第2話 侍女は王と出会う

 調理場へこっそり行くと、鍋を振っていた調理担当はすぐに気付いて振り返ってくれる。


「マドカちゃんお疲れ様、またマデリーン様に虐められたろう」

「ふふふ、慣れていますしへっちゃらですよ、ありがとうございますオスカーさん」


 調理場のオスカーは、マデリーンの食事も担当している。作ったものは当然毒味を通されるが、嫌な顔せずマデリーンに美味しい食事を提供してくれる貴重な人だ。


「そういえば、マドカちゃんはどうするつもりだい?」

「なにがですか」


 並んでいく美味しそうな料理は見ているだけで心が癒される。

 そう思って調理台を眺めていたマドカは、オスカーに訊ねられて目を瞬かせた。


「なにがって、マデリーン様が近々王城から出られるとき、ついていくつもりじゃないだろ」

「ああ、そのことですか」


 本当はマドカがマデリーンなのでついていくもなにもないのだが、オスカーはそのあたりの事情を知らない。気のいい調理場の男は心配しているのだ。


「少しの間は、ついていくつもりです。でもすぐにお暇をもらってやりたいことを見つけようかなって」

「城に残れるように、俺からも言おうかい」


 調理場を預かっているだけあり、オスカーはこの城で働く者に顔が広い。彼がそう言うのなら本当にマドカの働き口を見つけてくるだろう。


「いいえ、わたしはマデリーン様付きの侍女ですから」


 そこまで悪い人じゃあないです。そう擁護しても、積み重なったマデリーンの悪評は覆らない。


「ああ、でも」

「なんだい?」

「マデリーン様に追い出されて困ったら、頼るかもしれません。その時はよろしくお願いします」


 こう言っておけば、いざとなった時にどこかしら働く伝手ができる。

 あくまで明るく笑うマドカに、オスカーや聞いていた調理場担当たちは、どうしてこんなに良い子があの王妃付きなんだと呟いた。


 マデリーンは誰かと共に食事することはない。公務以外は侍女が一人付くだけ、つまりマドカが食べて済ませている。

 ヴィクトルがいた頃は、一緒に食事することもあった。それよりもっと前は他にもいたけど、もう昔過ぎて思い出せない。


 侍女としてマデリーンの身の回りの世話をする振りをしながら、マドカは王城の一番奥に向かった。

 そこはマドカが大好きな思い出の場所だ。


「ヴィクトル叔父様のお庭、あと何回こられるだろう」


 手入れの行き届いた中庭は、マデリーンとしてもマドカとしても、よく訪れていた。

 滅多に人が来ることはないが、庭師は丁寧に手入れをしてくれている。夜に訪れても、静かな庭はマドカを優しく迎えてくれた。


「光よ、我がもとに」


 唱えて手元に集中を込めると、そこに淡い光が生まれた。

 魔術を扱えるものはこの国でも珍しいが、マドカはそれが使える。といっても使えるのは、この手元を少し照らす魔術くらいなのだが。


 作り出したいくつかの光を周囲に浮かべると、マドカはその場にしゃがみ込んだ。白い光に照らされた花は、昼間とはまた違った色に見える。


「ヴィンセント王、この庭のこと大事にしてくれるといいけれど」

「俺がどうかしたのか?」

「えっ!」


 背後から急に声が聞こえてきて、マドカはギクリと肩を震わせて振り返った。


「ヴィ、ヴィンセント陛下! ももも申し訳ございません、わたしは、その」

「すまない、驚かすつもりはなかった」


 マデリーンとしてならまだしも、今のマドカはあきらからに侍女だ。慌てて立ち上がったが、それよりも膝をついたほうがいいのか慌てすぎてうまく動けない。


「ああ、待ってくれ、そんなに慌てなくていい、俺を知るならなおさらだ」

「はい、陛下」


「君は王城に勤める侍女か、初めて顔を合わせると思うが、ここにいるならば付いているのは」

「マデリーン、様です」


 恐るおそる答えて見上げると、ヴィンセントが息をのんでいた。しばらく気まずい時間が流れる。

 気付かれないためにも、一刻も早くこの場を立ち去らなければならない。


「それでは、わたしはこれで失礼しま……」

「少し話をしないか。ええと名は?」


 マドカの背中に汗が流れる。ここで下手に隠しても、マデリーン付きの侍女ともなればすぐにわかってしまう。しかしヴィンセントとは先ほどマデリーンとして会ったばかり、ここで悟られたくない。


