10話

 今日もまた屋上へと続く扉の前にいる。そして深呼吸をした後でドアノブに手を掛ける。扉を開くとやはり”椹木”が立っていた。

 悠々と煙草を吸い、虚空を見上げ黄昏ているようにも見えたが、僕は驚いた。

椹木の瞳から涙が滴り落ちる瞬間を、僕は見てしまったのだ。人の命を奪う奴でさえも、こうして泣くことがあるのかと。しかし、僕はそれを許すことはできなかった。

 同じクラスメイトである月見さんは記憶を失ってしまうし、それ以外にも彼の手で沢山の若い命が死んでいるという事実は消えないのだ。三上さんにも言われた通り、どれだけ情を沸かせても相手は殺人鬼に過ぎない。ならば、今ここで彼に真相を尋ねる事が力のない僕にとって唯一出来る手段だと思いたかった。覚悟を決め、僕は口を開く。すると彼はいつもの調子でこう答えたのだ─ ……



「…別に?俺の大事な人に、あいつの見た目が似てたから殺さなかっただけだ」


と。

予想外の答えに、僕は一瞬言葉を失った─でもすぐに冷静さを取り戻すことができたのは彼なりの誠意なのかもしれないと思ったから。それと同時に胸の中が暖かくなるような感覚を覚えると共に、目の前にいる殺し屋に対して親近感が湧いてくるような気がしたのである。それを悟られたくなくてつい顔を背けてしまう僕に彼は続けてこう言ったのだ。


「同情なんかしなくていい。俺の勝手な、都合だ」


 そう言った彼の目から涙が零れたように見えたが、それを気にする余裕もなかったのである。そのまま立ち去ろうとした僕を彼は引き止めようとする事はなく─ただ一言だけこう告げたのだ。

その言葉に僕は思わず足を止めてしまった。それは意外な言葉だったからだ。



「月見を宜しく頼む」



 と僕に向かってそう言い残した後でその場を去った彼の表情はどこか清々しく見えた気がした。その後ろ姿を見送った後で再び扉に向き直りドアノブに手を掛けると、不思議と先程まで感じていた恐怖心は消え去っていた。

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