第百四十七話 押せば受け入れる
前々から感じていることなのだが。
聖さんは、俺のことをそこまで異性として意識しているわけではないように見える。
恐らく、男性と認識はされているとは思うけど……恋愛対象という意味ではないと思う。
もちろんそのことにネガティブな気持ちを抱いているわけではない。俺よりも魅力的な人はたくさんいるのだからむしろ当たり前で――と、そう考えていたわけだが。
「私、人を好きになるって感覚がよく分からないんだよね~」
先ほどあげた二つのグミのうち、一つはもう聖さんの胃袋に収納されている。
しかしもう一つはまだ、彼女の指先に残っている。ぐにぐにと指先で弄びながら、聖さんは独り言のように声を発していた。
「ひめちゃんのことは大好きだけど、それとは違うんでしょ?」
「まぁ、違うんじゃないかな?」
「芽衣ちゃんに対する感情とも別だよね?」
「信頼と愛情はまた別なんじゃない?」
「……うーん」
俺のやんわりとした否定に、聖さんは少しだけ唇を尖らせる。
どうやら不満がありそうだ。
「よーへーは好きって気持ちを知ってるの?」
「いや、知らないけど」
「知らないんかーい」
そうなんだよなぁ。
聖さんはたぶん、もっとハッキリとした答えを探していたと思う。
でもそれに応えるのは難しい。だって、俺の方こそ人を好きになったことなんてないからだ。
「よーへーは男の子じゃないの? 思春期ってそういうことばっかり考えてるって、友達が言ってたのに~」
「ちゃんと男の子だよ……まぁ、人並みには『あの子はかわいいな』とか思うこともある。『恋人になれたら楽しいだろうな』とも妄想したことある。それを『好き』って気持ちに含んでいいのなら、経験あるって言えるけど」
「じゃあ経験なしだね~」
「うん、そうなるよね」
……本気で人を好きになったことなんてない。
意外と、俺のような人間はいると思う。特定の相手を本気で好きになるほど、深い親交を持ったことなんてない。積極的な人間なら交流の機会も増えるだろうし、そういう経験が生まれるだろうけど……俺は消極的なので、経験が乏しいのは無理もないと思う。
でも、彼女は違う。
「聖さんの方こそ、仲のいい人がたくさんいるのに『誰かを好きになったことない』っていうのは意外かな」
俺と違って、社交的で交流も多い。
生徒会に所属している人望の厚さもある。
性格も明るくて、誰に対しても気さくで、男子に対しても優しい……そんな人間なら、誰かを好きになって当然だと思う。
俺は特別な人間じゃない。聖さんの立場にいたら、間違いなく特定の異性を好きになっていたはずだから。
しかし聖さんは、その立場にいながら誰も好きになったことがない。その方が、不自然だと感じる。
「ふっふっふ。よーへーは勘違いしているようだね」
俺の指摘に対して、聖さんは冗談めいた笑みを浮かべた。
イタズラっぽい笑みはひめとよく似ている。いや、ひめが聖さんに似ているんだけど。
あどけなくて、無邪気。
しかし、ひめにはない陰が聖さんには混じっている。そこが二人の違いだった。
「誰に対しても優しいってことは、誰かを特別に思っているわけじゃない――そういうことだと思わないのかな?」
「……その着眼点はなかったなぁ」
他者に対して差がない。
だから誰に対しても同じように接することができる。
つまり聖さんにとって他人は、ほとんど同じように見えるのかもしれない。
「もちろん、オシャベリが楽しい人とか、真面目で頼れる人とか、自分の話が多い人だなとか、人の悪口ばっかり言う人だなとか、そういうのは感じるよ~……でも、だからって好きにも嫌いにもならないかなぁ」
……やっぱり、ひめよりも聖さんの方が複雑な気がする。
あの子は感情を表現することに慣れていなくて、結果的に無表情になっているだけで、実際は素直で心の機微が分かりやすい。
しかしこの人は、常に笑顔だが……能面のように笑顔を張りつけているだけで、心の機微がないということだったのだろう。
道理で、聖さんに浮いた話がないわけだ。
彼女は俺と真逆の意味で、恋愛に対して興味がない。いや、興味が持てない性格なんだ。
「でも、よーへーといると落ち着くから、そういう意味では特別なんだと思うかな? 一緒にいてここまで楽でいられる人って、初めてかも」
……そういえば前も、似たような話をしてくれた。
星宮家で夕食を食べた時のことである。あの時も聖さんは『俺との縁談もそこまで嫌というわけじゃない』と話をしていた。
その理由の根幹を、今回はよく理解できた気がする。
正直、本気かどうかそのセリフに自信はなかったが……この人は、本気なんだ。
俺が強く押せば、たぶん受け入れてくれる。
そういう人なんだなと、よく分かった――。
//あとがき//
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