮かべると、マデリーンに言った。そんな宣戦布告、受け取るつもりはない。だから敢えて聞こえない振りをした。

 その代わり、身を翻して入口の扉へと向かうと、閉まっている扉を指で示す。


「これは案外使える小豚ですから、掃除には役立ちます」


 言いながら扉を開けると、そこにはディアンが立っていた。もう一度扉を叩こうとしていたらしく、拳を振り上げた状態で止まっている。


「あっ、マデリーン様! 僕は一体どうし、マデ……」


 声を掛けようとするディアンを無視して脇を通り抜け、マデリーンは執務室から出た。

 なにか言いたそうなヴィンセントの視線が、背中に突き刺さってくる。あと少しで姿が見えなくなるところで、もう一度だけ振り返ると、マデリーンは優雅に笑って見せた。

 マデリーンでなかったらなら、彼との関係はもっと変わっていたのかもしれない。

 鋭い視線でこちらを見るヴィンセントから逃げるように、マドカは歩き始めた。



 マデリーンの自室は、王宮内でも奥のほうにある。その部屋は王の妃となる者のための部屋だったが、もう長くマデリーンの部屋だ。


「おかえりなさいませ、マデリーン様」

「しばらく誰も入れないで」

「かしこまりました」


 丁寧に礼をするトレサをその場に残し、部屋に入ると鍵を掛けた。

 面倒な展開の連続で、疲れしか感じられない。長椅子の側まで行くと、そこに勢いよく倒れ込む。


「つかれたー! もうなんなのよ、わたしは静かに暮らしたいだけなの!」


 署名のことなど過去に罪があるというのなら、厄介ごととして追放でもなんでもすればいい。そう思っているのは此方だけなのか。


「ほんと、ヴィンセント王ったらなにがしたいのかしら」


 最後に言われた言葉が気になる。ごろりと仰向けになると、天井を見ながら、さっきの会話を順に思い出していく。


「咄嗟とはいえ、署名はやらかしだったわ」


 ディアンが焦っていたから、つい応じてしまったが、あそこでマデリーンが筆を取る必要はなかった。拒んでもローレンスがなんとか出来ただろう。


 それから最後に言われた言葉も気になる。

 受け取りはしなかったが、おそらく諦めるようなヴィンセントではなさそうだ。


「叔父様ときちんと話をしなかった癖に、今更聞きたがるなんて、なんなの」


 目を閉じるとそのまま眠りそうになる。眠るならば、化粧を落としてからにしないと。

 そう思っても、マドカは長椅子に寝転がって微睡んでいた。


 我に返ったのはどれくらい経っていたろうか。


「やばっ、寝てしまっていたわ!」


 勢いよく起き上がると、化粧を落としに向かう。こんな時は、もうマデリーンはやめだ。今日はもうこれからは、マドカとして行動しようと決める。


 どんなに厚く化粧をしていても、落とす時は慣れたものだ。ただし手入れに手は抜かず、丁寧に洗い流す。

 たっぷり時間をかけて、侍女の服に着替えて髪を結うと、心まですっきりと軽くなった。


「もうすっかり暗くなっているじゃない」


 調理場のオスカーの所に食事を確かめに行こうとも考えた。

 だが、マドカの足は自然に王宮の最奥にある庭園へと向かっていた。


「良かった、陛下はいないみたい」


 庭園は、変わらず静かで落ち着いた場所だった。ヴィンセントはまだ仕事をしているのだろう。

 ディアンを置いてきたのは正解だったかもしれない。

 そう思いながら、マドカは呟くように唱える。


「光よ、我がもとに」


 唱えなくとも術は使えるのだが、マドカは唱えられる時はその言葉を口にする。

 そのほうが集まってくれる光の力が、身近な存在として感じられるからだ。


 周囲に光をいくつも浮かべると、その真ん中でマドカはやはり座り込む。

 こんな風に黙って座っていると、かつてはヴィクトルがやって来て声を掛けてくれた。どんなに体調を崩していても、時間を掛けてこの庭園まで迎えに来てくれ、温かく笑ってくれる。そんな時間が大好きだった。


「こんばんは、そんなところで落とし物かい?」


 聞こえた声は幻聴だろう。そう思っても、マドカはついつい振り返っていた。そこには誰もいないとわかっているのに、ヴィクトルが立ってくれているような気がしたから。


「やあ、君はマドカといったな、また会ってしまった」

「ヴィンセント、陛下っ」


 そこに立っていたのは、ヴィンセント王だった。


 まさか二度目はないだろうと思っていたのに。なんとも気まずいタイミングで会ってしまった。


「この光は、君がやっているのか?」

「ええと、違いますけどそうです」


 間違いなくマドカの術なのだが、魔術が使えることをあまり言いたくなくて、曖昧に誤魔化した。ヴィンセントは興味深そうに光を突いている。

 その間に慌てて姿勢を正そうとあたふた立つ。


「魔術の素養があるのに、王宮勤めで甘んじているなんて珍しいな」

「ええと、魔術院とかですか? そこまでの術ではないですし、気が進みません」

「ああ、その選択肢は確かにないな」


 魔術院には、化粧品の開発などマデリーンとしては大きく世話になっている。しかし魔術については相談したことがない。

 マドカにはその分野で才能を伸ばすつもりなどないし、そもそも魔術といっても、出来るのは少し光らせるくらいだから。


「余計なことを言ったな、魔術のことも口外しない」

「ありがとうございます」


 あまり触れられたくないが、なにせ相手が国王なので困る。しかしヴィンセントもそれを察したらしく、さらりと話を終わらせてくれた。


「あれからここに来ることはなかったろう、俺のせいで気を遣わせてしまったのかと、そう思っていた」

「うえっ、そんなことありません」


 驚きのあまり、マドカはおかしなところから声が出た。ヴィンセントの言葉はまるで、あれから何度かここに来ては、マドカがいないか気にしていたように聞こえる。

 一介の侍女に一体どういうつもりか。


 マデリーンとの関係を察しているわけではないが、なんだか複雑な展開になってきてしまった。


「マドカは、君の主人と話すことはあるのか?」

「そうですね、他の人よりはよく、知っていると思います」


 そうか、とヴィンセントは大きく頷く。

 見上げると、蒼色の瞳と視線が合った。

 本来なら目を合わせることだって出来ない筈なのに、彼は全く気にしていない。真っ直ぐにマドカを見据える瞳は、とても力強く綺麗だ。

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