第百二十三話 彼女が『かわいい』を喜ぶ理由

 そういえばずっと気になっていた。

 ひめは自分のことを『かわいげがない子供』と自嘲することが多い。こんなにかわいくていい子なのに、なんでこんなことを言うのか分からなかったのだが……その理由の一旦が、垣間見えた気がした。


「会話も流暢。自分のことは自分でこなせる。泥遊びをしている子供たちのそばで本を読む。イタズラをされても泣かない。あやしても笑わない……悪い意味で、子供っぽくない子供でした。保育士さんたちが不気味がるのも無理はありません」


 この子は一度見聞きした情報や出来事を忘れない。

 だから知性の発育が著しく早い。しかし、彼女は悪い記憶だって忘れることができないわけで。


(過去の体験のせいで、ひめは自分にかわいげがないと思ってるのか……)


 トラウマ、と表現するほど大げさではないと思うのだが。

 少なくとも、当時に受けた心の傷を彼女はずっと抱えているのだ。

 普通の人間なら忘れてしまうような幼い子供の記憶だ。でも、彼女は忘れられない。


 なぜなら、全ての物事を覚えてしまえるから。


(他人に迷惑をかけたがらない子だけど……自衛の意味もあるのかな)


 他人に甘えるということは、リスキーな側面を持つ行為である。その相手の気分次第で「甘えるな」と怒られる可能性だってある。あるいは「こんなにしてやったのに、なぜ見返りがないんだ」と不満を抱かれることもあるだろう。


 そういったリスクをひめは回避したいのかもしれない。

 悪い記憶を忘れられない彼女は、常に何事も起きないように気を張っているのだ。だから子供ながらに相手に対して気遣うスキルが身についている。大人のように、表面上だけで関係性を構築する。


(そういうことだったんだ)


 ようやく、星宮ひめという少女の人間性について理解が深まった気がする。

 この子のことをまた一つ知ることができて良かった。


「ごめんね、辛いことを思い出させて」


 ただ、俺の好奇心でひめに余計なことを思い出させたことは反省しなければならない。そのことについて謝ると、彼女は慌てた様子で首を横に振った。


「いえ、そんなっ。辛い……というよりは、もう過去のことです。それに、今は陽平くんにたくさんかわいがってもらっているので、とても幸せなんです」


 そう言って、ひめは甘えるようにぐっと身を寄せてきた。

 握っていた俺の手をゆっくりとほどいて、今度は自分のほっぺたを押し当ててくる。手のひらにむにむにとした感触が伝わってきた。その部分を軽く撫でてあげると、ひめは嬉しそうに目を細めた。


「『かわいい』って思ってくれている気持が、すごく伝わってきます」


「うん。もちろん、本心だから……ひめはかわいいよ」


 別に俺がカッコつけているわけじゃない。ただ、ひめをかわいいと思わない人間に方が少ないと思う。


 見た目の話ではない。いや、すごく美少女なのは事実なのだが……それ以上に、この子の性格がかわいいと俺は思っている。見た目だけで言うと、幼さこそあるが綺麗に近い容姿だ。それなのに『かわいい』という表現がしっくりくるのは、この素直な性格が起因している。


 俺からしたら当たり前の感覚なのだ。


「えへへ。また『かわいい』って言ってもらえました」


 しかし彼女は、心から『かわいい』という言葉を喜んでいる。

 少し、喜びすぎだと思っていたのだが……その理由がようやく理解できた。


 ひめは幼少期に、あまりかわいがってもらえなかったのかもしれない。

 だったら、俺がやるべきことは一つだ。


(これからもたくさん『かわいい』って伝えよう)


 言葉でも、態度でも。

 ひめがいつか、自分のことを『かわいげがない子供』と言えなくなるくらいには、可愛がってあげよう。


 そんなことを、決意するのだった――。

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