第百八十六話 『何もない』を持っている
「人間、一人だと限界があるでしょう? いくら能力が高くても、他のことで手が埋まっていたら着手できないわ。だから、優秀で頼れる『協力者』が必要なのよ……信頼できる人に、自分のやりたいことを託すの。それができれば、どんなに素晴らしいことか」
世月さんは淡々と語っている。
無表情ではない。小さな笑みは浮かんでいる。しかしそれは、笑っているというよりは『張り付いている』と表現した方が適切だろう。
微笑の仮面をかぶっているから、この人の感情は読み取れない。
世月さんが抱いている気持が俺には分からないのだ。
だから、残念ながら共感することができなかった。
「陽平は、私たちのような資産家が何のために『お見合い』をするか分かる?」
「……出会いのため、ですか?」
「平凡な答えでむしろ安心するわ。うふふ」
うーん。バカにされている気がしてならない。
鼻で笑われているのが気になるのだが、まぁ答えが普通すぎたのが仕方ないのだろう。何も言わずに、再び世月さんの話に耳を傾けた。
「『縁』を結んで、お互いに裏切れなくするのよ。お互いに裏切らずに協力しましょうっていう『契約』を結ぶために、あえて似たような立場の人間同士でお見合いしているわ」
「それはまた……随分と、古風な話だと思います」
「そうね。お見合いだなんて、自由恋愛が一般化している現代では時代錯誤も甚だしいわ。でも、古くからあるからこそ効果も大きいのよ。子孫を残せて、裏切られる心配のない協力者もできるって、素敵だと思わない?」
「ごめんなさい。素敵な話とは、あまり感じないかもしれないです」
自分の意思はどこにあるのだろうか。
一番大切なものが無視されている以上、良い話だとは決して思えなかった。
「ええ、そうでしょうね。陽平なら否定してくれると思っていたわ……うふふ。話がそれてきたかしら。あなたって聞き上手だから、ついつい余計なことまで講釈したくなるのよ。ちゃんとまとめるから、もう少し待っててね?」
良かった。話がどこに向かっているのか分からなくなりかけていたので、さすがに聞き返そうと思っていたところである。そういうことなら、もう少し黙って聞いていよう。
いったい、世月さんは何を主張したいのか。
「つまり、人から愛される才能のある人材がほしかったのよ。私や夫にはない『人徳』のある子がいれば、優秀な協力者を多く集めることができる……その子が娘と『縁談』を結べば、裏切られる心配もなくなる。あのひめが懐く程の『人徳』がある子が手に入るかもしれない――そう、私は期待したという話よ」
……お、思ったより怖い話だった。
つまり、あれだ。俺が、世月さんの期待通り人徳のあるすごい人間なら、この人は娘の縁談を利用してでも身内に引きずり込もうとしていたわけだ。
「さ、さすがに、ちょっとどうかと思います……ひめと聖さんの気持ちを無視するのは、良くないですよ」
「分かっているわ。だから、失望したけど安心したのよ。あなたが私の期待外れの人間だったから、そんな強引な手段を取らずにすむわ」
なるほど。話は、ここに収束したのか。
世月さんが俺に失望した。おかげで世月さんは娘を利用せずにすんだ――ということだろう。
「最初に駆け引きを仕掛けて試してみたけど、あなたは間違いなく『凡人』よ。人を見る目には自信があるわ……実は優れた才能を持っているわけではない。どこにでもいるような、何も持っていない平凡な人間ね」
そんなこと、言われずとも分かっている。
俺はありふれた人間だ。そのことが嫌ではない。むしろ、そんな自分がちょっと好きだったりする。
特徴はないかもしれない。でも、欠点もない。それでいいのだから、恥じる必要はない。
「いえ……何も持っていない、は訂正するわ。陽平は『何を持っていない』を持っている子よ」
「……つまり何も持っていないので、意味は変わらないのでは?」
「変わるわよ。大きく違うじゃない……何も持ってないからこそ、ひめがあんなに懐いたのよ。それはとても、素晴らしいことだと思うわ」
話を聞いて、自分が世月さんに評価されていることを理解した。
彼女は俺を凡人と評してはいるのだが、決して軽んじているわけではないようだ。
だからこそ、世月さんにいろいろ言われても、そこまで卑屈にならずにすんでいるのかもしれない――。
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