「マドカといいます。普段は、マデリーン様の身の回りのお世話をしております」

「そうか、俺のことは見知っているようだな」

「はい、この王城に勤めるならまず覚えます」

「そうだな、それもそうだ」


 ヴィンセントがふわりと笑った。

 精悍で厳しそうな印象があったのに、笑顔は優しさに満ちている。侍女に対して見せるなんてもったいない。

 そう思いながら、マドカはヴィンセントの顔をそっと見た。


 銀の髪は光にきらきらと照らされ、それ自体が輝いているように見える。高い鼻筋と、左右絶妙に整ったバランスで配置されている瞳は、澄んだ蒼色だ。

 背はすらりと高く、しなやかでしっかりとした体躯をしている。即位前は騎士団にいたと聞くから、今でも鍛錬を怠っていないのだろう。


 そのまま見惚れそうになり、マドカは表情を見取られまいと俯いた。


「へ、陛下はお散歩でしょうか」

「まあな、今までどれだけ気楽な暮らしをしていたか、感謝さえ感じる。急に王の寝室だと言われても、慣れないものだ」

「えっとお掃除は、きちんとしておりますよ」


 王城に勤める者は心構えが揃っている者ばかりだ。新たな王のため、寝室も他の部屋も全て誇りをもって手入れをしている。


 マドカとしては安心して欲しくてそう伝えたのだが、ヴィンセントに声を出して笑われてしまった。


「ははは、それはよく知っている。俺は王になる前は騎士団にいたが、特別扱いされていると思っていたし、それが不服でもあった。しかし今の生活に比べると俺も周囲も甘かったのだな」

「国王陛下でいるのは、いやですか?」


 じっとヴィンセントを見上げ思わず聞いてしまった。ただなんとなくわかる気はする。マドカとて自分で選んだとはいえ、好きでマデリーンを演じていたわけではない。


「いいや、執務はやりがいもあるし知ることにも楽しみを感じる。なによりこの国が好きだ」

「よかった、でもどうか陛下の幸せのために生きてください」

「え?」


 ヴィクトルが護り好きだったこの国を、同じように好きでいてくれる。そんな嬉しさから、マドカは思わず笑顔を浮かべていた。


「その言葉は。いやしかし、君はマデリーン付きの侍女だったな」

「あー、ええと、わ、わたしそろそろ戻らないと叱られますので!」


 なにか失言したかも。ヴィンセントの表情からなんとなく読み取ると、マドカはスカートを軽く摘んで礼をした。これ以上ここにいれば余計なことを言ってしまう。


「待ってくれ、もう少しッ」

「御前、失礼いたします、おやすみなさいませ陛下」


 引き止められる前に、マドカはさっとスカートを翻してその場を足早に去った。不敬でもなんでもいい、聞こえない振りをしてその場を離れる。


「どうしよう、なにか余計なこと言っちゃったかも、でもうん、きっとバレてないよね」


 小さな声で反省をしつつ、早歩きでマデリーンの部屋へ向かう。騎士だったといっても、ヴィンセント王は文武どちらにも秀でた人だと聞く。少しでも迂闊なことをすれば、疑いを持たれてしまうかもしれない。


「あと少し、絶対に乗りきらなくちゃ!」


 誰より幸せになる。その約束を守るために、マドカは今日出会ったヴィンセントのことは気にしないと決めた。

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