9話

 我武者羅に走り続けて、気がつくと僕はあの屋上に続く扉の前に立っていた。

 そして、深呼吸をした後でゆっくりとドアノブに手を掛けた次の瞬間。



「…よぉ、渡」


その刹那、背中に冷たい汗が流れる。数日前に聞いた、厭な低い声。

振り向く勇気もない僕は、そのまま口を開く。


「…椹木、お前がやったのか」



「…ご名答。まさか、お前も三上と行動する一派だったとはな」


 そう呟く声には、焦りの気配が滲んでいるようにも思えた。僕はそのまま言葉を続けることにした。

 すると扉の向こうからゆっくりと近づいてくる気配を感じたのである。そして─僕の目の前で止まったのか足音が止まると今度はカチャリという金属音が鳴ったのだ。

 おそらく鍵が開けられたのだろう。その音がやけに大きく響いた気がした。

そしてついに扉が開かれる時が来た。

 恐る恐る顔を上げるとそこには予想通りの人物が立っていたのである。



 月見さんだ。しかしその表情には生気がなく酷く虚ろな瞳をしていた。



「…木橋君」


 酷く無機質な声の月見さんは、今までに見たことのない姿だった。制服姿ではなく、黒色の美しいゴシックロリータ調のワンピースを着ており、左目には薔薇を模した眼帯が嵌められている容姿をしていて、。まるでおとぎ話に出てきそうな、不思議な見た目をしていた。その容姿に随分と似合っているので、一瞬息を飲んでしまったが。


「…なんで、そんな恰好してんだよ。病院戻るぞ」


 気がつけば僕は、月見さんの胸ぐらを掴んでいた。本当に無意識だったのだ。

月見さんは、ただその虚ろな目で僕を見ている。美しい濡羽色の瞳が僕を反射している。瞳の中の僕は酷く怒りに満ちた表情をしていて、自分でも驚きそうになるくらいだ。

 その時だった。月見さんの身体がゆらりと揺れたかと思うと、急に脱力したようにその場に崩れ落ちたのである。慌てて抱き抱えるようにして支えた僕は彼女の様子を確認してみると─眠っているようだ。それを見て安堵すると同時にどっと疲れが押し寄せてきたのだ。そしてそれと同時に言いようのない不安が込み上げてくる。

 このまま目を覚まさないのではないか?そんな考えばかり頭に浮かんでくる始末である。



 それから数時間後、ようやく目を覚ました彼女はゆっくりと起き上がるなり辺りを見渡し始めると同時に僕の存在に気づくなり驚いたような表情を浮かべた後で口を開いた。

 取り敢えず放っておくわけにもいかないのでひとまず病院へと送り届けることにした。道中で色々と話を聞いてみたところ、どうやら彼女は自殺願望があるらしく死のうとしていたところを三上さんに止められたらしいことが分かった。それでも、その欲が止まらなかった彼女は僕と同じく屋上へ向かったのだそうだ。


 そうしたら、例の”死神”椹木が居て、死なせてくれと懇願したが彼にさえ止められたという。自暴自棄になった彼女は、そのまま暴れた。そうして、その動きを止めるために椹木に刺されたのだと笑いながら言った。冗談じゃねえ。笑い事じゃない。


それから数日後の事である。僕は三上さんに連絡を取った上で彼女の家を訪れたのである。玄関先で出迎えてくれた彼女に促されるままリビングへと通されたところで話を切り出すことにしたのだった。すると彼女は神妙な面持ちでこう答えたのだ─ どうやら、月見さんは”死を望んでいる”のではなく、ただ単に”死にたいだけ”。”死神”が出る条件には、相応しい理由にはなるが僕と同じように死にたがる人間に対して、すぐ命を奪うはずなのに彼女は何故か彼の手で生き延びさせられている。でも、その彼の意志さえ無視して飛び立とうとした。その彼女の自分勝手な行動が死神のトリガーを引いたのではないか、と呟いていた。それを聞いた時、僕は絶句してしまった。まさか、月見さんがそこまで追い詰められていたとは思わなかったからだ。それに三上さんもまた同じ境遇だというではないか。二人とも自殺未遂を起こしているにも拘らず何故か生きているのが不思議でならなかったのである─ そんなことを考えているうちにふとある考えに至ったのだ─つまり、僕が見た夢は予知夢だったのではないかということだ。もしそうだとすれば、いずれ僕も月見さんの後を追うことになるのかもしれないと思うと背筋が凍るような感覚がした。そんな僕を見てか三上さんはこう続けたのである─もし君が死ぬことになったら、それは私のせいだ─と。僕は何も言えずに俯くことしかできなかったのだった。

それから程なくして月見さんは目を覚ましたのだが記憶は相変わらず戻っていないらしく不安げな表情を浮かべているだけだった。そんな様子を見ていると胸が痛くなると同時に自分がしっかりしないと駄目だという気持ちにさせられるのである。そうして改めて誓ったのだ。彼女を守れるのは僕しかいないのだと─ ……

……

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