第3話 王からの呼び出し

 それからマドカはマデリーンとしてもヴィンセントをさりげなく避けた。しかしいくら待っても城から退去する手配はされない。

 先代の王の後妻である、傲慢な元王妃なんて、目障りなだけではないのか。


「どうなっているの! いつになったら離宮は用意されるの! わたくしを誰だと思っているの! こっちは出ていってやるって言っているのに! なーんて。はあ、もう言えること限られるし、困ったわ」


 それなりに賢い物言いはしたいと思っても、毎日放置されていると言葉が限られる。なにしろマデリーンにはなんの話も降りてこない。


 ヴィンセント王に出会ってしまって以来、最奥の中庭に行くのも避けている。放置されているマデリーンのことといい、マドカのもやもやした感情は溜まっていく。

 少しくらい不機嫌なほうがマデリーンを演じやすいのは、マドカとしては幸いだ。


「マデリーン様、ヴィンセント陛下がお呼びです」

「やっときたわね」


 不機嫌にも飽きていたころ、ようやく声が掛かった。


「すぐに用意させて行くと伝えて、マドカどこにいるの? グズグスしないで!」


 呼びかける振りをしながら、ゆっくりと立ち上がる。

 ヴィンセントに会うのは、マドカの時に中庭でばったり出くわして以来だ。バレないとは思うが、念には念を入れて化粧を直す。

 本来なら何人もの侍女が付いて身の回りの世話をするのだが、すべてマドカがしているという設定があるため支度はすべて己でする。


 少し濃いくらいの化粧できつめの印象になるよう整えると、マデリーンは扇を持って立ち上がった。


 部屋を出たところに控えていたのは、初めて会う青年二人だった。


「おはようございます、マデリーン様」

「見慣れない顔ね、貴方は?」


 侍女という顔も持っているので、周囲に仕える者の顔はほぼ覚えているが、二人には覚えがない。


「大変失礼致しました、私はローレンスと申します。こちらの騎士はアラン、お見知りおきください」

「それで、わたくしになんの用件で来たのかしら」


 女性らしくはないが美しいと形容できそうな顔立ちをしたローレンスが名乗ると、少し後ろに立っていた背が高く精悍な佇まいのアランがゆっくりと礼をした。


「ヴィンセント陛下の命により、お迎えにあがりました」

「ああ、そう」


 マデリーンは興味がない振りをして横柄に扇を振った。なんにしてもこれ以上接する人間は増やしたくない。


 見た目からして二人とも年はヴィンセントと近い。マデリーンの部屋のあるあたりまで立ち入ることを許されているので、即位したヴィンセントの近くで仕えているのだろう。


「前宰相サディアスの後任をつとめております」

「ふうん、そう。最近見ないと思ったら、翁はようやく辞めたのね」


 ローレンスの自己紹介に気のない返事をしながら、サディアスのことを思い出す。大抵のことをにこやかに笑ってやり過ごしていたが、まったく食えない老人だった。

 まだまだ元気だったので、これからもヴィンセントを支えるのだろうと思っていただけに意外だ。


 マドカはしんみりした心を悟られないようにローレンスを見た。宰相サディアスが譲り任せると判断した男だ、あまり気を抜かないほうがいいかもしれない。


 案の定、見定めるような視線がこちらへと向いている。

 マデリーンは敢えて挑発も兼ねて誘うような流し目を向けてやった。これだけ顔が良ければ、視線を勘違いして嫌悪の感情を見せるというのが経験則だ。

 わずかに表情は変わったが、それでもローレンスの表情は落ち着いたままだった。

 これは長く会話をしていると危険だと判断し、廊下の先を扇で示す。


「挨拶が済んだのなら早くして」

「ご案内します」


 こちらからは頼まれたって挨拶なんてしない。別にこの二人からマデリーンへの印象が悪くとも好都合しかない。

 案内された先は、やはり王の執務室だった。

 ローレンスは扉を二回叩くと、声を掛けた。


「失礼します陛下、マデリーン様をお連れしました」

「入ってくれ」


 中から覚えのあるヴィンセントの声が聞こえた。ローレンスはゆっくりと扉を開けると、マデリーンにどうぞと中に入るように促す。


 もう出入りすることはないと思っていたその部屋に入った途端、マデリーンは呆気に取られた。思わず手から扇が落ちそうになり、慌てて持ち直す。


 ヴィンセントは最低限の模様替えしか行っていないらしく、部屋の中は変わっていない。それは確かなのだが。


「どうなっているの? この部屋……ゴホンッ」


 思わずマドカの地が出そうになって、慌てて咳払いをして誤魔化す。

 部屋は書類や書籍があちこちに積まれ、控えめに言っても酷く散らかった状態だ。こんな惨状の執務室は初めて見る。


「申し訳ありませんが、そのあたりの書類を踏まないようにご注意願います」

「わかりました」


 ローレンスにやんわりと言われ、慌てて澄ました表情を繕う。

 一番奥の大きな執務机に向かっていたヴィンセントが、ようやく顔を上げた。蒼い瞳には、以前会った時よりも、疲れが滲んでいるように見える。


「わざわざ御足労頂きありがとう、見ての通り少しばかりゴタついていてね」

「すこしばかり、ねえ」


 もうマデリーンには関係のないこと。離宮の手配と今度の生活の補償さえ貰えれば、あとは見ない振りをすればいい。心の中で唱え続ける。

 本来なら、来客や打ち合わせに使われる応接用の椅子も、様々な物で埋もれつつあり、座れそうにない。


「なかなか素敵なお部屋になっているわね、さすがヴィンセント王だわ」

「これでも、一時よりはかなり片付きましたので」


 マデリーンとしては嫌味として言ったのだが、扉を閉めたローレンスがさらりと言ってのけた。これで片付いているなんて、一体どうなっていたのか考えたくない。


「不愉快極まりない」


「え?」


 この部屋だって思い出の場所だ。ヴィクトルはマドカに様々なことを教えてくれた。若い後妻を溺愛している、王すら堕落させて国を操る魔女の呪いだ。そんな陰口だって聞こえていたはずなのに、ずっとマドカを守ってくれていた。


 マデリーンは、ゆっくりと腰を屈めると、落ちている書類を拾った。まずは一枚、さきほど踏まないようにと注意を受けたものを。


「ヴィアン湖の貯水施設の補修について、二枚目」

「それは、そのあたりに置いてくれないか」

「シリル山道近くの、魔獣被害の報告と対応依頼書ね。それからこっちは騎士団の追加予算申請書」


 疲れた表情でそれも置いてくれと返すヴィンセントの声を無視して、マデリーンは次々書類を拾っては読み上げる。声を出す必要はないのだが、そうしたほうが考えは纏まった。


「どれもどうでもいい書類だわ」


 床に落ちているものをあらかた拾うと、眉を寄せた表情のまま言い放った。

 横柄な言いかたに、ヴィンセントの表情が曇ったのがわかる。しかしそんなことは問題じゃないし気にしない。

 扉の側に立っていたアランに向かって鋭く命じた。


「ディアンを呼んで。そういう名前の小豚がその辺にいるはずだから」

「こぶ……、確認します」

「マデリーン? 一体なにを」


 拒むと思ったが、アランはあっさり了承して執務室から出て行った。

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