第百八十五話 路傍の石ころ

 明らかに、失望されているはずだ。

 期待外れだと言わんばかりの目で、俺を見ていたはずなのに。


 世月さんは、俺のことをちゃんと評価してくれているらしい。


「陽平に出会ってから、ひめは激変したわ。よく笑うようになって、毎日が楽しそうで、感情を表に出すようになったのよ」


 ……そういえば、芽衣さんも似たようなことを言ってくれたなぁ。

 同じように、世月さんもひめの変化を喜んでくれているということらしい。


「二週間くらい前かしら。この前、一瞬だけ帰宅した時に娘と会ったのだけれど、あの時に驚いたわ……すごく優しい笑い方をするのよ。芽衣に詳しい話を聞いたら、最近仲良くなった男の子の影響だ――って聞いたわ」


 それが俺だった、ということか。

 ……まぁ、ひめが良い方向に変化したことは、嬉しく思う。そこに少なからず影響を与えたのなら、何よりも喜ばしい。


 俺と出会ってから、ひめが明るくなったということは……つまり、彼女が楽しい日々を送れている、ということだろう。それは純粋に嬉しい。


 ただ、それは別に俺だけの功績ではないとだけは、言いたかった。


「……聖さんと芽衣さんのおかげでもありますよ。甘えさせてくれる姉と、面倒を見てくれるメイドさんがいたからこそ、ひめは健やかに育っているのだと思います」


「もちろん、分かっているわよ。でも、明確にひめが変化したのは、あなたと出会って以降よ? 陽平が、大きなきっかけを作ってくれた。だから、陽平のおかげなのよ」


 俺のことを、世月さんはちゃんと称えてくれている。

 それはありがたいのだが……しかし、不思議だ。


 この人は、俺に対してあまり好意的だとは思えない。

 芽衣さんは分かりやすかった。世月さんと同じように評価して、その上すごく親切にしてくれたのだが……この人の態度は、どこか他人事なのだ。


 肯定的、とは決して言えない。

 むしろ、否定的とも感じ取れてしまうような、冷たさがある。


 そのせいか、俺はなおも居心地が悪いままだった。

 可能なら、今すぐにでもこの部屋から出ていきたい。しかし、世月さんはまだ言葉を続けているので、そういうわけにはいかなかった。


「あなたの話を聞いて、すぐにでも会いたくなったわ。分単位のスケジュールを押し込んで、二週間かけて調整して、そうして今日この時間を迎えられた。陽平とようやく対面できたことを、何よりも嬉しく思うわ」


「……嬉しいと言う割には、歓迎されている感じはありませんが」


「そうね。残念ながら……ではないわね。嬉しいことに、陽平は私が期待するような人間ではなかったから、態度は許してちょうだいね。今すごく、残念に思っているのよ」


 ほら、やっぱりそうだ。

 世月さんは、俺に対してなぜか失望している。


 この人はいったい、俺に何を期待していたのだろう。


「……あのひめが影響を受けるほどに、優れた人間なのかと期待しちゃったのよ。気難しいうちの娘が懐くような『特別性』がある人間なら、大きな価値があるじゃない? もしそういう人間がいるのなら――私は、手に入れたいと思ったわ」


 手に入れたい。

 その一言を聞いて、確信した。


 俺は、世月さんとは決して相容れない人間なのだ――と。


「ひめも聖も、事業に巻き込む気はなかった。私の娘たちに『人徳』を期待しても無駄だもの。どうせ、うまくいったとしても私と同じような結果しか生まれない。カエルの子はカエルにしかなれないもの。それなら、井の中ではなく大海を泳いでもらった方が幸せだものね」


「カエル……と呼ぶには、すごい二人だと思いますが」


「そうね。凡人ではないけれど、まぁ私と似たような性質を引き継いでいるでしょう? それだと意味がないのよ。能力だけで人はついてこない。人徳のある、優れた人間が私の手元にいたら……その時は、区切られた井戸を大海のごとく広くすることだってできる。その中で泳ぐ幸せなら、娘たちに与えてもいいかなと思ったのよ」


 たとえが抽象的で、少し分かりにくさもあるのだが。

 まとめると、世月さんは――ひめが懐いた俺という人間が、人徳のある『特別な人間』であることを期待していたらしい。


 ただ、そうではないと話していて気付いたようだ。


「でも、違ったわ。あなたは普通の人間でしかなかった……私が興味を持てない、凡庸な石ころだった。だから、失望したのよ。あと、評価もしているわ」


「評価……?」


「普通の人間のくせに、私の娘が懐くなんてすごいじゃない――って、ね?」


 その言葉に、俺は苦笑することしかできなかった。

 芽衣さんみたいに、好意的ではない。それは残念だが……まぁ、言われていることは間違いじゃないので、どうしようもない。


 良くも悪くも、俺は普通の人間である。

 それ以下でも、それ以上でもないのだから――。

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