第百九話 無知である強さ
たまに、無知であることの強さを感じることがある。
何も知らなければ自然体で振舞うことができる。それが功を奏して上手くいく場面が存在する。
たとえば、俺とひめの出会いだってそうだ。
なんとなく、この子がすごい子だなぁとは分かっていたのだが……詳細を知らなかった俺は、ひめを『権威のある天才少女』ではなく『幼くてかわいい女の子』と認識した。そのおかげでひめとこうして仲良くなれた。
もし、ひめのことを事前に知っていたなら、あるいはもっと及び腰になっていたかもしれない。話しかけることすらためらっていただろう。実際、学校の教職員はひめに対して過剰なまでに腰が引けている。ご機嫌取りばかりしている。敬意があるということなので、それは決して悪いことではないのだが……これが『対等な立場』とは言い難いだろう。
事務的で無機質な関係性であれば、それでいいかもしれない。
しかし『友達』になる条件としては、対等であるべきだ。だからこそ、交友関係が狭くてうわさ話に疎く、周囲にあまり関心を抱かずに教室の隅で細々と生きていた俺が、ひめと仲良くなれた。何も知らなかったおかげである。
そして俺と同様、心陽ちゃんについても同じような理由でひめと良好な関係を築くことができそうだった。
「ひーちゃん、おいしーでしょっ?」
「はい。美味しいです……病みつきになる味ですね。止まりません」
「うん。やみつきー!」
いい意味で、心陽ちゃんは何も知らない。
たぶん病みつきという言葉の意味も分かっていないだろうが、雰囲気で会話している。
それがひめはなんだか心地良さそうだ。
心陽ちゃんは幼いが故に、ひめのことをよく分かっていない。飛び級している、という意味も分かっていない。ただ、心陽ちゃんにとってひめは『同世代の女の子』くらいの認識しかない。
だからうまく接することができているように見えた。
二歳年上だろうと関係ない。公園の砂場でたまたま出会った子供と仲良くなった、と同じような状況なのかもしれない。
「ひーちゃん、クッキーちょーだいっ」
「はい、もちろんいいですよ。どうぞ」
「ありがとー! こはるにも食べさせてっ?」
「……いいのですか? それではどうぞ、あーん」
今度はひめからクッキーを食べさせてもらっている心陽ちゃん。
ひめも、先ほどのお返しだと言わんばかりに心陽ちゃんの口元にクッキーを差し出している。
一口サイズのクッキーは、小さな幼女の口でも食べやすいサイズ感だ。
ひめのためを思った芽衣さんの気遣いなのだと思う。さすが手際のいいメイドさんだ。
「ん~っ。おいちぃ♪ これすごいね、めーさんが作ったんだよねっ?」
「はい。芽衣さんはお料理が上手なんです」
「うん、じょーず! ひーちゃんも食べてっ」
「はい。一緒にいただきましょうか」
ひめは芽衣さんが褒められて嬉しそうである。
口元が少しニヤついていた。かわいいなぁ。
あと、心陽ちゃんがひめに対して優しいというか……この子、俺の前ではおませで少しわがままだけど、俺が関わっていないところではかなりいい子なのでは?
恋敵ではないと知って以降、心陽ちゃんはひめに対してすごく友好的だった。
これはもう、間違いなく二人の関係は『友達』と表現していいだろう。
(二人とも今日は楽しめそうで良かった)
ひめにとっても心陽ちゃんにとっても、今日という一日は悪い思い出にならないだろう。
それだけが心配だった。年上として、それから二人を鉢合わせてしまった張本人として気が引けていたのである。
だから、二人が仲良くなれてすごく安堵した――。
//あとがき//
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